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初めに ~誰のための、何のための持続可能な社会か~

発端は、このコロナ禍にされた元ZOZOの前澤氏の発表だった。
地元の経済のために20億寄付する、と。
正直彼のことをまあ嫌いな感じではあったのだけど、これには並みならぬショックを受けた。
その後なんかやり玉に挙げられてたみたいだけど、その真偽はあまり関係ない。それで20億の価値が16億円とかに下がるわけではない。
それでオレが彼を好きになったわけでもない。
ただ、困っている店や企業を行政や政治に任せず、自分で資産を還元し支援することを選び実行した。他に資産家で同じようなことをした人が思い当たらない(いるのかもしれないが、日本人は寄付などをしたことを隠したがる傾向がある。もっとオープンでいいのに)。
オレは彼がただ利己的な理由で稼いできたのかと思っていたし、彼がいくらため込んでいるかもしらないが、それでも20億という額を惜しみなく手渡した、という行為はどんな理由であれ、どんな人格であれ、すごいことだと思った。

どうしようもないほどの資本主義の世の中で、救いの手になるのは制度ではなく、こうした人の手による支えなのではないか。どんなに合理的にシステム化されていても結局どれだけ社会のことを思いやれる人間が育つかが一番の課題であり、必要とされていることに思う。

そしてオレは自分を翻ってみた。
オレは常に自分の内側に焦点をあて、自分が人生でどんな経験を積んで、何を感じていくのか、ということに向かい合っていたし、それが一番大事だとも思っていた。
特に一昨年から2年程度メンタルコーチングを受けて、自分がどんな気質を持っていて今どんな状態なのか、大事な価値観は何なのか、自分の人生の目標は何なのかということを掘り下げていった結果、その場の感情に支配されずいつも心を整えた状態でいることの大事さを学んだし、実際日々の暮らしを整えて、その日を満足して過ごしていく、ということが人生の目標そのものだ、という結論にいたったのだ。それによってだいぶオレの日常の過ごし方は改善してきたから、なおさら内省を大事に自分の状態を注意しながら見ることを大事にしてきた。

だが前澤氏のニュースは、オレにある思いを湧きあがらせた。
オレが向かい会い続けているオレの内面は、死んだら何になるんだ?どんだけ心穏やかに仙人か聖人になったところで、死んだら身体ごと燃え尽きちまうだけだぞ?心の内側なんて何も持っていけやしない。

そしてオレはもう40歳を超えて数年経った。アクティブに動ける年齢を考えれば、もうあと30数年のリミットが見えてきた。いつまで自分と見つめ続ける気だ?

そんなオレは世界のだれもが困っているときに、助けを待つ方にいてばかりでいいのか?
はっきり言えば今結構困っている。明日には資金ショートしそうな状況で何とかつないでいる最中、他人様のことを考えている暇はない。
それでもオレはその先のことに向かうべきだと感じた。インパクト的には20億を何の躊躇なく寄付するぐらいの行動をとれる人生をこれから目指したらどうだ?

いや経済面からだけでない。むしろコロナ禍は金が無意味になる可能性すら示してきた。オレがやるべきことは環境面や人間面で、これから未来を生きる次世代の人間たち、もっと先の世代にまでつながる人間の歴史につなぐための行動をしていくこと。

誰にでも愛想よく振舞ってへーこら言ってる自分をこの先も続けるより、多少欠陥のある人間のままだったとして、子どもたちのために行動し、社会を変えていくことに取り組むのがオレにとっての人生の意味なんじゃないのか?

まずは食糧が生産できる今の農地を守ること。今回のコロナ禍のようにいざというときに食べるものがあること。水源も忘れてはいけない。材にもなるしエネルギー源、食糧源ともなる山も、持続的に循環させながら人が生きていくのに役に立つ状態を保つこと。農地や山を換金対象にしか見ない視線に疑問を持つことも大事だ。
そして例えこの地域が外部と遮断されたとしても(伝染病ならありえることだ)、生きつないでいくだけでなく、それでも生きることに意味を見出して、心豊かに人として暮らしていけること。
その営みを世代を超えて続けていける希望を人々が持てるように働きかけること。

そのうえでもっと人が分散してそれぞれの地域に活力が生まれるために、移住定住を進める活動をすること。
移住しようにも仕事がない人、仕事を求めに外に出てしまう人たちのために、働く場を作ること。

そして次の世代のために働いている人たちを支援、寄付すること。病気、災害、エネルギー問題、環境問題、彼らと一緒に次の世の中を作っていく。

行政や政治も大事だけど、人任せにしない。制度が悪い、世の中が悪いと罵るより前に、まずは自ら立ち上がる。小さくても事例を作ってみる。それ自体は小さく終わっても、後で誰かの手に拾われてで大きく広がっていく可能性があることはオレも経験している。

まだまだオレにもできる行動はたくさんある。とても書ききれない。けど少しずつしか、個人的なレベルでしか今はできない。でもできないからと言ってやらなければゼロ。
当然金がかかるものもある。その必要な金と時間を作るために、今の事業を成長させる。今の事業も人の豊かな心を育てるのに大いに役に立つことであることなのだから、一生懸命やる。

発信ならすぐできる。オレの考えていること、やってみて感じたこと。誰にでも響くことでなくてもいい。まとまった額の寄付ができなければ1円でも10円でもコンビニの募金箱に入れる。笑われてもいいが、いつかと思ってもそのいつかを決めるのは自分で、たいていそのいつかは来ない。

サスティナブル、持続可能な社会とは何のためにあるのか。
それは人が人として生き残るため、とはっきりとわかった。
決して趣味嗜好の分野ではない。そうとらえられがちな気がしていた。
生きるために必要だから、やる。
それも自分のためだけじゃない。子どもたちが、世界中の子どもたち、ずっと先の世代に人たちが生きられる世界・社会であるために。

ちょうどタイムリーにこんな動画を見つけた。

「人生の価値は、何を得るかではなく、何を残すかにある。」

オレは残り半分を切った人生で、何をどれだけ残せるか、やってみよう。


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