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合理的になるのは、そこに愛がないとき


「合理的な行動」とはいうけれど、人間は基本的に合理的じゃないよなぁと思います。

いろいろな技術が発達し、僕たちの生活は常に変化しています。例えばハンコや書類は今まさに電子化に移行しつつあります。


ペーパーレスにすることによりコスト削減や業務効率化に繋がり、良いことばかりです。はやくハンコ文化がなくなれば仕事がスムーズに進むのに、と考えることもあります。

いっぽうで、本も電子化が進んでいます。Kindleをはじめとした電子書籍が登場し、オーディオブックなどの「聴く読書」を利用する人も多いでしょう。


僕の身の回りにも利用している人は結構いて「活字は苦手だけど、音声なら楽しめる」という知人もいます。


活字が苦手で本が読めなかった人が文学に触れる。本好きとしてとても嬉しいことです。


電子書籍は場所を取らないし、スマホの中に何冊でも収納できる。出かけるときにいちいち持っていく本を選ぶ手間もないし、気に入った文章をコピペしたりできる。

どう考えても、紙の本より電子書籍の方が便利で、合理的です。
でも、早く紙の本がなくなればいいのにとは、まったく思いません。

むしろ、僕はいまだに読書のほとんどが紙の本です。これからも紙の本を読むし、ずっとなくならないで欲しいと切に願っています。


ハンコに対する気持ちと、紙の本に対する自分の気持ち。


これは、そこに愛があるかどうかの問題だと思います。
「そこに愛はあるんか?」というフレーズのCMがありますが、まさにソレです。

ハンコには愛情がないから便利で合理的になってくれと思っているけど、紙の本には愛情がある。だからどれだけ不便でも非合理的でも紙の本を読みたいし、なくならないで欲しい。


もし僕が生粋のハンコ収集家だったら、きっと今の電子化の流れをとても悲しむでしょう。


これは僕が感じた一例ですが、このようなことが社会のあらゆる場面で起きているように感じます。もちろん合理性はとても重要です。仕事でプレゼンするときに「私が好きだからです」だけでは企画は通らないでしょう。


ですが、自分が愛情を持っていることに対して、愛情を持っていない人から

「合理的だからこっちにしよう」
「それは非合理的だからダメ」

と言われたら、なんともいえない気持ちになります。


例えば、よく喫煙者に対して「健康に悪いからやめなよ」という言葉を耳にします。僕は非喫煙者ですが、もし自分が喫煙者で同じことを言われたら、納得いかない気分になると思います。


学校の授業でタバコの健康被害について学ぶくらいだから、知らない人はいないでしょう。箱にあれだけ大きく書かれているんだから、むしろ喫煙者が一番そのことを考えているはずです。


タバコは依存性もあるので一概に愛情だけとは言えませんが、少なくともリスクは承知の上で吸っているはずです。だから、もし説得するならそれ以外の方法であるべきだと思います。


「健康に悪いからやめなよ」と言う人も、それで本当にやめるとは思っていないでしょう。でも、人は自分の意見を通したいとき、つい合理性や正当性で意見を補強したくなります。


自分の主張が合理的で正当性があると思えるときほど、聞き入れてもらえないと不満に感じます。ですが、相手はいくら自分が非合理的だと分かっていても主張を変えません。だってその人には合理的かどうかは関係なくて、単にそれが好きなんですから。議論はずっと平行線です。


そういうときこそ「相手の気持ちになって考えよう」という、道徳の授業の教えのような言葉が大切なのかなと思った話でした。



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