船越先生
すみません。
あまりにもダイレクトすぎて申し訳ありません。
まだ、ご存命であれば何歳におなりでしょうか、私が高校2年生の担任の
先生は、私の大恩人です。
船越先生は物理の教師でお茶の水博士のようなヘアスタイルで、本当に
白衣を着ておられました。
お顔はドイツ人のハーフかなと当時勝手に思っていました。
鷲鼻で背が高くて、掘りの深いお顔立ちでした。
私はこうしてこの年で本を読んだり、アニメを見たり、映画やドラマに
涙しています。
本来なら、物理で赤点をとり落第して、高校中退するはずでした。
しかし、一学期の中間試験のあとで、ほぼ0点を三角を3つ無理につけて
答案を返却して、私を理科棟に呼び出しました。
これはなんだろうと、混乱する意識の中で、
「これはほんま、0点。でも0点とると即アウト」
「すみません、温情ですか?」
「授業中は寝てないし、ちゃんと板書してるからな。かわいそうだと思った。けど、こんなあほは久しぶり」
「一年の時から数学と科学で補修してきたけど、物理なんかできるはずないとわかっていました。すみません、馬鹿で」
「これから、毎日弁当持って昼休み、ここへ来て勉強したらなんとか
してやる。それでも5回の試験足して100点にならないと落第や」
春夏、秋冬。
毎日理科棟で、生物や化学、地学の先生方の中で
私はこそこそと茶色い貧乏弁当を食べて、結局最高得点は35点で
船越先生は、
「よく頑張ったけど、ほんま、あほやな」
「私、落第ですか?」
「会議で無理に通しておいたから三年生になれるぞ。バレたらあかんし
だれにも言うなよ。あとは駅前で制服のまま、パチンコしてからバイトに
行くのはやめろ。停学になるぞ」
「はい」
一度だけ、パチンコやの隣に先生が座ったことがあった。
そして夏休みの前に森村君がこの世を去った。
クラスのみんなで泣いた。
彼のいない文化祭、仮装行列のとき、一休さんのコスプレ衣装を
家にある生地を使いミシンで作った。もちろん船越先生は和尚さんで
ご自分で白い襦袢を用意してくださったので、黒い袈裟みたいなモノを
掛けさせていただいたときに、
「これ、おまえがつくったんか?」
「はい、生地がなんでか知りませんが馬鹿みたいに
あったんですよ。親父が仕事で大きな工場に行ったとき
いらないから捨てる場所にあり、貰ってきたみたいです」
「あ、生地じゃなくて、おまえ、案外器用なんだな」
「あほですけど、ミシンは使えるんですよ」
夏休み明けにUボートの映画鑑賞文が学校新聞に載り、校外のコンテストに出たときも、先生は、
「おまえは理数だけが全然できないだけなんや。かわいそうやな」
「それは、嫌みですか? 同情ですか」
「いや、ただの感想」
三年生は船越先生が二年生の担任になられて
私はおばさんの先生が担任だったが、全く人間味がなくて
好きになれなかった。
卒業式の日。
式が終わって船越先生のところへ行くと今までの
お礼を述べた。
「おまえ、大学は?」
「はい、英文科」
「わしのおかげや」
「だからこうしてお礼に来ました」
全く何もいいことのない高校生活。
祖母が亡くなって、友人も見送り、哀しい思い出ばかり。
でも、たくさん恩師はおられるのですが、船越先生が
おられなければ、今の私はありません。
本当にありがとうございました。
有名作家にはなれそうもありませんが、私もあちらへ行くときは
紙の本をお持ちいたします。
そのときはわらいながら、
「あほが書いた本はおもしろいんか?」
笑いながら
受け取ってくださいますか?
了
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