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旅って、やっぱり必要なのよ人生に。

誰かと旅に出る、誰かと旅の時間を共有するということの尊さを母が死んでしまって痛感している。「いつかいこう」と思っていたいつかがこないことだってやっぱりあって、その「いつか」の約束はなんだか心に切なく残るのだ。

あと旅行の記憶って、結構残る。
楽しいことだって、後から思い返すと笑えるけれどその時は大変なトラブルだって、人生のポイントポイントとしてなんだか鮮やかに思い出す。

だから、とにかく今年は、というかできる時に、親孝行旅行だったり、子供達を連れて旅行だったりをどんどんしたいと思ったのだ。

還暦もとうにすぎた父が「沖縄に行ったことがない」と言っていた。母が死んでから、というか母が倒れてから2〜3年はずーっと沈んでいる父なので、少しでも「たのしい」の時間を作ってあげたい、そしてまだまだ生きてるからこそできることを、たのしみを、沢山見出して欲しいと思っていた。と言うことで、父と、弟妹も連れて、みんなで沖縄旅行を計画。

そもそもなかなか、職業柄家を離れることができない父。住職とはほんと言い得て妙だと思うが、寺を開けることがなかなか難しい。
子供の頃も、思い返せば家族で3日以上の旅行に行った記憶ってあまりない。

「いつか」になってしまうので、もう無理やり予定をとにかく作ってしまうのだ、航空券さえとってしまえば後戻りはしづらいだろうと。


そんなこんなで沖縄。
警報級の土砂降り雨スタート。
でも夫と私は晴れ男晴れ女(インドの雨期でも2週間ほとんど雨に降られなかったほどで、傘を持たなくてもいけるという謎の自信あり)なので、いけるっしょ、と思っていた。


案の定、二日目奇跡の晴れ。
沖縄でどうしてもやりたかった青の洞窟ぷかぷかシュノーケリング(これは2歳から参加できるのだ!)に参加できた。シュノーケリングやダイビング、憧れていたけれど私も実は独身時代にやりそびれていることで、初体験。また水泳部だった父もはじめてとのこと。子供達ももちろん初めて、で、みんなでドキドキと参加。洞窟が思った以上に美しく、魚がいっぱいいて、みんなで海で泳ぐという体験はすごくよかった。父がはしゃいでいて、何をするにもすごく「たのしいなあ!」と言っていて、そのたびにとても嬉しかった。

ホテルのプールで全力で父と娘で水泳対決もした。(アラサーとアラカンの本気バトル)

国際通りで沖縄の歌を聴きながら踊ってお酒を飲んだ。ゲラゲラ笑って、なんだか、ひさしぶりで。

ああ、とてもよかった。娘や息子も「じいじ!じいじ!」とすごく楽しそうだった。そうだそうだ、そういえば父って愉快なおじさんだったなと思い出したりして。


「共有したいという想い、これが愛かもしれない」なんて21歳の頃はじめて海外旅行に行った時に思った。愛の定義はわからないし、いろんな種類の愛があるけれど。

家族への愛として。

「旅行」で同じ場所と景色と時間を、私の生まれた家族と、私が作っている家族と、一緒に共有できたことがうれしくて。

母が亡くなってしまって、家族のおっきな支えがなくなってしまったようなそんな感覚があって、でもだからこそいま一緒に新しい思い出をつくれたことが嬉しくて。


なんか、しみじみ、嬉しくて。
でも、時々やっぱりちょっとさみしくて。


負けてたまるか、と思う。
生きることを楽しみ切りたい、欲張りに。


帰りの飛行機で娘が、
「ママはじいじとばあばと弟妹といたのに、なんでいまここにいるの?」と聞かれて「家を出て、パパと出会って、結婚して家族になって、娘と息子が生まれて4人家族なのよ」と言ったら最初は不思議そうに、そのあとなんだかわかったようにキラキラした目で笑って、すうっと眠っていった。

わたしが生まれた家族と、私が選んだ家族と、私たちから生まれた家族と。

人生は、土砂降りの時もあるけれど、でもやっぱり「晴れるよ、きっと」の精神で、楽しんで生きていきたい。

#飛行機の上でのメモ #家族 #散文   #忘れられない旅

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