臨月と「万が一」と「万が一」
臨月。今日の検診で、計画麻酔分娩をするならば来週あたりになりそう、ということになった。
ここにきて、産む前に、闘病中の母に会っておくべきなのではないかと、ここ最近胸騒ぎが止まらなくなった。臨月だけど、いつ産まれてもおかしくないこんな時期だけど。本当は、いや冷静になると、ならなくても、リスクがあるってわかってるんだけど。
そんなタイミングで、(おそらく母の病状がおもわしくないこともあり)医師からの説明と、すこしの面会が許されることとなった。母のいる病院へは、ドアtoドアで3時間半かかる。
でも産まれてしまったら1ヶ月は本当に身動きが取れないだろうし、そこで無理して、というのは、もっと無理だ。24時間誰かに頼れるわけではない(里帰りもしないし、泊まり込みで手伝ってくれる人もいない)今回の産後は、きっと、新生児をなんとか生かしておくので精一杯だ。
万が一、がある。
万が一、道中産気づいてしまったら、
という万が一もとんでもなく恐ろしいけれど。
万が一、このまま、会えないままになったら。
そんな想いがよぎる。
もう少しはやく会いに行けばよかったんだけれど、母がもしすこしでも元気ならば「くるな」と怒るだろう。いまの母には怒る気力もきっとない。怒る気力が出てくれたら、それはそれで万々歳だ、というような、意識レベルである。
「産むまで帰らない」というのは、すこし願掛けでもあった。お互いそれぞれ頑張って、元気になって、産まれたら息子を抱いてもらうのだ、と思っていた。でも背に腹はかえられぬような様子に、最近なってきてしまっているのを、感じる。
「会っておかないと」という虫の知らせと、
あまりにもタイミングが重なる。
母だったら「くるな」と言うだろう。
でもいまくるなって言えないじゃない。
言ってよ、くるなって。
こっちはこっちでがんばるからって。
だったら。
身体と相談ではあるけれど、最短距離で、娘を保育園に預けている間で、夫に付き添ってもらって、なんとか、弾丸で、いけないか、考え始める。最優先事項はお腹の赤ちゃんなのだけれど。
……………
今日お風呂あがり、娘がじっと私のお腹をみて「あかちゃん、もうすぐ産まれてくるのね」と、ふいに言ってきた。そうなの、わかるの?とびっくりする。「ちあきおねえちゃんよ」と声をかける。あぶあぶあぶーのあかちゃんなのね、と。
その瞬間が尊すぎて、泣きそうになった。
ちょっとずつちょっとずつ、お腹の中の赤ちゃんを受け入れ始めている娘。楽しみにしてくれるようになってきて、なんだかとても嬉しい。
愛おしいひとがふえるのだなあ。
たのしみだ。