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英会話は心を広げるツール

日本は大多数の国民が英語ができない、世界でも数少ない国のうちのひとつって知ってました?

世界でもトップクラスの自動車・電化製品・技術を世界マーケットに送り続け、日本食やアニメなどサブカルチャーでも世界に圧倒的なファンを作り出している日本人。何故、英語が(せめて英会話が)できないのか?

答えは簡単です。学校の英語の授業は日本人の英語の先生が日本語で英語を教えているから、がまず大きな理由。
世界中に移民を送り出しているインドでは、全教科を英語でも学びます。日本では「英語は全教科の中のひとつ」、全教科を日本語以外では学びません。

僕が永住しているオーストラリアではインドからの移民の皆さんが多く、移民後に早い段階で賃金もステイタスも高い仕事(銀行や医療機関など)に就けるのは、英語圏の公用語である英語がすでに流暢だからです。

じゃ〜、明日から学校で全教科を英語でも学びます!って言ったらひっくり返ってしまうのは、僕だけじゃないはず。「どうすればいいのよ〜?」
速攻で解決できる方法はありません。日本語でも何語でもそうですが、いかにその言語に浸っている時間が長いか?がカギです。

例えば、物心ついた子供時代に近くの友達と公園で遊ぶ、テレビでアニメや子供番組を観る、少し成長してコミック本や文庫本を読む、YouTube / TikTokでビデオを見る、人の会話を聞いて表現・言葉を知る、などなどを全部日本語でやっている。

だけでなく、英語でそれらをやってみる、或いは英語のものを見聞きする。部屋に貼っているポスターを英語のものに変える、など・・・つまり「英語の中に自分を浸す」です。
インターネットの普及で外国語習得は以前よりも遥かに克服しやすいものになっています。オンライン翻訳で意味や発音を調べるなんて、お茶の子さいさいですね。

では何故「英語・英会話」なのか?英語は世界の共通語だから。国連ではフランス語が共通語らしいですが、僕は国連にまだ参加したことがないし、これからも参加するかどうか疑わしい。ヨーロッパでもアジアでもみんな英会話で交流・情報交換しています。そう、アジアでもです。日本が位置するアジアでもです。

日本は国境をどこの国とも接していない孤立国。最近はお隣の韓国へ旅行に出かけたりコリアンの皆さんと交流をしたりと、活発な行き来が行われていますが、英会話をされるコリアンの皆さんも多いですよ。
僕が若い頃にヨーロッパをバッパーとして旅した時に痛感しました。「みんな英語でつるんでる!」って。多数の国が国境を接するヨーロッパ。似ているけどよくみると違う言語が使われているので、まさに「英語」は必需品。

では何故「外国人と交流」するべきなのか?

まず自国の文化・歴史・習慣などを自国語で学ぶ、は大事です。日本は特に素晴らしい文化や習慣・長い歴史があります。それは見逃さないようにしましょう。
その上で日本人特有の「外国人コンプレックス(何を話しているのかすらわからないゆえに、自分が劣っていると考えてしまう習性)」を取り除き、多くの違いこそあれ人間は全て同等であることを知る、ためです。

結局みんな同じ人間です。独り一人見てみればあなたと同じように彼氏や彼女のことで悩んでたり、仕事に一生懸命取り組んでいたり、今日の晩御飯は何にしようかと迷っていたり、決してエイリアンではありません。

そして、日本語しか理解できない日本人が陥りやすい「無知な偏狭者」になるのを防ぐため。何故「無知な偏狭者」になってはいけないのか?
いけなくはないです。「井の中の蛙、大海を知らず」に終わってしまうのが嫌なら、という前提付きです。

世界は大きいです。ラスタヘアの青年、タトゥーを腕に入れた女性、誰も着ていないようなファッションを自分なりに着こなしているおじさん、政治・コミュニティで聴衆を引っ張っていこうとしているおばさん・お姉さん。
世界は「みんな違うけど、尊重し合う人々」で溢れています。肌の色・目の色・第一言語・習慣、所変われば皆違います。

同じなのは「この世代に生まれた同じ人間」です。みんな自国を愛し、更に世界を実際に見て感じて「この一度限りの人生を謳歌」しているように僕の目には映ります。

それを可能にするひとつのツールが「英会話」だと強く実感します。