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食卓の向こう側 〜システム思考で食を考える〜

食をテーマにしたイベントで、パネルとしてお話をさせていただきました。テーマは、「食」についてシステム思考で考えることで見えてくる「食卓の向こう側」です。内容を少しまとめ直してシェアします。

システム思考の「システム」とは

はじめに、システム思考における「システム」について少しご紹介します。まず、私たちが日常「システム」というとき、その主な意味は2つ:IT(インフォメーション・テクノロジー)と、管理統制の仕組みです(例:「私が悪いのではない。そういうシステムなんだ!」etc.)。

システム思考におけるシステムは、これらのどちらとも違っています。システムとは「自律した要素がつながり合い、相互に影響し合い、特定の目的を果たすもの」と定義されます。

例えば、森はシステムです。森の中には多くの生物や非生物が相互依存しながら存在していています。そこには管理者はおらず、それぞれが自律的に活動する中で、森という存在を維持し続けています。家族についてシステム思考で考えれば、小さな赤ちゃんの行動の一つひとつが両親や周りのみんなのさまざまな自発的反応を引き起こし、いつも予想もつかない結果が生まれる「システム」の複雑性が実感できるかもしれません。

誰の責任の範囲をも超えて、私たちが意識している・していないにかかわらず、常に存在し続けているつながり。そして、誰の意図をも超えた結果を生み出し続けるもの。これがシステム思考の「システム」です。

「食」というシステム

さて、食についてシステムの視点から考えるとどうなるでしょうか? 先週、山梨県でアウトドアの合宿に参加したのですが、ここでの食のシステムはこんな風になっています。

太陽の光を受け、地元の水と土で育った野菜や、それを食べて育った動物の肉を買い、木炭や薪で火を起こして調理します。食べた後のゴミは肥料になります。私たちは、土地から食べ物をもらい、その土地に返します。土に返らないのは、私たちが街から持ってきたプラスチックのゴミだけでした。自然における「食」は循環しています。当たり前のことですが、自然界にはゴミというものは存在せず、誰かにとって不要なものは、別の誰かにとって必要な食料です。

ところが、都市における「食」のシステムは循環していません。食料は、地方の生産者から農協や漁協に集められ、トラックで運ばれて倉庫に入れられ、さらにスーパーやコンビニの店舗に運ばれ、長い距離をたどって私たちの家までやってきます。これを成り立たせているのが、ICTを駆使した情報の流れと、化石燃料を燃やしたエネルギーが支えるモノの流れです。食べ物が作られる場所からはるか離れた場所に至るまで、あちこちで発生したゴミは、焼却されたり、埋め立てに使われたり、あるいは海外へと輸出されたりしています。「学習する組織」の著者のピーター・センゲは2008年の著作「持続可能な未来へ(The Necessary Revolution)」の中で、この「Take, Make, Waste」システムに何度も言及しています。

忘れてはならないことは、これがただモノや情報の流れというシステムではないことです。このシステムを作ったのは誰でしょうか? すべてのグランドデザインを行った個人は存在しないかもしれません。しかし、このつながりのあらゆる場所には、生産者、事業者、消費者といった人間が介入していて、それぞれ意図的な選択を通じて、この複雑な仕組みを構築、維持し続けています。

私たちは何を生み出しているのか(意図的であれ、無意識であれ)

では、この「食」のシステムは、いったい何を生み出しているでしょう? ひとつは利便性です。手頃な価格で新鮮な食料が届くおかげで、私たちがスーパーやコンビニに行けば、肉や野菜や料理済みのお惣菜がすぐに簡単に手に入ります。

一方で、望ましくないものも生まれています。日本のフード・マイレージは世界でいちばん高いことをご存知でしょうか? フード・マイレージは、輸送する食料の量と移動距離で計算されますが、日本はアメリカと比べて総量で約3倍、1人あたりにして約7倍。私たちの食は、世界でもっとも大きな負荷を環境にかけ続けています。

高いフード・マイレージの原因は、日本の食料自給率が低いからだけでなく、輸入先が遠く離れていることです。今日食べたもの、昨日食べたものの原産地を覚えているでしょうか? 私たちが普段口にする食は、誰がどこで作り、誰が運び、誰の手に触れて、食卓に並んだのでしょうか? 持続可能性にとって大切な地産地消のあり方から、世界でいちばん遠く離れた生活の仕組みが、私たちの食生活を支えています。

