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1003/親しき仲にも礼儀ありというブーメラン

約10ヶ月ぶりに実家に帰ってきた。
帰る当日、迎えにきてもらったのだが「家が汚い」とか言われたらプチンってなりそうだなという予感がして片付けるも中途半端な状態で迎えてしまって案の定「片付けてかないと旦那さん可愛そうだぞ」と言われてぷつんっとなる。泣いた。訳がわからないけれど悔しくて泣いた。こっちは1人でこの小さな命守ってるので精一杯だし、旦那が可哀想ってなんなわけ、と、泣けて仕方なかった。思った以上に張り詰めた気持ちで生きていたことをここで自覚する。

泣くだけ泣いて、もういいや、となって普通に帰ってきた。(対話を諦めているのはよくないかもしれないが)
広い家と広い空と沢山の自然とおっきな犬に、娘はとても楽しそう。娘と遊べて両親も楽しそう、だからいいか、と、ここはもう甘えよう、チャージしよう、と思っていた。

甘え切ろうとしていた私がバカだった。

私は静かにキレるけれど、母は派手にキレるので、今日はぷつんと切れた。
「こんな時間の使い方が下手じゃ働くなんて到底むりだ!」といったようなことを言われてキレられる。自分の皿を下げろ!という旨だったが、その時ご飯の時間(が、大人と一緒なのでいつもより遅くなってしまうので眠くて機嫌が悪い)終わりでぐずる娘を抱き上げミルク作って飲ませてあげている時だったし、ミルクのあげ方(なぜか寝かせて飲ませると嫌がるのでスタンディングスタイルだった)が、変だ、と言われて「私のがうまくできる」と言わんばかりに猫撫で声で娘にミルクをあげ(ゆらゆらされてるから抱かれても飲んでいた)ている様をみせられて苛々していたところだった。

子供に関してのことで言われるとむかつく。

離乳食、作ってくれる様子?だったのだけれどやってくれたらくれたで口を挟んでしまうし(タンパク質の量とか、気にしすぎかもしれないが)とはいえまとめて離乳食作る気力が起きなくて、半分任せている状態。なのも、よくなかったか。母の負担を増やしたか。

とりあえず娘を寝かしつけたらそのまま昔の子供部屋にものを持って引き籠っている。ひとりになりたいけれど、ひとりになれないのは実家に帰ってきても一緒だった。2人きりではない分、人手がある分、余計ひとりになれない、のは、キツい。


どこからどこまで頼っていいんだかちょっとわからなくなる。「休ませてもらおう」と思って甘え切った私が甘かったか。孫を見せにきた、という事で、程々の距離感で、ほどほどに家事を請け負って(とはいえ環境が違うから娘から目を離せないし、この家にはこの家のルールがあって難しい。実家だけれど、もうここは、私の家じゃないんだなと思う)やりすごそう。娘が楽しそうなことが、大切。

おとなになれわたし。
ほどほどにやって、宣言して「まかせてひとりになる日」を確保した方が衝突が無さそう。賢くやろう。コロナなご時世、ご近所の目もあるし「東京の人間」の私はあんまり自由に動けないけれど。

子供の頃は、親は万能だと思ってた。それは違って、親は親って役割をしているひとりの人だし、子供だっていつまでも子供じゃないからお互い敬意を持って過ごさないと事故が起きる。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は、ブーメランである。私も私だな。


と、こうやって反省したり、しないのが母でたぶんまだキレている(自分が悪いと思わない、謝らない、性質である)ので、どうやって過ごそうか。私も謝るのは違うと思うし。


なんとか過ごそう。
3日目にして、もう東京に帰りたい。


喧嘩になったとき娘が「ままままっばっばっまっまっ」と何度も言っていた。小さい娘に気を使わせてしまったかもしれない。ごめんね。

#日記 #コラム #エッセイ #子育て #育児 #ちあきろく #母と子

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