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神様は必ず見ているし、神様じゃなくても見ている人は必ずいる

スポーツ中継が始まった途端にファインプレーをしたところが全国放送されたり。
チャンスで当たり千金の得点を決めたり。

私はそんな場面を目撃する度に、それは今までその人がずっと努力し続けてきた中のほんの一コマであって、信じ続けてきた結果、その人を信じてくれる人に出会い、その才能や努力が開花を迎えた瞬間。

私はそのように受け取っています。

誰の元にも平等にチャンスも才能も与えられ続けていて、それを信じて続ける人ができた人が手にできるもの。人は無意識に、その瞬間に凝縮された中身を受け取るからこそ感動し、時に涙を流し、人生すら変えてしまうのだと思います。

元気がない人に、みんなどう話しかけていいか腫れ物に触るような雰囲気になっている中、普通に話しかけた。
くだらないこと言って、一緒に笑った。
嬉しい時に一緒になって喜んだ。
本人にとっては普通のことでも、それが誰かのものすごい勇気になって、頑張ろうって思えたかもしれない。

活躍した時に、その人を近くにいて見たい人たちがどんな姿で見守っているか。私はそこにも注目しています。そして、ああ運なんかじゃない、この人はそれを掴むために途方もない努力の道を信じて歩み続けていたのだとわかるのです。
あんなに喜んでくれるのは、報われてほしい、報われるそう信じて見ていたからこそ。

神様という存在はいないのかもしれない。
しかし、自分がしていたことは全部上からも心の中からもお見通し。絶対に消せない、消えない冒険の書。

花が咲く、実を結ぶ日を信じて植えた種が芽を出したのは、成長するために必要な要素が揃った時だから。

直感は確かにある。
しかしそれは信じて使い続けてきたからこそ確信できる感覚。
確信出来るだけ、物を、人を見て、たくさん学んできたからこその感覚でもある。

運でたまたま活躍なんてできない。
その日を信じて、そのシーンも想像して練習してきたからこそできること。

努力と信じる力、その人を信じてくれる人の力。

そのスパイラルが始まると、どんどん活躍し、さらに信頼され、また信じることができてとどんどん成功していく。一人の夢がみんなの夢になる。
人を幸せに笑顔にすること、愛のあることにはまた力が集まる。どんどん拡大していく。

私の中で確信していることがあって、それは人を大切にその才能をどこまでも信じてくれる人の元では、その人が持っている能力がどこまでも発揮されやすいということ。
ただ、そこにはまず自分自身の才能を信じる力と、それを発揮するまでの種蒔き(努力)ができること。

人は突然メンタルが急に強くなったりしないし、チャンスに強くなったりもしない。その人の生き方の積み重ね。才能ある分野での過ごし方、そうでない時の過ごし方。

私は社会に復帰できる体力が戻っているのか自信はないけれど、体力は戻っていなくても頭の回転や寝込んでいる間の気づきや学びは財産になったと思える。

自信、それはないものではなく、今すでにあるものをそのまま評価できる力。

自分の狂った味覚と臭覚を受け止めて、インスピレーションで行動したら、正常に戻りました。
ただの直感ではなくて、どうして失っていったかその過程を記憶して、原因を推測して、そこを改善するところまでいくつも過程していた。(受けとる準備が整っていた。)

体力が落ちた自分を受け入れて、少しずつ体力を戻して、なんなら前よりもっと健やかになろうと思っています。

夢を追いかけて努力する姿は、それを見た人にも夢を与えている。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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