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何事も正解だと信じる力

退院してから、自分の体力の衰えに驚愕していた時のこと。入院は2週間、その前にも高熱で寝込んでいたことを思い出し、それはそうだよなと受け入れることができました。また、焦るのをやめると決めたら、まだ退院して1週間も経っていないのだからと、ここまで回復できたことが自信になりました。

落とし物を拾って交番に届けに行こうと歩いていた時のこと、頭を抑えないと耐えられない位の偏頭痛がきました。かなりの距離歩く必要があったのですが、とてもそこまでは辿り着けなさそう。
すると、落とし主がいる確率が高い学校が目の前にあり、そちらに届けて託すことにしました。

どちらもよくないことに思うかもしれません。
しかし、落とし主も交番より学校に届いた方が楽。
私も自宅の近くでもあったので、届けてすぐに頭を冷やして休むことができました。
久しぶりにチョコレートを食べて、暑い中歩いたことでなってしまったようなのです。
しばらく食べることは慎重にしようと決めることができました。

たまたま自宅の近くで痛くなったからよかったものの、休む場所もない時にはしんどいなと知ることができたのです。

私の中の焦るは、信頼していないが根本にあることに気づきました。

間に合う、大丈夫だと信じていないから、焦って慌ててしまう。それだけならいいのですが、私は焦るとヘマをしてしまったり、失敗が多いのです。
焦らなくなったこと(=信頼)で自分が、想像するよりも、はるかに良い形で、物事がスムーズにうまく行くことに気づきました。

私は自分信頼しよう、信じようと思った訳ではなく、そうなりました。過去に数え切れない位そう思って、色んな手を試してみたけれど、うまく行きませんでした。

しかし、身体が危険な状態になって、それでも精神は全く穏やかになるどころか怒りでいっぱいでした。そんな時に、ここまでの状態になったことでどれだけ自分に可能性が広がり、大きく救われ、とてつもなく貴重な経験、大切な出会いがあったことに気づき、気持ちが反転したのです。

私は落ち込んだり、嘆いている人に「運がいいね、ついているね!」と声をかけています。
本当にそう思うからです。
本人がそのことを信じると、本当にどんどんそうなっていきますし、周りもそういう目で見るようになって、ますますそうなっていきます。

自分の人生を信じる力は0にはなりません。
一瞬なったとしても、また信じる方へ向かっていくものなのです。

最近は、まだ会ったことのない、これから本当に出会うのかという人と話している夢を見ます。今までだったら信じられないし、自分でも目が覚めて笑いました。
しかし、あり得ないと思っていること、想像もしていなかったことも起こるのです。

一ヶ月前、私は高熱が下がらず、随分長いなと思っていました。ただ、自分の中にどんなことが起きていて、これから人生最大のピンチがくることなど思ってもみませんでした。
しかし起こるのです。

信じていなくても、起こることは起こる。
信じていると、そちらの方向にどんどん世界が、可能性が広がる。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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