あんかけさん

保育園、幼稚園、小学校で働いて四半世紀。 幼児・児童教育に携わりながら取材ライターとし…

あんかけさん

保育園、幼稚園、小学校で働いて四半世紀。 幼児・児童教育に携わりながら取材ライターとして原稿を執筆しています。 時々、思い出を綴っていきたいと思います。

最近の記事

もしもう一度会えるなら 3

 父は昔から、長女である私に厳しく、妹にはとてつもなく甘かった。母の友人が私のことを「継子」と言うこともあったほど。  息子がほしかった父に、意に添わないキャッチボールを何度付き合わされただろうか。妹が抱く流行りのぬいぐるみを眺めながら、欲しくもない新品のグローブに「ありがとう」という他なかった、10歳のクリスマス。友だちと大事な約束があると訴えるも、家族旅行を強いられて悔し涙を流した、15歳の夏休み。深夜の同窓会に、参加を許してもらえなかった成人式。アメリカへの一人旅も、

    • もしもう一度会えるなら 2

      思えば父は、誰よりも、一家で行動することを望む人だった。時には、母も私たち娘も閉口するほどに。娘の学校行事には可能な限り参加して、ここぞとばかりに張り切る。娘が思春期を迎えても、相手の都合お構いなしに家族旅行を強いる。 きっと側からは、理想の父親に見えたのだろう。 ご近所さんには、「いいお父さんで幸せだね」なんて声をかけられ、 友だちにも、「あんなお父さんが良かったわ」と羨ましがられたものだ。 一歩家に入ればワンマンで亭主関白のくせに。 私たちの気持ちなんか、まったく尊重して

      • もしもう一度会えるなら 1

         決して仲が良いとはいえなかった父と私。  父の13回忌を終え、もし今もう一度会えるとしたら、私たち父娘はどんな言葉を交わすだろうか。  医師に父の余命を告げられたのは、父が退職して2ヶ月を迎えた頃だったろうか。検査入院と信じて止まない父を病室に残し、母と妹と私は、担当医師の元を訪ねたのだった。「よくもって半年。早ければあと3ヶ月」との言葉に、妹はただ呆然と医師の顔を見つめ、母は力なく膝に目を落とした。 そして私は「あのお父さんが死ぬわけないやん」とつぶやいた。  

        • 1日30時間あればいい

          繁忙期になるといつも考えること。 「1日30時間あればいいのになぁ」 忙しい時期は 3ヶ月無休は当たり前。 毎日終電ギリギリまで仕事。 それでも仕事が終わらないなら 1日の時間を増やすしかない。 暇を持て余している友人に 思いきって聞いてみた。 私「あんたの時間、ちょっと売ってくれへん?」 友「時間がお金になるなら、喜んで売るで」 私「じゃあ、1日6時間、一週間分まとめて売って」 友「それは無理、昼寝する時間なくなるやん」 私「昼寝せんでもええやん」 友「あかん、昼寝

        もしもう一度会えるなら 3

          期せずしてライターになった私。

          ライターと名乗るようになり、かれこれ3年。 保育畑一筋で四半世紀。まさかライターになるとは思いもよらず。 再婚をきっかけにアラフィフでライターに転身。 当初は「校正だけ手伝ってくれたら」と言われていたものの 気づけば取材ライターと名乗り仕事をするようになっていた。 初めての取材は確か東海地方。 年も押し迫った12月後半のことだった。 まったく行ったこともない場所、 しかも当日の取材人数もわからないまま…。 降雪で新幹線が運休になるかも知れないと言われ 大阪で仕事を終え

          期せずしてライターになった私。