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荒廃した茶畑を再生して和紅茶ができるようになるまで(1)

近隣の集落の方が言っていたことが忘れられない。

人間何はなくても、米と味噌と、お茶があればいい感じに過ごせる

過酷な環境での海外駐在の経験もあるこの方いわく、そうしたところでもお茶があることで気持ちが和らぐ、のだと。

このコロナ禍でいろんな不安が頭をよぎっていた。もし物流が止まったら。もし移動制限が先々まで続いたら。

でもどんな世の中になっても、大きな災害や疫病によってこの地域だけ孤立しても、ここだったら外からの物資に頼らずとも心豊かな暮らしが続けられる確信がある。

なぜなら、米を育てる田んぼも、大豆を育てる畑も、気持ちを潤す茶畑もあるから。

ただ生き永らえるだけではない。人間が生きていくには心豊かさが必要だ。
そのために資源を大事にしていきたいのであって、地域経済を潤すという体で換金が最初に頭にあると、ただただ資源を食い潰していくだけになってしまうと危惧している。

何世代先もここに住む人たちがささやかな豊かさを享受して生きていけるように、今ある資源を大事に手入れして循環して使えるようにしていくことが、今生きる自分の仕事かと思う。

和紅茶とは

壮大な話から入った。今回は自分の茶畑から紅茶を作りだすに至ったストーリーをお話したい。

さて、和紅茶というジャンルをご存じだろうか。
日本茶向けの品種の茶葉を、紅茶に仕立てたので「和」紅茶という。
お茶というのは、同じ茶葉でも加工の仕方で、緑茶にもなるし紅茶にもなるし、ウーロン茶にもなる。
うちに、やぶきたという日本緑茶向けの品種の小さな茶畑がある。
その茶葉を紅茶にしはじめてから4年目を迎えた。

現在はポケットマルシェという農家直送のオンラインマルシェで販売している。

ちなみに、紅茶は茶葉を「発酵」して作る、という説明がされることがあるが、これは厳密には「酸化」である。
発酵は微生物の働きによって有機物に何らかの変化を起こすものだが、紅茶の場合微生物はここでは登場しない。茶葉を揉んだ際にできる傷が酸化することで茶葉の中の成分を変化させる。
紅茶を作りはじめてから知ったことだが、これを知ってからは「完全発酵紅茶」と銘打っている紅茶を見る目が変わってしまった。まあ「完全酸化紅茶」では何だか売れなさそうだからかもしれないけど。
詳しくは紅茶専門店の説明に任せる。

なぜ和紅茶を作るのか

自分ちの茶葉で紅茶を作るようになったいきさつを書く。
はじめて妻の実家を訪れたのは、まだ結婚する前の9年前だった。
新興住宅地育ちで横浜市街を生活の場にしていたオレには、田んぼのある家を訪れるのさえ初めての経験で、何もかも新鮮だったが、その中でもひときわ「田舎」を印象付けたのが、お茶畑だった。
もちろん教えてもらうまで何の樹だかも分からなかったのだが、何列にも連なって刈り込まれた樹々が家の前にある光景は、のどかさを象徴するようであった。
静岡などの産地に比べれば、ほぼ自家用にしかならない程度の茶畑だが、こうした茶畑を持っているおうちはこの辺りには結構多い。

このときは妻の祖父が手入れをしていたのだが、ほどなく亡くなられてからは状態があまり良くなくなっていた。虫食いで樹が枯れそうだったり、刈り込みすぎて樹を痛めたり。
自分の中の田舎を象徴する茶畑が荒れていく様子はオレもなんとかしたいという思いがあったが、同時に何か新しいことにチャレンジしたいとも思ってた。

茶畑がほぼ放置ぎみだったことが逆に幸いしてか、農薬も肥料も使っていない状態で何年か経っていたので、ただ今まで通り共同製茶場に出して、自分の茶葉も誰の茶葉も混ぜてしまうのでなく、新しい価値のあるものをここから生みだしたかった。

そんな時出会ったのが、豊橋のごとう製茶の後藤さんだった。


後藤さんは若き和紅茶アーティストとして、国産紅茶グランプリでグランプリ受賞をはじめ毎年受賞常連という、和紅茶界を牽引する一人だ。

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荒れ模様のうちの茶畑を見ても、普通に再生できると、栽培の仕方のいろはを教えてくれた。そしてうちの茶葉を彼の製茶場で紅茶に仕立ててくれることになったのが4年前のことだ。

長くなるので次回へ続く

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