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なるようになっている


昔は自分を含めて
ケガや病気に見舞われた人を見ると
100%ではないにしろ本人に何かしら原因があるし
本人が何かよろしくない行動してるからでしょ?
と思っていた

生まれつきのものでないのなら
きっと何かしら
本人が責められるべき行為をしているはずだ
じゃないとその結果は出ないと決めつけて
自業自得だと冷たい視線を送り
それ以上考えないようにしていた
 
そう決めつけないと落ち着かないというか
何らかの理由があってのその結果じゃないと
ケガや病という現象を
頭が納得してくれなかった

生活習慣 食生活 睡眠時間
行動のクセ 思考の頑固さ 体の手入れ
自分の体に合わない食習慣

体の不調から本人が学ばず
もしくは気づかないフリをし
物や嗜好品 荒れた行動
よくないと知りつつ続けている習慣など
他のもので誤魔化して
本当に悪くなるまで放置するから
そうなって当然だと思っていた

ただ いつの頃からか
重病や難病になった人を知っても
「本人のせいではない」という目で
見つめている自分がいることに気がついた

そうなる前に何かあったでしょ
よろしくない習慣が何かあったはずだ という
なぜか自分を不快にさせる思考が
完全に消えたわけではないにしろ 薄く小さくなり
気にならないようになっていた
(不快になるのはおそらく自己の恐れや映し鏡として見えているから)

原因がはっきりしているにしても
その人が抱えているかもしれない事情を
もっと大きな範囲で想像できるようになったからかもしれない


仕事が忙しい
体を考える余裕がない
家庭の事情で自分の面倒が二の次になる
暴飲暴食にもあらゆる理由が隠れている

体調がおかしくならないと止まらない人もいる
おかしくなっても何もできない人もいる
何もしない人がいてもいい
その習慣が自然だと思い むしろいいと感じている
そういうものだという不動の精神で生きている

その人自身が持っているペースがある
すべての人が同じペースでなくてもいい
あらゆる人のペースが同じ方がむしろおかしい

などとその人の背景を広く想像するから
本人は何も悪くないと思えているような気がする

責任を取りたくないとか
無責任でいい と言っているわけではなく
本当にそう思えるんだから仕方がない

あ~そうなるようになってたんだなぁ
なるようになっただけのことであって
今後どうするかは本人次第
当事者がその時一番いいと思えることを
考えられる時もあれば
今はそんな余裕がないこともある

でもそれもこれも全部含めてOKなんだなぁ
そこからまた動けばいいさぁ
その人はその人なりの成果をその経験から得るだろうし
ただ苦しいだけで終わらないだろう
本人はそれで終わったとしても
周りの人に与える学びが大きい場合もある


という ゆるゆる思考に落ち着くようになった

そんな色々なものを許せる感覚に
心地よさを感じていた時に読んだのがこの本


医師が見てきた医療現場だから
当然 病の見本市のような職場だったらしいが
この医師がこの本に書いているのは
ケガや病気に対する具体的な対処法ではなかった

もちろん現場では最善の治療をし
生活習慣を助言したり
病気予防を提言したりするのだろうが
どちらかというと

分かる時に分かる
起きることは起きる
そうなるようになっている


という発想で
健康を必要以上に強要するわけでもなく
淡々と人間を見つめた結果が書かれている
と自分は感じた

いのちのことについては
患者さんをひとまとめに見て考えない
同じ病でも個別に考えて 十人十色の対処をする
その人に見合った理解の瞬間が訪れる

そんな学びを教えてくれる本だった

要するに年齢を重ねて「まるく」なったのかな?

やれやれ なるようになっている (^^;)

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