ネットの「平成の歌姫」特集に出てこなかったけど、あのとき、あの場所で確実に流れてた私の歌姫たち。/平成デニム回顧録【04】
しばらく放置してしまった「平成デニム回顧録」。
今回はふと「平成の歌姫」のことを書いてみる(もはやデニムでもなんでもないけど、noteは気分も大切です)。
というのも、ここ数年「平成」のカルチャーを紹介する記事を目にする機会が前より増えた気がするけれど、その当事リアルに若者やらせてもらってた世代としては「えーそうかなあ」となんだかしっくり来ない部分もあり。
そんなことを思ってた時に見た「平成の歌姫特集!」的な企画。
わかる。たしかに流行ってた。でもいわゆる「売上ランキング上位」の人たちしか出ていない。
前も書いたが、平成の面白さは「メジャーシーンの音楽にインディーズが影響を与えていったところ」というのが私の記憶。
そもそも音楽ライターじゃないので、平成の街場やクラブで遊んでた「あの時代の住人のひとり」として、パーソナルだけど大切な「私の平成の歌姫」をそっと書き残しておく。
まだバブルの断末魔が残ってた平成初期。
芝浦の巨大ディスコ『ジュリアナ東京』がまだあった頃。
「週末は扇子持って下着で踊りに行く」と言ってた子とはあんまり話が合わなかったけど、まあ話のネタにと二度ほどは行ってみた。
ジョン・ロビンソンのかける“あおり”が強いテクノも、そこに集まっている広告代理店やらテレビ関係やら、大人たちのノリもしっくり来ず、むしろ「騒ぎに来てるだけで、誰も音楽なんて聴いてないじゃん」と怒りをつのらせながら帰ったのを覚えてる。
そういうバブルの、ギラギラとした消費の匂いとは相性が合わない仲間とクラブに行き始めるわけだけれども。
そんな若造にも入りやすかったクラブが西麻布の大バコ『YELLOW』。
U.F.O.やジャイルス・ピーターソンのCDはさんざん聴いたし、「新しい時代の音楽性を突き詰めていこう」的なムードがそこかしこにある感じを勝手に受けていた。
踊れるジャズ系のサウンド、今では当たり前だけど、その頃はジャズといえば「オジさんが聴く小難しい音楽」みたいなイメージがもっと先行してて。
※だから、US3がブルーノートの音源使って(しかもハービー・ハンコックの)「カンタループ」を発表した直後は、すごいことが始まった!って思ったのを覚えてる(後に有名になりすぎた感はあるけども)。
タワーやHMVのジャズコーナーの神店員(当事のCD屋には担当ジャンルに超絶詳しい、神的な店員がいた)になんて、恐れ多くて10代の小娘は話しかけられなかったし、向こうも鼻も引っかけてくれなかった。
それは余談だけど、アシッドジャズの潮流はものすごいインパクトで、海外勢だとインコグニート、ガリアーノ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、アーバン・スピーシーズなどいろんな解釈が生まれてた。
ここで、歌姫。Monday満ちるさん。
UFOの『My foolish Dream』にも参加していて、20年経った今聴いてもカッコいい。
MONDO GROSSOやKyoto Jazz Massiveともコラボしてたし。
この人を平成の歌姫に入れなきゃダメだろ!と私は思うわけで。
で、渋谷方面だと、ラブ・タンバリンズのエリさんも外せない。
あの頃、「渋谷系ってフリッパーズ・ギターとかカヒミ・カリィでしょ?」みたいな空気も一定あって、実際モダンで洒落た感じ=渋谷系というイメージが強かったと記憶してるのだけど、カヒミ・カリィさんと同じクルーエルレコーズから出たと思ったら、めっちゃファンク。
初めて聞いたのが「ミッドナイトパレード」で、イントロからしてやられ、続くヴォーカルに完全ノックアウト。
Say No!のアジテートは、時代に翻弄される怒れるロスジェネ世代として、ものすごくしびれた。Mondayさんもそうだけど、全英語詩で歌う人って当事まだ珍しかった記憶。
80年代が電子音楽的だったせいなのか、こう振り返ってみるとアコースティックさ、みたいなものと夜の街が融合した空気感が平成のあの頃聴いてた音楽に欠かせないエッセンスだったと記憶している。
ジャンルで言うと、ジャズ、ソウル。
そして忘れちゃいけないのがボッサね。
そのすべてのエッセンスを兼ね備えていたのが、Port of Notesだし、畠山美由紀さんじゃないかなと思う。
郷愁を感じるこの声は、ホント唯一無二。
キリがないのでいったんこの辺で。
3人の今の輝きも、ぜひチェックしてみてください。
今後も、ちょいちょいと平成の街の匂いを記録していきたい。
(あの時代、ネットに残ってないもんね)
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