公立学校教諭の僕が育休をとった理由

おはようございます!現在育休を連続取得中のマサムネです。
今日は育休をとった経緯について。。。

飾らず本音で、結論からいうと
「現場から離れたかった。」これがかなり大きいです。
少し分けてみていくと、

①現場でのやりたいことと、やっていいことの差が大きすぎて、自己一致しなさすぎた。
②世の中の新しい生き方と教師の姿の乖離、これからの世の中の求める人材と学校で育てている子どもたちの姿との乖離、これらに危機感を強く抱いた。
③当時隆盛してきていた「個人をブランディングしつつ信用を貯める」を体験したかった。

このあたりです。
あ、もちろん子育てバッチリ自分でやって奥さんの負担を減らしたかったのも大きな理由ですが、そこは当然のこととして。。。
結論は出たのでこれ以降は読まなくても大丈夫です(笑)長いですよ:ハハハ::+1:

私の状況をざっくり説明すると、
2018年8月より第一子の育休をとりまして、現在はこの4月に生まれた第二子の育休に突入しています。
2015年頃にアドラー心理学の関連書籍を読み漁り、2016年の転勤と同時にアドラー心理学の学級経営を開始しました。
その中で、「叱らず褒めない、子どもと横の関係を築いていく」という教育を実践し、その可能性を見ました。

しかし、大きなニつの障壁にぶち当たったように思います。
一つは、子どもたち自身のマインドセットです。物心つく頃から大人になるまで、大半の子どもたちが管理教育を(家庭でも学校でも)受け、気持ちが自立せず大人を自分たちと対等な相手とは認識していません。
彼らは都合の良いときは子どもであることを利用し、都合の悪いときは子どもであることに憤ります。教育によって子どもたちが自立とは真逆の位置にいることを知りました。
でもこれはいいんです。それを彼らと一緒に考えていくことが自分のやるべきことだと捉えていたので。ここにリソースを割くことは、大変ではありましたが苦痛ではありませんでした。

二つ目にして最大の障壁は、公立中学のシステムのもとアドラーを実践することです。
公立のシステム下で教員がキャリアを重ねていくと、それぞれに変化を遂げていくように思います。私の見る限り大きく3パターンで、

①理想と現実との差に嫌気が差し、辞めてしまうか、心に蓋をしてしまうか、②のフェーズに移行してしまう教師。(ごく一部)
②多少の不満はあるものの学校教育に馴染んでいき、自分の中である程度折り合いをつけて仕事に取り組む教師。(大半がコレ)
③公立学校の教育とはこれだというような思想にしっかりと染まり、管理教育の権化のようになってしまう教師。(ごく一部)
大半の方が②で、それぞれに①か③のどちらかに偏りがある。。。というイメージでしょうか。

社会の要請と学校のシステムに整合性がとれていないうえに、学校のシステムは③のような方を一部生み出してしまうわけです。
この辺がキツいなーと毎日辟易としていた&自己研鑽したかったというのが大きな理由でしょうか。
あとは上記のようなことで学校で消耗してヘトヘトになり、自分の子どもをしっかり見られないのは本末転倒だとも思いました。

なっが(笑)

最後まで読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
次回は育休を取得するときの罪悪感について書きます:スマイリー:

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