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愛こそもののプロフェッショナルなれ。

私の育った家庭は、転勤族である。
なので、幼稚園からはじまり小中高と全ての学校が、別々の土地の記憶である。転校を何度経験しても、私は全くめげることがなかった。
むしろ転校生という部外者のポジションを逆転させて、いつの間にかクラスの中心的存在となることが楽しくもあった。

なぜ私が屈託なく転校生という立場を楽しめたのかといえば、
それは私の中の同調圧力というものを感じる神経が、おそろしく鈍いからであろう。

どんな場合においても、優先させるべきは、周りの意見ではなく、自分が好きなこと。それが正解だと思っている。

食べ物はいちばん好きなものから先に食べる。
マラソンはスタートから猛ダッシュをかける。
周りが無理だろうと言っても、全然気にしない。 etc.

つまり、子供っぽい。

子供らしい子供というのは、周りから愛される。
だが人はいつか、大人になる。


子供らしい大人というのは、周りから疎まれるのである。
それを知ったのは高校生の時だった。


高校入学のタイミングでまたも父の転勤があることを知った私は、ずっと続けていたサッカーで一花咲かせるべく、サッカー王国静岡の強豪校を進学先に選んだ。
サッカーが好きだったし、新しい土地でリスタートすることは、自分の得意とするところである。

無事受験に合格し、意気揚々と強豪校の門をくぐった。

ちなみに、高校は、地元でも有名なマンモス進学校であった。
大量の生徒がそれぞれの能力に応じて理数科、普通科、スポーツクラスと仕分けされ、その学校全体の進学率を上げるべく、3年間をかけて猛勉強・猛特訓をするのだ。

理数科に入る資格のあった私は、勉強も大事だろうと理数科に入学していた。同時に、サッカーの能力もあった私は、サッカー部にも入部した。

勉強もサッカーも好きな私にとっては当たり前の選択だった。
しかし、そうはいかないようなのだ。先生に呼び出されてしまった。
理由は、この学校において文武両道は不可能だ、ということである。


いいじゃないか、勉強もやりたいしサッカーもやりたい。
やりたいことを我慢するのは、自分のポリシーに反する。
ポリシーを頑なに曲げない私を、教師は諦めたようだ。

文字通り諦めた。

サッカー部への入部が許されると同時に、教師からの無視が始まったのだ。
合理的であることが最重視されるこの学校において、非合理な選択をした私は手をかける必要のない生徒だったのだ。

教師からの無視を、私は正面から受けて立つことにした。
この学校はなんと、3年の間クラス担任が変わらない。
なので高校3年間において、私は教師と一言も口をきかなかった。

周囲のクラスメイトから見れば、完全にやばい奴である。

進学校の勉強方法とは、3年をかけた壮大なマラソンのようである。
ペースを配分し、遅れることは許されず、気分によって猛ダッシュかけることも許されない。

とにかくただ淡々と、右肩あがりの綺麗な直線を描かせようとする。
こんなシステムに、私が合うはずもなかった。

入学早々にお決まりのスタートダッシュをかけた私は学年で10本の指に入ったが、モチベーションは続かずすぐさま谷底へ転落した。
テスト結果は壁に張り出され、すぐに落ちこぼれの名前が確認できるようになっている。

こうなってしまったら、潔い態度に出た方がいい。
周りの同級生たちが必死の形相でマラソンコースを走り続けるのを横目に見ながら、私は歩くことにした。

レースのルールや勝ち方などを気にせず、ただ自分のペースで歩く。
周囲の自分を見る目が、心配から異質なものを見る目に変わっていった
マラソンから降りた私が、ヒマをしていたかといえばそうではない。

私には、まだサッカーがあった。
文武両道の武である、サッカー部が。

この学校のサッカー部は、全国大会の常連であり、プロ選手も輩出している強豪校だ。部員は多い時で120人もいただろうか。
その中でレギュラーになれるのは11人。10倍の当確率である。

しかも部員のほとんどが、勉強を免除されたスポーツ科に所属している。

勉強が最も過酷な理数科でサッカーをしている私など、はたから見れば完全にクレイジーだ。


サッカー部の朝は、5時の起床に始まる。
毎日の朝練と、ナイターの明かりに照らされるまで続く本練習。
これをこなしたところで、レギュラーになれるかどうかの保証はない。

私は好きだったはずのサッカーへのモチベーションがみるみる失われていくのを感じていた。それを一番実感したのが、ベッドの中で聞く雨の音だった。

朝、雨が降ると朝練はなくなる。

夜にベッドの中で雨の音を聴くと、私は心安らかに眠るようになった。
好きだったはずのサッカーの練習がなくなって、私は喜んでいたのである。

この部活の中で、レギュラーになれるのはどんな奴なのか。
今思い返せば、それは練習を本心から嫌がることなく、むしろ楽しんでいた彼らだろうと思う。


私が憂鬱な気持ちで朝の電車に揺られている頃、彼らはいち早くボールを蹴ろうと学校に向かっていただろうし、サッカー以外の誘惑にも一切目もくれることなく練習できた奴らが、やはりレギュラーになっていた。

そのうちの幾人かはプロになった。
プロの世界は甘くない、と身にしみて思う。
彼らがサッカーに向けていた情熱は、「好き」というより「愛」に近かった。

子供の頃から私の好きだった言葉、「好きこそものの上手なれ」はプロを目指す世界では残念ながら通用しない。
むしろ「愛こそもののプロフェッショナルなれ」である。

この感覚を高いレベルで感じさせてくれた経験は、灰色の高校時代の中で得た貴重な収穫だった。

私はこの経験でサッカーに見切りを付け、新しい風を自分の中に入れるようになる。

どうも最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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