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2人のノーベル平和賞と私たちの「食」の皮肉な関係

食のシステムの相互関係性は、食べ物という枠を超えて影響を与えています。このことを説明するため、もう少し広い視野でシステムを捉えてみましょう。先日ノーベル賞の授与式が行われて、2人の活動家がノーベル平和賞を受賞しました。ムクウェゲ医師は、アフリカのコンゴ共和国で性暴力の被害に遭った女性の救済を行ってきた医師、ナディア・ムラド氏は、テロ組織のイスラム国に捕らえられて受けた被害を訴えてきた女性です。

シリアでは、2011年ごろから政府と反政府派の武装集団、そしてイスラム国をはじめとするテロ組織による複雑で長期化する内戦のために数百万人の難民が発生しました。ヨーロッパやアメリカでも何件ものテロリズムが発生してメディアを騒がせ、人々に不安を与えたことはみなさんご記憶でしょう。

2014年、このシリアでの大量難民の発生の元を辿っていくと気候変動で農家が故郷を捨てたことから始まっていると主張するマンガが、SNSを中心に拡散されました。

シリアでは2006年から2011年まで、5年間にわたる極度の干ばつが発生していました。そのため大量の農家が農業を続けられなくなり、故郷の畑を放棄して職を求めて都市に流入しました。数十万人もの農民が突然都市に流入するとどうなるでしょうか? 仕事が足りなくなり、その影響を真っ先に受けるのが職業スキルの低い若者です。職を得られない若者のひとりが政権を批判する落書きをして、政府がこれを逮捕、拷問にかけたことが、若者による反政府デモにつながりました。そして、その後の政府による武力鎮圧、反政府派の蜂起と、止まらない暴力の連鎖が生まれていったのです。

シリアの農村部で代々農業を行ってきた農家たちにとって、5年間にわたる干ばつは、歴史上なかったことです。どうしてこんなことが起きたのでしょうか? 明らかな要因は気候変動です。そして、気候変動が人間の活動によって起きていることに、現代の科学者の大半が同意しています。2018年の異常に暑かった夏、台風の数や規模の大きさを振り返れば、気候変動は私たちが世界中のどこにいても実感を持って語ることができるでしょう。

では、私たちの食を支えるシステムは、これに関係しているでしょうか? 私たちの食卓のずっと向こう側から、CO2を排出する化石燃料を燃やして食べ物を運んでいます。そして、CO2を排出して作った電気が、情報の流れを支えています(日本の2017年の発電量に占める化石燃料の割合は、89%に達しています)。Breathingearthというウェブサイトでは、各国のCO2排出量が一覧できますが、日本の一人当たりCO2排出量は10トン以上です。(パリ協定にある今世紀末までの気温上昇2度未満を実現するには、これが2トン以下になる必要があるとか)。

私たち一人ひとりは、ムラド氏が体験したシリアでの悲劇に、直接的には手を下していないかもしれません。しかし、私たちの集団としての食のシステムは、私たちが好むと好まざるにかかわらず、意図的であれ無意識であれ、中東で発生する数え切れない悲劇の一端をしっかりと握っています。

コンゴ共和国の紛争とレアメタル

ムクウェゲ医師の受賞によって、コンゴ民主共和国の紛争は大きくメディアに取り上げられることになりました。争いの原因は、レアメタル「タンタル」と呼ばれる携帯電話やIoT機器に使用される希少鉱物と言われています。

私たちの食が、私たちの元に届くまでの情報伝達に、ケータイやコンピューター、そしてIoT機器は欠かせません。ただ、その機器を動かしているものは、かつて生きていた何かを燃やして作る電力だということは意識しておくべきでしょう。ケータイやメールや通話、それに伴う大量のデータの作成、保管、送受信など、私たちの何気ない日常のひとつひとつの活動は、CO2の排出を通じて、地上の気候を変えるために、今も一役買い続けています。(ある意味、テクノロジーに頼った私たちの仕事は、世界の各地で気候変動の悪影響を受ける人々の困難を対価として存在しているのかもしれません)。

