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人はなぜ表現をするのか

自分が通っているムサビの大学院コースでは、平日は実践的なデザイン理論を学ぶことが多いが、土曜日にデザインやアートの制作を行う授業がある。
年度最後の締めくくりの授業は、
「何を製作しても良い」
という、いかにも美大らしい課題であった。

自分は大好きな油絵で、大好きなサーフィンをしているときに感じる、自分の状態、見えている景色を再構築して描くことにした。
一心不乱に6時間ほど描き続けた。

海との関係

土曜日の授業は毎回テーマ設定が面白く、初回は「自分が思うアヒルを製作る」というものから始まり、人物デッサンをやったり、好きな小説の一節を製作物で表現したりしてきた。
毎回、楽しく、夢中に表現を続けてきたのだが、「何かを表現する」ということは、かなりエネルギーのいることで、美大に入ったばかりの頃は、「自由に表現して」と言われても、戸惑ってしまう状態であった。
しかし、今となっては「表現する」ということの楽しさや喜びを知ってしまい、そのために多くの時間を使っている。授業以外でもだ。
この実体験から行き着いたのが、

「人はなぜ表現するのか」

というテーマだ。
自分の場合、言葉では表現しきれない体験を絵であれば表現できる。
海で、サーフィンで、受け取ったローデータとしての情報を、日本語にした途端一気に情報量が落ちてしまう。
「浮遊感が気持ちいい」「波の飛沫が心地よい」など、特に経験したことがない人には想像も難しい。しかし、絵という造形言語に表現すれば、五感で感じたことを日本語以上に表現できると感じている。


サーフ
墨 画用紙

表現することによって、当事者の中で体験をどう捉えていたのかを、客観的に発見できる、と感じている。
ところで、その表現をしようという動機や実際に制作するモチベーションはどこからくるのか、表現としての再作活動中、自分の脳や体、心はどのように変化しているのか、、、興味が尽きない。

表現とは一体何なのか、表現をする、というメカニズはどういったものなのか、そういったことを解き明かしていきたいと思う。

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