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キリスト教の聖地巡礼を題材にした映画「星の旅人たち」を観た感想。
Amazonプライムを適当に漁っていると、一本の映画に興味を惹かれた。
「星の旅人たち」。
旅という言葉に弱い。
星という言葉にも弱い。
あらすじには、こう書かれてある。
人生と巡礼の“道”の果てに、人は知らない自分を発見する。さあ、人生の旅に出かけよう! 亡き息子のバックパックを背に歩きはじめた聖地巡礼の道。それは“星の平原”と呼ばれる、世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラへの800km。人生の道を見失った初老の男は、何を想い、旅に出るのか? そして巡礼の旅で、何を見い出すのか? 生きる歓び、そして新しい自分との出会いを描いた人生賛歌映画!
このあらすじを見るまで、キリスト教に聖地巡礼があることを知らなかった。と言うより、「聖地巡礼」というと、アニメのロケ地を巡る言葉のほうが馴染み深い。
お遍路みたいなものなのかな?と考えながら映画を観た。
巡礼路を、ただただ歩く
息子の果たせなかった巡礼を、主人公である父親が代わりに行う。
何が起こる訳でもない、何かを訴えてくるわけでもない。ただただ巡礼をしていく映画。
歩いて歩いて、人と出会い別れる。それを繰り返す。たまたま出会った人たちと、話しながら歩く。
人と話をしながら歩いてはいるが、
たぶん、それは自分と話をしているのだろう。
人と話しているようで、自分と話しながら歩いているのだと思う。
目的地を目指し、1日数十km、約1か月も歩き続ける。途方もない道のり。
アクションやミステリー、サスペンスが好きな人には物足りないのかもしれない。が、私には刺さるものが多かった。
興味深かったのが、主人公が出会う人の中に小説家がいたということ。
その小説家は、小説の題材を探す為に巡礼をしているのだそう。そのような気持ちで巡礼をしてもいいのか、と驚いた。
ただ話が進むにつれ、小説家に魅力を感じるようになった。小説家は、人の生き様、人とは何たるかを残していける人たちなのだと思った。
ひとつのことに集中する
巡礼で歩く距離は「800km」。
調べてみると、東京駅から広島駅までの距離に相当するらしい。
それだけの距離を、ただ目的地(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)だけを目指して歩く。
1日に数十kmも歩いていると、おそらく前に進むことだけを考え、雑念が無くなっていくのだと思う。
最近、何かひとつのことに集中するということが、自分にどれだけ良い影響を与えているのかということ考えるようになった。
テレビを観たり、YouTubeを観たり、ショート動画を観ていると、頭の中がいらないものでパンパンに膨れ上がるような感覚がある。
観ている間は「楽しんでいるぞ!」という気分が強いが、観終わった後には、何も残らない。「楽しかった」という記憶も残らない。何も残らない。そんな気がしている。
ただ、ひとつのことに集中する、例えば読書・映画・散歩、これらは頭の中がスッキリと整理されている気がする。
巡礼を歩く期間は、1日30km歩いたとしても30日ほど。
その期間、ただひとつのことだけを考えて歩くと、どれだけ内省を繰り返すことになるのだろうか。目的地に着いた時に何を思うのだろうか。
私の死ぬまでに行きたい場所に「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」が追加された。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。この先の有料部分では「日記」や「他愛もない話」をつらつらと書いていきます。
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