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ソムリエの仕事とは

そもそもソムリエの仕事とはなんだろう。働いていた無国籍系フレンチでの一日はこうだ。出勤は朝9時もしくは11時。9時の時はフロア全体の掃除から始まる。実質の仕事はホールスタッフが全員出勤してくる11時からだ。営業前のソムリエとしての仕事は前日までのワイン売上と利益率を朝のミーティングで発表するために集計データを見ることと、欠品や品薄ワインの把握だ。朝のミーティングは全フロアのホールスタッフが集まり立ったままで10分、フロアキャプテンの1人の仕切りで行う。予約状況の共有が最も大事な項目。予約人数と回転数見込み、VIP顧客(フランス料理店ではソワニエという)、誕生日や記念日ご利用など特に注意を払うべきお客様の情報共有だ。続いて料理の変更。入らない素材があったりしてメニュー内の料理が変更になったり、特別な食材が入った時の特別メニューの説明がある。ソムリエとしてはこれを聞いてワインの組み合わせを考えるのだ。一致団結の掛け声の後はフロアに散る。1階28テーブルは3つのエリアに分けられ、それぞれにウエイター1人とバックウエイターと呼ぶ補佐を1人で6人。加えてフルバックという全フロアのパンやコーヒーなどを用意する担当と、ビールやカクテルなどを作るバーマン。さらに当時はハンディターミナルが実用化されておらず、オーダーをPOSシステムに入力するPOS担の9人がサービス担当だ。キャプテンは予約の入り方、各ウエイターの力量やスタッフ同士の相性を考えながらエリア担当を決めていく。ソムリエとしてはグラスワインの品質チェックや十分な量をセラーから出しておくなどの業務がある。これをミーティングから開店までのわずか10分で決め、全スタッフに伝達しなければならない。時間との勝負。

ランチオープンは11:30。キッチンとフロントスタッフにホール準備が整ったことを知らせる。開店だ。フロントにはすでに来店のお客様が列をなしている。28テーブルが一斉に埋まり各バックウエイターが食前酒のオーダーを取りに行く。ソムリエとしてはここで目を光らせなければならない。ランチのお客様はおすすめしない限りは飲料をオーダーすることはない。このレストランでは飲料のオーダーを断ったお客様のみ最初に水を出すルールになっていた。そこでバックウエイターは全てのお客様に今月のおすすめワインのメニューを出し、いかがですか?の声をかける。どんなに忙しくてもだ。なかなか難しい。そこでソムリエの重要な仕事は、その日最初のお客様にワインをオーダーして頂くことだ。ワインというのは不思議なもので、隣のテーブルが飲んでいるとなんとなく飲みたくなるものなので、その連鎖反応を狙う。なるべく目立つテーブル位置の「いい感じ」のお客様に最高の笑顔とさりげないおすすめでグラスワインをオーダーしていただく。簡単ではないが、スリリングでやりがいのある仕事だ。接客の技量が試される。

一通りの飲料と食事のオーダーが通り、テーブルに白・赤ワインやカラフルなカクテルのグラスが並び、美味しそうな香りがホールを満たし始める。ランチは前菜一皿にメイン料理、デザートとコーヒーという流れ。また時間がない方もいらっしゃるので、スピーディーに進めていく。着席から20分以内にメイン料理が出せれば安心だ。ところがそうはうまくいかない。オーダーが集中して料理がなかなか出てこないことや、前菜のお皿があと一口残ったままおしゃべりに夢中なお客様がいらっしゃるとヒヤヒヤさせられる。ランチ2回転目の予約は13時以降にしているのだが、それでも早くいらしたお客様をお待たせしたくはないし、可能であればフリーのお客様にもせっかくだから食べて帰っていただきたい。ランチは14時ラストオーダー、14:30閉店。続けてティータイム営業に休みなく入る。なにしろティータイムは5回転以上なので、むしろランチ以上の戦場ぶりなのだが、ソムリエとしてはこの時間にやらなければならないことが山積なのだ。ティータイム営業を信頼できるスタッフに任せてバックヤードに入る。

まずは納品されたワインをチェックしてセラーに収める。同時にランチで使用したグラスワインの補充。ワイン業者との商談。グラスの拭き上げ。あっという間に17時近くに。このレストランは16時から17時がまかないタイムなのだが、いつも立ったまま10分で食べる。他のスタッフはビュッフェスタイルで会話を楽しみながら勤務中唯一のリラックスタイムを過ごしているのだが、ソムリエには無縁だった。

17:30からはディナー向けのミーティング。テーブルとセラーを再チェックして、ランチ同様スタッフを割り振ると18:00のディナーオープン。いらっしゃいませのトーンを少し落としてリラックスムードを演出しようとするがやはり目まぐるしい。あっという間に全テーブルが埋まる。ディナーこそファーストワインは勝負だ。全スタッフにはグラスシャンパンもしくは季節のシャンパンカクテルを勧めるように言ってある。食事のオーダーが入り始め、シェフが大きな声で次々とフランス語でオーダーを通していくのを聞きながら全テーブルのドリンク提供状況を確認するのがこの店でのソムリエの役目。アルコールを飲めないお客様以外はワインの注文をいただける可能性がある。可能性高いテーブルがどんなメニューをオーダーしたかをチェック。それぞれのおすすめワインを頭に入れた上で最初の一皿を担当テーブルに運ぶ。

