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怒りは、なぜ湧いてくるのか

『怒り』
と言う感情は、対等な相手にしか感じないもの。
なのかもしれない。

こちらの思いや考えが伝わる、と言う前提がある相手。
少なくとも伝わる可能性があるという前提のある相手。

1歳児が皿をぶん投げて、離乳食を飛び散らかせても、よっぽど余裕がない時以外は、親兄弟家族でなくとも、仕方ないね〜赤ちゃんだもんねってなるだろう。
完全に酔っ払って、全く理性が働いてない人の言うことは一切まともに受け取らない人が多いだろう。
呆れて果てたりはするかもしれないが。

相手がこちらの言うことを理解しない、出来ない状態であることが認識できると、怒りは湧いてこなくなるのではないか。
という仮説が浮かんで、自分の中で検証している。

怒りは、
「どうしてそんなことが出来るんだ! そんな酷いことはしちゃいけないと言うのは、当たり前の当然の大前提だろう!」
「わかって欲しい、わかってやめて欲しいのに、どうしてわかってもくれず、やめてもくれない? 酷い!」
と言う状況で湧いてくる感情なのではないか。

どれだけ何をしても、この人は、他者の気持ち、置かれた状況がをわからない。

と言うことがハッキリすると、怒ること自体が無駄、馬鹿馬鹿しくなる。

全く、通じない。

一切、共感が起こらない。

同じ世界に生きていないかもしれない。

人を殺すことを楽しんでいる人々。
我欲を満たすためなら、文字通り何でもやる人々。
それによって、他者が死んでも、苦しんでも、
まったく罪悪感を感じない人々。
恥も外聞もない人々。
たぶん心が麻痺して、ごく普通の感情を一切感じない人々。
もしかしたら、バカにされたと感じた時だけは怒りを感じるのかもしれない。また、自分の存在価値、自分の居場所を奪われることにだけは、潜在的な恐怖を感じているのかもしれない。だから必死で、共存社会ではやってはいけないことをやり続けているのかもしれない。

今、公的場で多く見かける人々に対して、怒りを感じるのは、感じるだけ無駄かもしれない。

行われるべきでないことを行なっている公人がいると、
人々はまず怒る。

理想は、出来れば怒らずに、
真っ当に抗議して、正させる。
どんなシステムの中であっても、
権力のある地位にある者に対して、
権力がない人々が当然するべきこと。

それが出来ない。
真っ当に抗議しようが、
怒りを爆発させようが、
正させることが出来ない相手なら、
ただその権力の座から退いてもらうしかない。
そこには、感情はいらない。
怒るだけ疲れる。
こちらがより大きな不幸感に襲われる。

相手がどんな意図で何をやっているのか、
ただ見極めれば良い。
見極めて、心が機能していない御仁には、退いてもらう。
退いてもらえるシステムだけは、頑張って守らなくちゃいけない。

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