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【コラム】急性多様性多用化列島の十年後

十年一昔と感じることってありますか?
西暦が2000年に突入して以降私は何か大きな節目(それは天災であることが多い)を起点にしないと思い出せなくなっている。
時代はある程度便利の上限に達したのだろうか。
最近はAIやチャットGPT?が日々話題にあがり目まぐるしいとはこのことだなと恐怖すら感じる最先端のもっと先の未来を描かせる。

70年代、80年代、90年代の10年区切りとはやはり違うよな…2000年以降問題(勝手に問題にする)

そんなぼやけた時代をもう20年以上過ごしているわけだが、ふと、人のものの見方について考えることがある。
いくら暖冬とはいえ真冬並みの寒波が来れば雪かきに明け暮れる。(そもそも年の瀬はもう真冬なのだが真冬並みってどうなんだろう)

雪道を長靴で歩いていればお洒落もへったくれもないよなと雪だるまのように着ぶくれした己を客観的にみてしまう。

どんなに時代がかわろうとかわらぬ地味な暮らしの風景がある。

それでもここ数年、光の速度レベルで「多様化」に付随したなんやかんやが無理くり浸透しようとしてきている。
それは価値観の挿げ替えのようだ。
挿げ替えなんて言葉、首を挿げ替えるくらいしか使ったことないのだが、それくらい一掃感がある。

エンタメ、特にドラマや映画にそれらは顕著にみられる。

男女逆転の「大奥」がNHKでドラマ化された。
この大奥の世界は揺るぎない性の歴史が構築された上でのお話なので視聴者が勝手にちぐはぐに陥っているだけのことなのだ。
物語はいたってそれが通常運転で進んでいく。

かつて90年代にも観月ありさといしだ壱成で男女の体が入れ替わる「放課後」というドラマがあった。
入れ替わるというSF要素は「大奥」との逆転パターンとは異なるにしても性のちぐはぐという共通点はある。

結局昔からこういった発想は人々の興味をそそっていたわけなのだ。

大ヒットした「君の名は」も入れ替わるがこの映画は入れ替わったとて男女の青春物語なのだ。

ここ最近の多様性とはまた違う。
本当に多くのボーダレス作品が作られている。
これからの時代、これが当たり前なんですよと。常識なんですよと。

一体その区切りになった年はいつなのだろう。

腐女子ってなんなのかよくわかっていないがよく耳にする。この腐女子が結びつくのがBLであったりするので腐女子の愛でるものというコンテンツが起爆剤になったのだろうか。そういうわけではないとは思うが関心が集中する要因はエンタメには需要と供給があるわけだからターゲットのマーケットの規模が大きいことは必須である。

ただ、社会の風潮が先であってはほしい。
それにしても目まぐるしく取りこぼし置いてけぼりのないようなセーフティネットがないといけないとも思う。
詰め込みが過ぎるのはとてもこわいことで、危うい。
理解は押し付けるものではないからだ。

あなた以上にやさしい人は
いそうにもないけど
結婚なんて旧い言葉に
縛られたくなくて

「愛染橋/山口百恵」の歌詞より

山口百恵さんの名曲「愛染橋」の歌詞である。
1979年12月リリースとある。
その時代から結婚なんて旧いという考えがあったことに驚いた。
これって今の若いもんは現象と同じなのかもしれない。
江戸時代でも平安時代でも今の若いもんはとよく言っていたらしいではないか。
もしかしたら結婚なんて…と、江戸時代に思っていた人は遥かに予想を超える多さだったのではないだろうか。

これから数年の間にどうこの多様性のテーマがエンタメ化されていくのだろう。
あまりにもポップでライトな見やすい世界観から社会派重厚沈鬱激重作品が増えるだろうか。
それは現在が前菜、ウォーミングアップ段階にあるということなのかもしれない。

歩幅を揃えて決して突っ走らない社会の速度が求められる。

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