家庭教育の大切さ~様々な教育論を読んで~
明治以来、いや近世中期から日本という国は一般の人々まで幅広く教育機関を通して学問を教えている。
江戸時代中期から藩校、寺子屋が各藩に点在し、明治に入ると全国で西洋に倣った学校という仕組みになる。
確かに江戸中期以降当時にして世界にも稀は識字率の増加は明らかに教育機関が発達したお陰なのは過言ではない。
ではなぜ私は家庭教育の重要性を説こうとしているのか。
それはやはり学校教育より家庭教育の方が子供の教育として大切だからである。それは箕作秋坪の明治7年の論考『明六社雑誌』の8号に記載の内容を主に参考にしながら、論述しようと思う。
5、6歳の頃の子供は純粋無垢でまだ左右も分からない状態である。その時に大人達が様々なことを教えるのだが、無知な人間に当たれば良くない教育になるし、仮に良い師に教えて貰ったとしてもその情愛は両親には勝てない。
だから子の教育に父母以上の教師はいないということだ。
では仮に親が学がなければ難しい話だが、今は高卒までは当たり前の話だ。だから親も常に勉学に励もうという話だ。
故に親が学ぶことを止め、他人に教育を任せるのは愚かなことだ。
箕作家では家庭教育が熱心であるそうで、錚々たる人材を輩出している。
またノーベル物理学賞を日本で初めて貰った湯川秀樹の伝記『旅人』にもよく似た内容がある。
父・小川琢治は勉強熱心で、はまる内容があれば本をとことんかき集めていたそうだ。
また湯川秀樹の子供の頃の家庭勉強に関しては有名な話で、小川家(湯川の旧姓)では6、7歳ごろになると祖父・小川駒橘から漢籍の素読を習っていたそうだ。
つまり学者の家では家庭教育も充実している。
昔はきっちり勉強すると言えば学者の家だけだったかもしれない。しかし今や高卒まで行くのが当たり前で、かつ日本は学歴社会の部分もある。
また別に私は学校教育を否定している訳ではない。社会勉強も重要だ。外に出なければ人との交流もない。人との交流も大切だからだ。
しかしそれ以上に家庭教育が重要であることを論じたかったのである。
おそらく数多の家では仕事が忙しく、子供の教育を家ではおざなりになり、学校の教師に任せっきりだろう。
だからもう少し自分の子供達に歩み寄り、勉強を教えてみたらいかがだろうか。
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