ソムリエの仕事の一つとしてサービススタッフにワインの基礎的知識とサービスの研修がある。中でも最も大事なのは「ワインは黙っていたら絶対オーダーされない」ため必ずおすすめの一言を添えるサービスを行う事を教える。もちろん100近く並んでいるリストのワインの全てを把握してもらうのは酷だ。なにしろ研修は営業終了後の疲れている中、週1度、30分程度がやっとだからだ。そこでこのレストランでは月替りのおすすめワインリストを採用していた。ワインの輸入業者と商談し、1杯800円で販売できる価格帯と1000〜1200円の価格帯で赤白揃え、4種類のおすすめリストを毎月用意していた。スタッフへの研修ではこのワインを試飲してもらいながら、一言おすすめコメントと料理との相性を伝える。やはり自分が「おいしい」という体験をしてないものはお勧めできないからだ。特に当時ではワインはまだまだ特別なものというイメージが強かった。そこでスタッフからの一言でお客様も「せっかくだから1杯だけ」という気になるのだ。

ディナーテーブルのチェックに戻ると、ほぼ全てのテーブルにグラスシャンパンやワインが並んでいる。研修の成果が出てほっとしていると若いスタッフから声がかかる。19番テーブルの5名のグループがボトルワインを頼みたいのでアドバイスしてくれないか、と。やっと「ソムリエっぽい」仕事の時間だ。先ほど頭に入れておいたメニューと合わせた価格帯の違う3種類の白ワインと6種類の赤ワインの候補を思い描きながら19番テーブルへ。どうやら職場の部署の会食らしい。ワインリストとにらめっこしているのは若い女性社員。隣は上司らしい中年男性。その他に男性2人、女性1人の構成だ。すでにテーブルにはグラスシャンパン、ライトなカクテル、ビールなどが並んでいた。それとなくテーブル脇を通る際に聞いていた会話では、ワインリストを手にしている女性の誕生日で、上司がご馳走してくれるようだ。メニューは最もベーシックなAコース(5000円)を全員がオーダーしている。現時点で税サ別で30000円。上司がおごるのであれば税サ別で50000円がMAXだろう。ワイン予算は20000円。酒量は3本として1本6600円平均。とここまでイメージしてテーブルに付き、上司と思われる男性に「ワインはいかがなさいますか?」と声をかける。どうやらバースデーガールが遠慮してグラスワインでいいと言っているのだが、上司に好きなもの頼めよと言われて悩んでいるようだ。そこでその方と上司の間に立ち、イメージしていた白ワインの真ん中の価格帯である8000円ワインの「価格」を上司に見えるように指差しながら、「今日の皆さんの料理とぴったりのこの白ワインでお始めになるのはいかがでしょうか?そしてメイン料理に合わせて2種類くらいの赤ワインですと素敵なディナーになりますよ」と説明。上司からは「ではそうしよう」と好反応、バースデーガールからもほっとした雰囲気が伝わってきた。その足でセラーに向かい、注文の白ワインを取り出し、ワインクーラーというステンレスのバケツにクラッシュアイスと水を入れて先ほどのテーブルにホストテイスティングのために戻る。樽発酵熟成されたシャルドネ なのであまり冷やす必要はない。先ほどの上司にホストテイスティングをお願いすると「僕はワインは詳しくないから、君やってくれ」ともう1人の男性社員を指さした。そこで「テイスティングは振る舞う方が、ワインがちゃんとしたものかを確認していただくためなんですよ」とやんわりと言いながらコルクを抜き、上司のグラスに少しだけ注いだ。「ワインは普段飲まないからなぁ」と呟きながらテイスティングしていただくと、上司の目が輝き「お、これはうまいな!」と。成功だ。テーブル担当ウエイターに、グラスが空にならないよう注意する様にと促しながら、ボトルが残り1/4になったら呼びにくるようにと伝える。自分の担当エリアに戻り、不在の間、1人でエリアで奮闘してくれていたバックウエイターに感謝しながらサービスを続けた。赤2種類も同じ流れで喜んでいただき、予約表にはなかったが全ウエイターでのハッピーバースデーの歌とポラロイド(現代語訳ではチェキ)サービスをしてあげるとバースデーガールは目に涙を浮かべて喜んでいた。激務を癒してくれるのはこういう時だ。

21:30のラストオーダーを通し、満足げなお客様が徐々にお帰りになられると、ソムリエのもう一つの重要な仕事に入る。セラーに戻り在庫の確認と発注だ。毎週水曜日には週末の婚礼パーティー用の発注もしなければならない。2箇所の酒屋にFAXを終えるとやっと一息だ。時計を見ると23:00を過ぎている。今日もあっという間の1日だった。

レストランによってソムリエの業務内容は違うのはもちろんだが、ワインを通じてお客様に満足な時間を過ごしてもらうために奮闘しているのは共通だと思う。ぜひ次回レストランにいく機会があったらワインを注文し、スタッフとの会話を楽しんでいただけると嬉しい。


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