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ワインを仕事にする

ワインの世界で仕事をするようになって四半世紀が過ぎた。ワインに出会った21歳の時にはまさか職業に選ぶとは想像もしなかった。音大3年生を休学しての留学。英語も自由に使いこなす国際的な声楽家を目指して渡ったカリフォルニアで自分の井の中の蛙ぶりに愕然とした。声楽のレッスンに通うようになったが、レッスンでは来る日も来る日もコペルティエから(ボイストレーナー兼ピアニストのような方)英語、イタリア語の発音直し。先生の前で歌わせてもらえない。(今から思えば英語の発音もままならないまま歌っても伝わらないと先生はお考えだったのだろう)才能がないのか・・・その思いが頭をよぎる中、出会ったのがカリフォルニアのワインだった。

1980年台後半、日本ではワインといえば話題になり始めたボージョレーヌーボーくらいで、一般的にはお金持ちがホテルのフレンチで飲むくらいのイメージしかなかった。店頭で売っているのもデパートの酒売り場の奥にうやうやしく置かれており、庶民には縁遠いものだった。それがカリフォルニアのスーパーに行って驚いた。10メートル近くある棚にずらっとワインが並んでいる。しかもほとんどが数百円からせいぜい高くても2000円。一方レストランに行けばファミレスにまで1杯数百円のグラスワインが数種類。ワインが生活に密着していた。もう一つの驚きがほとんどが地元カリフォルニア産だ。日本ではワインといえばフランス。アメリカでワインを作っていることなど知らなかった。たちまちファンになった。

1年の休学のつもりがすっかりカリフォルニアに魅了され正式に転校。結局7年を過ごして帰国したタイミングはバブル崩壊とぴったり一致してしまった。留学中に現地で面接をしてもらい、好感触だった各社も門前払い。生活していなければならない現実。唯一受け入れてくれたのは地元のレストランだった。カリフォルニアで出会ったワインを多くの人に飲んでもらいたい。だがそこはレストランというよりはカジュアルなダイニングバーで、ワインよりカクテルやビールを頼む方がほとんど。ワインは数アイテム置いていたが、当然フランス。棚で埃をかぶっていた。

その頃世界ソムリエコンクールが東京で行われ、田崎真也が優勝。ソムリエという職業が認知されるようになった。ソムリエになりたい。漠然と思うようになった。

そんな中、思いがけない出来事が起こった。フランスが世界の反対を押し切って南太平洋ムルロア環礁で地上核実験を行ったのだ。世界規模でのフランス製品ボイコットが起こったのだ。勤務していたレストランのオーナーも敏感に反応。フランスワインの取り扱いをやめることなり、新しいワインのセレクションを任されたのだった。カリフォルニアだけで組みたかったのだが、当時の日本への輸入はわずかで、地方都市の酒屋で手に入るのはモンダヴィのウッドブリッジのみだった。そこでスパークリングはスペイン。ワインはカリフォルニア、イタリア、スペインで10アイテムのワインリストを作成した。お客様にお勧めしてみると手ごろな割にはおいしいと評判が良く、注文が増えた。楽しい。漠然とした思いは現実的な願いに変わった。ソムリエになるにはどうしたらいいのか。それについては次回また。


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