【エッセイ】貞子と寝言
「念写っ…、念写が出来ない!」
今朝起きがけの寝言である。
私は自分の寝言でよく目が覚める。
目が覚めてからも夢現、寝言のつづきを呟いている。半分は現実だとわかっているつもりなのだが、もうどうにも止まらないのだ(山本リンダか)
今朝のこの「念写が出来ない」発言はどういう経緯で発せられたのか正直覚えていない。
寝言には手繰り寄せれば何かしら発端があるもので、きっと最近「貞子」について考えていたからではないかと推測する。
日本を代表するホラー映画「リング」シリーズ。
ヒロインは毎シリーズ謎を追う勇気ある記者や研究者ではなく貞子である。
仲間由紀恵さんが貞子を演じた「リング0バースデイ」は今まで抱いていた貞子像を悲劇のヒロインに変え、貞子…可哀想…、と、森の中で恐怖に襲われるシーンをよそ目に胸がキュンとなった萌え貞子をみた。
さて、念写についてだがそもそも呪いのビデオテープは貞子の怨念が念写されたものである。
見たものは7日後に呪い殺される。と、いう設定。
「貞子VS伽椰子」では呪いの期限が2日間へ。
そして「貞子DX」でとうとう24時間にまで短縮されて、時代の忙しなさを反映しているのかとお門違いな詮索さえしてしまう始末。
世の中はビデオテープからDVDへ移行し、今ではデータという形ないもので映像を観ている。
古いものが怖いという要素も呪いのビデオには追加されていく。
ネットで呪いの映像を拡散するまで時代は進歩してしまった。たった20年ちょっとで…。
貞子の呪いですら感慨深いテーマになっていた。(無理矢理感)
呪いを回避する方法は誰か他の人にダビングしたテープを観せるということだった。
1stシリーズでは浅川(松嶋菜々子)が高山(真田広之)に観せたことで浅川は7日後死なずに済んだ。
二人の息子の陽一は陽一の祖父に観せたことで呪いを回避するが祖父は誰にも観せなかったのか「リング2」では死んだ設定で登場した。
それでも貞子の呪いが完全に消えるわけでもないようで、陽一にはずっと髪の長い女の人(貞子)が見えていたわけだし、直接的ではないにしても浅川はトラックに衝突して命を落としてしまうし。誰かにダビングしたビデオを観せても呪いの残り香は付きまといつづけるのだろうか。そりゃないぜ…。
観た人の総数が呪い死にの候補ならそれを回避する為に皆等しく誰か一人にダビングして観せる。
6人観ていて何もしなければ6人全員が呪い殺されておしまいになるということだろうか。
その総数が増えない限り人類は順繰りにダビングを重ねもう観せる人間がいなくなるで続けたなら最後の6人が全員死んでおしまいになるのだろうか。
ねずみ算式に枝分かれして増えていくわけではない設定なだけに、新規でビデオを自ら観ない限り最後に呪い殺される人数は増えないわけだ。
そんなことを考えていたから「念写が出来ない!」などと寝言を発したのだろうか。
なぜ私が念写する側だったのだろう。
なぜ貞子側だったのだろう。
そもそもなんで呪いのビデオについて考えてるんだろう…。これも呪いなの?
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