【エッセイ】みんなキャメラマン

少し距離はあったが同郷の俳優さんの田中美里さんと浜辺美波さんが車体にプリントされた公共バスを目にした。

記念にスマホのカメラで…とはならなかった。
衝動はあったが理性が働いた。

今回に限ったことではなく昔から、特にスマホ所有者が大半を占める世界になってから目にも止まらぬ速さでカバンからポケットからスマホを取り出しシャッターを押す(液晶にタッチする)ことに抵抗を感じていた。

1億総キャメラマン時代。

デジカメはポータブルMDプレーヤーのように、あっという間にその座を追われた。
スマホのカメラの性能の良さ。一台で音楽も聴けるし、手帳にも時計にもなる。メインは電話なのだが、もうスマホは携帯電話じゃなく「スマホ」なのだ。

今日も街行く人が何かしら撮影してる。
見渡す限り誰かが誰かを、建物を、木や空や料理や人を激写している。

ぼーっとしてたら記念撮影している人の間を通り抜けていた。そしてこちらがごめんなさいと早足に横切りはける。
その後、何でこっちが申し訳なくならにゃいかんのだろう…と悶々とする。
そもそも写ルンです使ってた時代はジーコジーコ回して通行人がいなくなるまで待ったもんだ。
なかなかタイミングに恵まれず人の切れ間を待っていると少しならどーぞと撮影する間止まってくれたりした。そんな親切な人は稀だったが、撮影する側に遠慮というマナーはあった。

先日とある細い路地で若い夫婦と小学生くらいのこどもの三人家族が道をまたぎ塞いで記念撮影していた。
しゃーない、少し待つか…と足を止め待っていた。
スマホを構えた父親が照準を合わせている。
そして時が流れる。
固まったまま。
被写体の母親とこどもは表情を作ってピースをしたまま時が止まっている。
………………
………?!
なぜシャッターを押さんのだ…。
そのフリーズは体感30秒以上。
気に入った太陽の明るさじゃなかったのか…時を待ってる父親。
それに申し訳なさの欠片もみせない母親とこどものピースサインとキープしつづけている作り笑顔。
私の後ろに私と同じく足止めをくらって待たされている通行人の小さな群れが出来ていた。
うわ…この状況で気まずくないのかね?
びくともしない三人家族。
ざわつきは次第に大きくなる。

(まじか…)

気に入った写真が撮れないならとりあえず渋滞を解消させ「申し訳ありませんでした。先にお通りください」くらいの発想に結びつかんのだろうか。
「はい。撮れた〜」
「え?どれどれ?みせて〜」
そして三人家族は涼し気に颯爽とその場を去っていった。
魔の開かずの踏切のポールが上がった。

これはかなり極端な話だったが、記念撮影が優先されることは多い。
見ず知らずの他人にレンズをむけることへのモラルもなくなったのだろうか?
ギャーギャー騒ぎまくってるグループの盛りに盛った写真に収まらずに外を歩くにはどうすればいいというのか…
もう、この時代では不可能なのだ。
ポツンと一軒家の世界に行くしかない。
棒に当たりまくる犬になるしかない。
逃げられない。避けても避けても四方八方スマホで何かを撮っているこんな世の中じゃ。ポイズン。

だから、こんな気持ちになる人もいるから私は極力瞬間的にスマホのカメラを向けない。
だから幸運のバスも撮るのを諦めた。本当は追いかけても撮りたかった…。でもバスの車体だけ撮っても窓ごしの乗客は気分悪いだろう。
人がいなくて(少なくて)その被写体だけを撮影出来る時にスマホのカメラを起動させる。

電車の中でシュウマイ弁当食べてるよりも足を組んで化粧してる人よりもスマホで撮影しまくりこちらにレンズをむける人の方が嫌だ。

前者ならこちらが席を立って移動すれば済むのだから。

古くさい考えなのだろうか。
写ルンです世代…
なんて理由にならないのだろうか。

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