【アート鑑賞入門】「アートは”感じたまま”に楽しめばいい。」の嘘 #8
毎週投稿といいながら、2週間近くインフルエンザでダウンしてしまい先週投稿できませんでした…。みなさま健康第一で…。
久しぶりの投稿は節々の痛みに耐えながら考えていたこと、ちょっとアートの話でもしようと思います。(今”アート鑑賞入門講座”を作りたいと考えていて、その一部でもあります。)
実践的でない美術教育
小学校・中学・高校と図画工作や美術という科目として私たちは結構長い間美術の授業を受けていますが、それでも「私アートとかよくわからないから〜」という日本人はめちゃめちゃ多い。これ、「6年間英語勉強してきたのに英語話せない」と、結構似ていると思っていて、なんだか実践的でない学びばかりしているからだなと思っています。(あるいは担当する教員の理解度やセンスの問題も大きいと思う)
実践的でない要因は大きく二つあると考えていて、一つは授業の内容が”制作”に重きが置かれていること、もう一つは「アートは”感じたまま”でいい」という”嘘”が平気でまかり通っていること、です。
一つ目の制作偏重については、将来圧倒的多数が芸術に関して鑑賞側に回る可能性が高いにも関わらず、鑑賞の教育よりも制作に偏りが出ている問題。
二つ目は、その鑑賞の教育をする際に個人個人の”感性”や”感覚”といった、個人差があり曖昧なものを軸に教育や対話を促そうとする方針のせいで、「アートはなんだかよくわからない」という思考停止を促している点。
とにかく、私は「アートは”感じたまま”楽しめばいい」という考えに真っ向から反対です。物心つく頃からアートに慣れ親しんできたからこそ、これだけは断言できる、そう思っています。逆に言えば、「私センスなくて〜」とか「感性とかないんだよな〜」という方でも、というか誰でもアートは楽しめるものです。ちゃんと学んで、トレーニングすれば、誰だってアートを鑑賞し楽しみ、自分の仕事や思考に活かすことができるのです。
”感じる力”は誰にでもあるわけではない
「アートは”感じたまま”楽しめばいい」の最大の問題点は、”感じる”ということは能力であり、人によって個人差があるということです。走るのが得意だったり、歌が上手だったり、生まれ持った様々な得手不得手と同様に”感じる”にも得意な人、苦手な人がいるのです。苦手な人からすれば「アートは”感じたまま”楽しめばいい」なんて言われても苦痛なだけですよね。ちなみに私は運動音痴で足も遅いですが、体育で「がんばって走れ!」などと怒られても、頑張りようがわからないから万年ビリを走り続けてすっかり運動嫌いな大人になりました。できる人間からすれば当たり前にできると思うことも、苦手な人からすれば意味不明なもの。”感じる力”も同じ、「アートは”感じたまま”楽しめばいい」は、感じる力のある人の横暴だと私は思っています。道端の花一つに季節の機微や生命の美しさを感じる人もいれば、花が咲いていることに気がつかない人もいる、それは個性だし当たり前のことなんです。
”感じる”だけで楽しめるほどアートは簡単じゃない
もう一点の問題はアート作品の大半がかなり複雑な体系や理論、歴史、哲学に基づいて作られているため、”感じる”だけでは本質的には楽しめないものであるということ。私自身、学生時代には多くの同志が作品作りに人生の全てをかけていました。彼らはたとえば一枚の絵を描くために、筆の鍛錬だけではなく、多くの書籍を読み、多くの作品を鑑賞し、その他様々な経験をもとに自己の思考を深め、作品に落とし込んでいきます。これほど、多くの時間と労力をかけて作られた作品が”感じる”だけで楽しめるはずがないのです。特に近現代のアートはコンセプチュアルなものも多くなり、その傾向は強くなっています。アートは好きでも「現代アートはなんだかよくわからなくて」という方も多いです。例えるなら、分厚い哲学書を開きもせずに理解できますか?ということです。そこで”感じればいい”などと嘯いたら、一生アートは「なんだかよくわからないもの」のままです。
作者の中には「感じてくれるだけでいいよ〜」という人もいるとは思います。だけど、真に作品を楽しもうと思えばこそ、私はちゃんと勉強した方がいいと思う。これは自論です。
「感じる力」はトレーニングできる
ここまでお話しすると、「やっぱ、アートって難しいじゃん。私には無理無理」と思うかもしれません。でも、”感じる力”はトレーニングで鍛えることができます。たとえば、大人になってから身長を伸ばすことは難しいかもしれませんが、筋トレで筋肉をつけることはできる。”感じる力”は先天的で固定の能力ではなく、トレーニングで鍛えることのできる力です。だからこそ誰にでもアートを楽しむことができるし、それを自分の仕事などに活かすことができるんです。
「感じる力」=「感覚を言語化する力」
「感じる力」というと、なんだか抽象的で曖昧に思うかもしれませんが、要は「感覚を言語化する力」です。人間には感覚器官があり、多くの人は何かしらを感じることはできます。それでも”感じる力”への得手不得手があるように見えるのは、感じること自体ではなく感覚で得たものを「言語化」し「人に伝えることが」得意か不得意かの差でしかありません。痛みを感じた時に「いた〜い」とただ泣き叫ぶのか、「チクチク痛いのか、ズキズキ痛いのか」自身の感覚を分析し理解し相手に伝わるような共通言語で説明ができるか?言語化して、第三者に伝えること、これこそ”感じる力”なのだと私は定義しています。
「感覚を言語化する力」はとても有意義
で。この「感覚を言語化する力」ですが、使えるととても便利!
たとえば、こんな時に使える!
・デザイナーからもらったデザイン案、いいのか悪いのかわからない
・プレゼン資料のデザインいまいちイケテナイのだけどどうしたらいい?
・生成AIに画像を作らせたい。頭の中のイメージをどうプロンプトに落とす?
・自分の思いついたビジネスプランの価値を伝えたい。どうしたらみんなに伝わる?
・推しのアイドルの魅力を友人に広めたい!ただかっこいいだけじゃない彼の魅力伝われ!
・好きな人にラブレターを書きたい。なぜ彼女が好きなのか伝えたい!
仕事に、プライベートに、感覚を言語化する能力は、めっちゃ大事。特に常識や正解が通用しない、新規性や独自性が求められる時代において自分の感覚を言語化することは思考の上でもとても重要。(コレを世間では”アート思考”というのかな?)
「感覚を言語化する実践型トレーニング」始めます。
というわけで、「感覚を言語化する実践型トレーニング」をやってみようかなと思っています。私自身が東京藝術大学で学び、その後社会人として活かしてきた「感覚を言語化する力」。私の中では実はコレをすればOKという具体的なトレーニング方法として”Description”という手法があり、これをアレンジしてビジネスマンや起業家向けに発信したら面白いかも〜と妄想しているところです。
もう少しまとまったら、またこの場でも発信したいと思いますので、興味ある方は”スキ”とか”フォロー”とかしてもらえたら嬉しいです。
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銀座OLから突如縁もゆかりもなかった、長野県塩尻市に移住した私が日々の思いつきや偏愛、思考などを書き留めています。
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