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【山羊日記#35】約束の呪縛
この前本屋さんで
こだまさんの『ずっと、おしまいの地』と
木下龍也さんの『オールアラウンドユー』が、同じ視界に入る距離で並んでいるのを見て嬉しくなった。ニヤリである。
好きな作家さんの新刊がそれぞれのペースで走っている真っ只中。
息遣い、呼吸が聞こえてくるようでランナーを沿道で応援している気分になった(といいつつ声を出さずに一歩引いて拍手するタイプ)
応援は何人にしてもいいのだろうか
なぜか昔から三人以上で会話してると一方だけと話が盛り上がったり夢中になってしまうともう一方の人に悪いというある種のうしろめたさを感じて、ぎこちなく一方に話をふってみたりしていた。そんなMC力など兼ね備えていないのに。
なので三人以上で戯れるのが億劫というか苦手であった。
一点集中。
自分は一体誰と仲を深めたいのだと自問自答していた。
広く浅く。別に広く深く出来る人はいいのだが、いかんせん気にしぃな自分はそれが出来なかった。単に自意識過剰なだけかもしれないが…。
必然と狭く深くを信条に掲げるようになってしまい、ともだちとの約束なんかは「絶対」守らなければいけないという思考になった。もちろん約束は守るものだしそれでいいのだが、なんだかガッチガチに縛られた思考になっていたのだ。
「絶対」
この二文字が曲者だった。
出来ない約束はしない。
出来ないんじゃないかな〜という約束もしない。
そうなってくるとまた自分の悪い癖「石橋を叩きすぎて割ってしまう」ループに陥る。
約束は絶対なのだ…と。
大人になってから本物の社交辞令を味わう。
「多分行く」は行かない方が多い。
「また誘ってね」に甘えてまた誘えばうっとうしがられる。
などなど…
空気を読んでいたら八方塞がり。
そして「取り急ぎ」という言葉を知る。
いまいち理解出来なくて調べてみたらとりこんでいて時間がないので一旦軽く今返事しとくけど改めて後でちゃんと連絡しますね。と、いうような時に使う言葉だった。
何度かその「取り急ぎ」をもらったが、取り急ぎのその後はなかった。
自分は「取り急ぎ」を敬遠するようになった。
もっと軽く考えられたらいいのになと思うことばかり。
好きな作家さんの本が並んでるだけでどちらにも悪い気がしている自分が嫌になった。
どちらも好きなんだからそれでいいのに。
分かってるんだけどモヤッとする。
そんな時「誰もお前なんかに一番に好かれようが気にしてないよ」と自分に言う(心の中で)
〽ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくんぱっくんぱっくんと
一年生には悟られず笑顔で歌ってあげたい。
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