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星とチャクラと生きづらさと私 ⑯ (自己愛と、自己犠牲愛)

続きです。


過去にチャクラを視ることをしていた時、
「そりゃあハートチャクラ大きいよね‼️」
と思うような方もいらっしゃいました。

緑色の部分がとても大きく視えていました。


当時は、チャクラと心の関係をよくわかっていなかったこともあり、ハートが大きいほど良いと思っていました。

誰からも愛される人柄
誰にでも優しくて、安心感を与える存在

ハートチャクラが大きいのも納得でした。


私には明らかに不足している部分と思っていたので、そうした温かみのある人、誰にでも優しくて、誰からも愛される人を羨ましいと思っていました。



ですが、こんなにもハートチャクラの大きい方も、色々上手く回らなくなり、「今取り組んでいる活動をお休みして、自分と向き合います」とSNSで挨拶されているのを見て驚きました。

詳しくは聞いていませんが、その方は第1チャクラに陰りがあったので、それも影響していたのかもしれません。

あまり憶測で話を進めたくはありませんが、「やっぱり全体のバランスが取れてないと回らなくなるもんなのかな~」なんてぼんやりと考えるようになりました。



ハートチャクラが大きい方は、与える愛が大きい方が多い印象でした。

それはとても素晴らしいことだと思っています。

でももし自己犠牲の上に成り立っていた愛だとしたら?

本当に自覚はまったくなかったとしても、自分を後回しにして与え続ける愛は、それは自己犠牲の愛なのかもしれません。

そして自己犠牲の上に成り立つ愛は、もしかしたらいつか枯渇してしまうのかもしれません。

こちらでも書きましたが、自分で、自分の欲しいもの、やりたいことを聞きながら自分で、自分に与えて、受け取っていくことで、自己愛が育っていきます。

自分の心地いいリズムであったり、自分にとって大切なものであったりがわかってきます。

自分の内側や過去と向き合える強さが出てきます。

自分を大切にしながら、愛を与えていくことは枯れることはありません。


ですが、自分を置き去りにして、献身的に尽くしても、満たされることはありませんので、疲弊していきます。



占星術的に見ると、自分に意識が向きやすいタイプと、どうしても他者に意識が向いてしまうタイプとにわかれます。

後者の『どうしても他者に意識が向いてしまう』タイプの方

このタイプの方たちは、人が喜んでくれること、誰かの役に立てていることが自分の喜びにつながるため、自分だけが満たされる個人的な楽しみを見つけることが、どうも後回しになりがちです。

自分を後回しにして他者に尽くすことをしがちです。

けしてそれが悪い訳ではありません。

生まれ持った性なので、仕方がない部分ではあります。

それがその人の魅力でもありますから。


でもそれでは、相手が喜んでくれた時は嬉しいけど、相手が喜んでくれなかった時、自分責めが始まってしまうことがあります。

何がいけなかったんだろう?
どうしたら喜んでくれるだろう…
もっともっと。となります。

更に更に自分を置き去りにして尽くしてしまいます。


だからこそ、『自分』に意識を向け、自分が心地いいと思うこと、自分の心地いいリズム、自分のハートが喜ぶことなどを知っておく必要はあります。

自分がしあわせで心地よく、穏やかにいい氣分で過ごしていたら、それは周りにも伝わります。

逆に疲れきって、ネガティブな氣持ちでいっぱいの、トゲトゲしい雰囲氣も周りに伝わります。


どんな自分で在りたいでしょうか。

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