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砂の女/安部公房

「鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。(略)色も、匂いもない、砂との戦いを通じて、その二つの自由の関係を追求してみたのが、この作品である。砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分かるまい」

安部公房

蟻地獄にいざなわれ抜け出すことのできない砂。罠に足を踏み入れた男。逃したくない女。観察している村人。
口の中がざらつく。

ヤマザキマリ様が解説してくれた100分 de 名著。第3回までみて居ても立ってもいられなくなった。最終の第4回を共に迎えたい。

自由な生き方に憧れ管理社会に反発していた男が、いざ危機的状況に陥ったとき、社会に登録された自分の属性にすがりつく。

あまりにも常軌を逸した出来事だ。ちゃんとした戸籍をもち、職業につき、税金もおさめていれば、医療保険証も持っている。一人前の人間を、まるで鼠か昆虫みたいに、わなにかけて捕らえるなどということが、許されていいものだろうか。

だがそれもここでは脅しにもならない。

しばらくして、いたわるように、女がぽつりと言った。
「ごはんの支度にしましょうか?」

「なにね、あれから十日も経ったが、べつに駐在からの、沙汰があったわけじゃなし……」

自由を求めてやってきた村に捕らわれ、自由を取り戻したいと抗う男。
自由とは自分と反対側にあるのだろうか。

観念してこの家で一生砂を掻いて暮らすと、腹を括ったフリをし機会を伺う。安心した女が「お金を貯めてラジオと鏡を買いたい」と少し先の未来を語る。

ラジオは自分が大きな社会の一部であると自覚させるもの。鏡は己の存在を認識させるもの。どちらも他人(男)の存在が前提にある。

男は策を講じて逃げるが失敗し、連れ戻される。崩れ始めた砂のトンネルのような絶望。息をすることも苦しい。

数か月後、穴の中で《希望》を見つける。

いぜんとして、穴の底であることに変わりはないのに、まるで高い塔の上にのぼったような気分である。世界が、裏返しになって、突起と窪みが、逆さになったのかもしれない。(略)
穴の中にいながら、すでに穴の外にいるようなものだった。

異様に拡大された細部ばかりに囚われていたが、広角レンズをつけた眼で見渡せば世界の見え方がガラリと変わる。

年が明け春が来て、脱出の機会がふいに訪れた。縄梯子を登って崖の上に立った男は、逃げることも留まることも自分で選べる自由を実感する。
いつでもどこにでも行ける自由の切符を手にして、男は穴の中に戻った。
解放されることが自由ではない。

七年後、社会からある宣告を受ける。

第4回を拍手で閉じる。
深く深く砂に潜っていた私は、やっと呼吸が楽になる。

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