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誰の人生にも課せられること。

今日飛び込んできたショッキングなニュース。

政治の事や難しい事はわからないけれど、感じた事が2つある。
ひとつは、地位や名誉、家柄にも恵まれてどんなに権力があっても最期の瞬間は突然にやってくるという事。生死はコントロールできないのだという事。

もうひとつは、全てを手にしたように思える人ですら(だからこそ)何かを犠牲にして生きているという事だ。
権力者として片方では崇められ、片方では憎まれる。
一声で動かせないものはなかったとしても、
足下を掬われたり狙われたりするリスクや恐怖と隣り合わせ。

私たちのほとんどは、権力も名誉もない。
あくせく働いても手元には何も残らないかもしれない。その代わりに、見えない敵を想像して怯えたり引きずりおろされたりする不安も感じなくていい。

一方で、『上級国民〜』なんて揶揄される人たちは、手にした大きな力の代償に大きな恐怖や不安から離れられないのだとしたら。

立場は違えど、私たちは誰だって何かの代償に何かを得ているんだ。

こんな大惨事を引き起こした人が何を考えて行動したのかはわからない。
けれども、深呼吸して冷静にかんがえて、
バカなことをしていると気付けないほどに
何かに追い立てられていたことは事実だろう。

何でわたしばっかり、とか
どうせ世の中は良くならないから、とか思った時こそ冷静になって気づきたい。
何かを得て、人知れず何かを犠牲にしている。
その条件は誰の人生においても平等に課せられていることを。
そして、どんなに訴えたいことがあったとしても、
暴力的な手段を取った以上は共感してもらえないということを。

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