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言葉が消えた日

言葉が消えた瞬間の話

その瞬間は突然やってきました。

当時働いていた職場でボールペンを落としてしまい、隣の席の男の子が拾ってくれたのでお礼を言おうとした瞬間、私の頭の中から「ありがとう」が消えました。

うまく説明できているか自信はありませんが、例えば「ありがとう」を言おうとすると、意識しなくても言葉が出てきますよね?
頭の中で「ありがとう」という言葉も思い浮かびますよね?

それが全くできなくなってしまいました。
声に出して「ありがとう」ということができませんし、何よりも、頭の中から「ありがとう」という言葉も消えてしまいました。

それが脳出血を起こした瞬間の出来事です。

「やばい」の威力

すぐに私は上司の元に行き今の状況を説明しようとしますが、もちろん言葉が出てきません。
唯一出てきた言葉が、「やばい」という言葉でした。

この「やばい」という言葉ってすごいですよね。
私が置かれている状況を、この3文字だけで全て上司に理解してもらうことができました。

「やばい」という言葉は、上品ではないのであまり使わないように教えられているのですが、当時の私は「やばい」という言葉だけはなぜか発することができたのです。「やばい」という言葉が私を救ってくれました。

そして、ここからの記憶はありません。

病院での出来事

私が意識を失ってから上司が救急車を呼んでくれ病院に運ばれたそうです。
その時の私は悲鳴を上げながら痙攣を2回起こし大暴れしたと後から聞きました。

病院で意識を取り戻した時には、言葉も戻っていて頭痛以外はいつもと変わらない状態まで回復していました。
そのあと、CTの画像を見せてもらったのですが、「線香花火」をイメージしてもらうと分かりやすいと思います。
私の脳の画像は、まるで線香花火の写真のように出血していました。

意識も戻り、言葉も戻ったので今回は経過観察ということで、ひと晩入院をして自宅に戻りました。

3回目の出血

それから2週間は、いつもと変わらない日々を過ごすことができましたが、
2週間後にまた脳出血を起こしてしまいました。

前回と違うのが、脳出血の1時間くらい前に、勝手に手が動いてしまうということがありました。
すぐに治まったので気にしなかったのですが、思い返すとこれも前兆だったのかもしれません。

そしてまた、私の中から言葉が消えてしまいました。

初めの前兆

前の章で、「3回目」となっていることに違和感を覚えた方もいるのではないでしょうか。

実は私は、最初に言葉が消えて救急車で運ばれる前に、一度「脳出血」を起こしていたのです。

職場で脳出血を起こす1か月ほど前に、自宅で右手がマヒしてしまい自力で病院に行き、そこで「脳出血」が起きていて、原因は「脳海綿状血管腫」だということが判明していました。
ですので、今回の脳出血は私にとって「3回目」の脳出血になるのです。

「脳海綿状血管腫」について

脳海綿状血管腫(Cerebral Cavernous Malformation, CCM)は、脳内に異常な血管の塊が形成される病態で、これらの血管は脆弱で血液漏れを起こしやすいです。CCMは頭痛、発作、または神経障害などの症状を引き起こすことがあります。診断は主にMRIによって行われ、症状がある場合や出血リスクが高い場合には手術による除去が考慮されますが、多くのCCMは経過観察されます。

簡単に説明すると、
「脳の中にいらない血管の塊があって、そこから出血を繰り返している」
という状態でした。

3回目の脳出血の続き

今回はさすがに深刻で、言葉が完全に消えてしまい、次に脳出血を起こしてしまうと後がないということで、「手術」が決定しました。

そこからバタバタと手術の準備が始まりましたが、私はこの前後の記憶が全くありません。

あとから聞いた話ですが、私は目の焦点も合わず、一点だけを見つめていたそうです。

手術

手術は10時間に及び、血管腫の一部が動脈に絡んでいたので取り切れなかったそうですが、手術は無事に成功となりました。

手術が終わって、先生に取り出した「いらない血管の塊」を見せてもらいましたが、誰が見ても「いらない血管の塊」そのものの感じでした。

手術中も痙攣が起きて大変だったようですが、先生のお陰でこちらの世界に戻ってくることができました。

後遺症

私の後遺症として、以下の物が強く出ていました。
「てんかん」
「言葉の認識ができない」
「数字の認識ができない」
「手が勝手に動く」
「空間認識ができない」

ここから、私のリハビリが始まりました。

リハビリ

私の後遺症は、リハビリで何とかするというよりは、
「機能が戻るのを待つ」
「うまく付き合っていく」
要素が強かったので、とにかくご飯をいっぱい食べて、面会に来てくれた人にたくさん声を掛けてもらうことをリハビリとしていました。

脳についてたくさん調べてくれた方も多くて、「ひらがなドリル」や「計算ドリル」など、小学低学年用の教材を持ってきてくれる方が多かったです。

家族

私は、初めて病院に運ばれた日に「家族」ができました。
それまでポコちゃんとはずっと一緒には住んでいたのですが、籍を入れるきっかけがなく、今後も籍を入れることはないと思っていたのですが、今回のことで籍を入れることになりました。

大切な人

入院中、ポコちゃんをはじめ、たくさんの方が私を支えてくれました。
みんながずっとあきらめずに「言葉」を私に掛け続けてくれました。
言葉の内容までは理解はできませんでしたが、とにかくみんなが優しい顔でいてくれているということだけは分かっていました。

特にポコちゃんは、病室にいてくれるあいだ無言の時間が全くないくらい、ずっと私に「言葉」を届けてくれました。

大切な人からの「言葉」が「言霊」となることを、この時私は身をもって体験しました。

言葉が戻った時

その瞬間も、突然やってきました。
ポコちゃんが病室に来てくれ、一緒に夕飯を食べた時に、突然「言葉」が戻りました。

ポコちゃんがいつものようにずっと話しかけてくれていて、ポコちゃんが「お茶」と言ったのが分かったのです。
「お茶」という言葉が私の頭の中に戻って来ました!

言葉を出すことができなかったので、ポコちゃんに理解できていることを伝えられなくてもどかしかったのですが、いきなり言葉が理解できるようになりました。

言葉を理解できるようになったことを伝えられないので、私が理解できていることにみんなが気づくのは、翌日となりましたが…。

言霊の威力

私は今回のことで、「言霊」というものを信じるようになりました。
実は、脳出血を起こして意識がなくなった時に「戻れ」という声を聴きました。救急隊の方かもしれませんし、病院の先生かもしれませんし、ポコちゃんが叫んでくれたのかもしれません。でも、その「戻れ」という言葉が、私をこちらに戻してくれたことには間違いありません。

言葉をなくした私に言葉を戻してくれてのも、ポコちゃんをはじめ周りの方がずっとかけ続けてくれた言葉に間違いありません。

「言葉」に真剣な思いが込められると、それは「言霊」になると私は信じています。

「言霊」の力について、これからも発信していきますのでまた読んでいただけると励みになります。












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