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テクノロジーは進化する。社会は?われわれは?

2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ」を読んでるけど、どうもワクワクしない。

なんだか、「とにかく走れ、もっと早く走れ」と急かされているような気がする。

このちょっと重いような気持ちは何だろう・・

変わる世界で得るもの、失う(かもしれない)もの

もちろん、受けられる恩恵は受けたいに決まっている。

いざ自分が病気になったら最新の医療テクノロジーでなんとかしてほしいし、何なら、AIでもロボットでも使って病気を予防してほしい。

仮想空間が進化・普及すれば、住む場所や働く場所はもっと自由になるだろう。

一方で、どんどん変わる世界で自分の居場所を確保し続けるには、どうしたらいいんだろうと不安になってしまう。

企業に勤め続けるなら、あと30年は働かなきゃいけない。
フリーランスになれば自由だけど、それはそれで老後資金をどう賄うか。

今できることが、何の価値も持たない未来がやってくるかもしれない。
(これは、テクノロジーの進化とか関係なく、そもそもの自分への自信の無さから来てるかもだけど・・)

70歳まで働く時代 x テクノロジー進化の時代

40代・50代からの、”無為にも自棄にもならない穏やかな生き方の導き”―。

もちろん、残り20年、30年のキャリアを見込んでの学習も大事。
最近よく言われる”学び直し”は、社会を挙げて必要とされてることだと思う。

一方で、それが社会を挙げての圧になってしまう恐れもある。
「一生学び続けるべき」「学びについていけず失敗しても、それは自己責任」…。

一定の年齢に達していても、失敗した時に戻れるとこがあり、再挑戦や方向転換ができることを欲するとしたら、高望みだろうか。
そもそも、学びを楽しんで継続できる素地、というのもかなり個人差がある。

「大きな物語」と「小さな物語」

心はどこへ消えた?」にひとつのヒントがあった。

テクノロジーの進化というのは”大きな物語”だ。
正論で、否定できない。

しかし、その前では個人の話は消え去ってしまう。
なんとなくの怖さ・不安は、正論に合致する声しか聞こえなくなってしまって、うまく馴染めなかったりなんだか違和感を感じている”わたしの気持ち”も”誰かの気持ち”も、関係なくただただ世界が変わっていくことだったのかもしれない。

止まらない世界で

とはいえ、今何をどう言っても、変化する世界は止まらない。

不安や違和感を持ちながら、どうするのか。
それは、とりもなおさず、「自分は何を大事にするのか」ということだと思う。

変わる世界でも求められたいなら、自分は何を与えられる人になるのか。

「小さな物語」がこぼれていくことが不安であれば、それに対してどうするのか。


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