そして、その機器を支える原料を巡って、コンゴでは紛争が続き、その中での効果的な暴力としてのレイプが発生し続けています。余談ですが、アフリカの多くの国の経済は、資源の輸出に頼っています。加工品を作る第二次産業が育たないのは、インフラや技術、人的リソースだけのせいではありません。日本や欧米をはじめ先進国は(そして資源輸入を行う途上国も)、自国の産業を守るために、原料に比べて高付加価値な製品である加工品に高い関税をかけています。アフリカでは資源を搾取して原料を輸出することが、効率的に外貨を獲得する手段なのです。

2016年にムクウェゲ医師は来日しています。その時、彼が講演の締めくくりに言った言葉を、私たちは忘れてはいけません。

「コンゴ民東部の女性たちに振るわれた暴力が、あなたたちのポケットの中に入っていることを忘れないでほしい」

私たちの行動の1つひとつが、世界の裏側にまで影響している

長々と書きましたが、私はこのエッセイで、ケータイが悪いとか、〇〇が悪いとか、特定のものを責めたいのではありません。また、エネルギー効率に優れたテクノロジーの開発に日々尽力する技術者に対しては、敬意を払うべきだと思っています。そして、私たちの食だけが、気候変動の唯一の要因だと言いたいのでもありません。

ただ、食についてシステム思考で考えるならば、大切な結論のひとつはこれだと思っています。私たちの食品を選ぶ意思決定のひとつひとつが、意識的であれ無意識であれ、地球の裏側にまで影響を与えている、ということです。

私たちは普段、コンビニで売られている食品を買うことが非倫理的だと考えることはあまりないでしょう。ニュージーランド産のりんご、中国産の野菜、アメリカ産の牛肉やブラジル産の鶏肉を、国産のものと比べて安いからという理由で買うことを、簡単に非難できる人も少ないでしょう。ただ、数千から数万キロも移動する食料は、大量のCO2を排出しながら輸送されます。その食料をいつどこにどれだけの量を運べば良いか、高速で大量の情報やりとりするために、大量のデータが通信され、それを支えるサーバーの消費電力は、大都市の消費電力に匹敵します。こうした仕組みの恩恵を被って、私たちはいつでも必要なだけ食にありつくことができます。そして、限られた生活費の中から、合理的に効率的に満たされた食生活を送るために、私たちは安い食品を選んで消費しています。

誰一人として、気候を今よりもっと不安定にしたいとか、りんごを数千キロ運ぶために化石燃料をどんどん燃やしたいとか、子どもたちや孫たちに毎年おかしさを増していく気候を経験してほしいとか思っていないにも関わらず、私たちは集団として、これらを着実に成し遂げています。

「食」を選ぶということ(食卓の向こう側)

ここで大切なことは、私たちがこのシステムをほとんど認知できないということです。私たちは日々「食」を通じて、食品の生産、流通、販売のあり方、付随する環境や社会へのインパクト、どのような食のシステムを子どもの世代に残していくかを、無意識に選び取っています。

そして、毎日の食の選択を通じて、そのインフラを通じて、私たちはひとつのシステムとして地球の裏側での悲劇を生み続けています。もちろん、こうした悲劇が、いつまでも地球の「裏側」のことである保証はどこにもありません。ただ、私たちは自分がそのシステムの一端を握っていることを通常意識できないだけです。

このシステムを変えたいと思ったとしても、いきなり、都市部に暮らしながら地産地消にこだわった生活を実現することは難しいでしょう。輸入品を口にしないことは、よほどこだわらない限り不可能と言って良いと思います。コンビニを使わずになるべく生産者の顔が見えるものを買うことも、ゴミになるプラスチックを使わないことも、自分自身やってみようとして、いかに困難なことかを実感しています。

ただ、ひとつ始められることがあるとすれば、それは自らの選択に意識的になることだと思うのです。今日食べるその食品が、どこから来ているのか、誰が作り、誰の手が触れて、どれだけの環境と社会へのインパクトを与えながら、あなたの元へ届いたのか、考えてみることから始めることです。そして、その食品を選ぶことで、あなたがどんなシステムを選び取っているのかを考えてみることです。

もしその食品があなたの望むものでないならば、どのような代替品があるのか、少し調べてみても良いかもしれません。持続可能な生き方を実践している人の生活を、イベントなどで聞きに行くこともできるかもしれません。全てを真似できなくとも、何か自分に変えられることが見つかる可能性はあると思います。一人ひとりの気づきと行動こそが、大きなシステムレベルでの変化のきっかけになるものだと思っています。

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