【エッセイ】I−CHI−ZU

「山羊さんて夢追いかけられて羨ましいなー」

以前勤めていた職場で同い年の正社員に言われた一言。
きっと彼には悪意などない何気ない一言だったろうが、今でもふと思い出すのはそんな彼のことをとても欲張りだと私がグツグツと苛ついたからだと思う。

彼の夢はプロのミュージシャンになることだった。(演奏する方)

専門学校にも通い都会でバンドを組んでいたらしい。夢追い半ばで当時付き合っていた女性との間にこどもができ結婚。地元に帰って家族を養うために安定した正社員の道を選んだのだ。(そう珍しくない割と身近にあるケース)
父親として当然の責任を背負ったのだ。
そしてバンドは趣味として彼は休日になると地元の仲間と演奏を楽しんでいた。
だが、日々に追われていくうちに次第に彼は趣味としてだけでは満足出来なくなっていったのだろう。
同い年ということもあり、上司がいなくなると大島渚監督の笑顔から無表情にスンと切り替わるが如く素に戻る妙技をみせ私に夢への未練をこぼしていた。
そしてどろどろの愚痴が私へのあの一言になって出てきたのだろう。

と、いいながらもその時には既に彼の妻のお腹にはまた新たな命が宿っていた。2児の父親になるのは今以上に責任も負担も大きくなるのは誰にでもわかることだが彼はその道をまた自分で選んだのだ。愚痴をこぼしながら自分の首を絞める営みをしれっと遂行してしまっている矛盾にどっちやねんとつっこみたくなった。

それで「いいよな〜、自由で」と相変わらず羨ましがる。
だったらこども作るなよ。
とは口が裂けても言えなかったが。

私は非正規で彼と同じ職場で働いていた。
非正規を選んでいたのは私の意志で、不安定かつ保障も少なくボーナスなどもちろんない。でもそれを選んだのは他でもない私自身。創作の時間と、気持ちの余裕を確保する為だった。
私は要領も悪いし、2つのことをこなす器用さを持っていないことは経験から嫌というほど理解させられていた。
どちらに重きを置くかで考えた時迷うことなく将来どうなっても文句を言えない自己責任の道を選んだ。

彼は休憩時間に七五三参り行ってきたんだとこどもの写真をスマホで見せてきた。ことあるごとに聞いてもいない家族サービスの報告を逐一してきた。家族の話をする彼は幸せそうだった。
よかったじゃないか。
なんやかんや愚痴ってるけど、あんた、幸せだよ。私は心からそう思っていた。
幸せは人それぞれ。家族を持つ幸せも尊いものだ。
だが、そんな立派な「家庭の幸せ」を享受している彼が私の夢一本に絞って歩んできた道を気楽で自由でいいよなとこぼす。背負うものがなくて自分の好きなことが出来るなんて羨ましいな、と。

彼はやっぱり欲張りだ。

家族を手に入れて、その上一握りの夢まで欲しがるのか。
彼が私を同情していたのか、見下していたのか、はたまた本当に羨ましいと思っていたのかはわからない。

きっと世の中にはどちらも手に入れられる人もいるだろう。
だが彼らは想像を絶する努力の結果それらを手にしたのだ。尊敬はすれど羨ましいとは思わない。

記憶に新しいWBCのサムライジャパンの世界一。
日本中が大谷旋風で盛り上がっていた。

誰もが納得するスーパーヒーロー大谷翔平選手。

彼は羨ましいとかいう概念を吹き飛ばした唯一の存在だ。
彼の表情ひとつにしても野球が大好きなんだと野球に詳しくない私でもそれが伝わる。野球を心底愛しているんだろうなと。
チームの仲間がホームランを打てばバットを振った直後にそれがホームランだと即座に確信しベンチから立ち上がりうぉーっと両手を上げて喜び飛び跳ねる。
敵チームの選手がデッドボールに悶えていれば大谷選手も苦痛の表情をみせる。
野球と一体になっている。
大谷翔平=野球に見えてくる。

彼のこれまでの人生は野球と共にあって、これをストイックと本来なら呼ぶだろうが彼の場合は何か違う。
なんというか…
「一途」と呼ぶのがしっくりくる。

好きなことを諦めず続けてきた大谷選手を見ていると自然と力が湧いてくる。
これってすごいことだと思う。
その姿だけで文字通り夢と希望を与えているのだから。本当の夢と希望を与える感覚って心が洗われるに近いのかもしれない。

同時に彼は本人には自覚がなくとも何かを犠牲にしてきたからここまで到達できたのではないだろうか。

大谷選手がインタビューでコンビニに一人で行けたことが嬉しかったと答えていた。
メジャーリーグへ行ってから5年間コンビニへもふらっと立ち寄れない生活をしていた大谷選手。球場と家の往復を5年も。
それを犠牲と呼ぶなら…。

そんな一切合切も彼の楽しみであり、いきがいでもあり、職業でもある野球が乗り越えさせている。現在進行系。
果たしてそんなことをどれだけの人ができるだろうか。

やはり人生一路。野球一筋。ファイト一発(違うか)
やはり犠牲という表現は相応しくない。
私は一途と変換したい。
FUJITSUならぬICHIZU。

一途です。

一途に野球を追い続けてきたこと。
それに尽きるのでしょう。

大谷選手を見ていたらさっきまでのミュージシャンの夢を諦めきれない同い年の彼のことなんてちっぽけに思えてきた。

「羨ましいなー」なんて、くだらない。

どうとでも。
私なんかに羨ましがってちゃいけないよ。

泣き言なんて聞きたかないね(ドーラ)

羨ましがっていた彼は家庭という幸せを手にしたのだ。手に入れたくても出来ない人もいる。だから家庭を一途に愛しなさい。大谷選手が野球を愛しているように。

羨ましがらずに追いかけてごらん。
KAKUGOがあるなら。
今ならそう彼に言ってやりたい。(言えないけど)


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