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高齢バーで働くことになりました。

私ではなく、「その女、ジルバ」の主人公・新(あらた)ちゃんが。

<あらすじ>
40歳になって独身、仕事は花形売り場から倉庫へ左遷・・・。「お先真っ暗」とつぶやく新が出会ったのが、高齢バー”Old Jack and Rose”。
ホステス最年長は90代(たぶん)のお店では新はひよっこ扱い。そこでバーの亡きママ・ジルバや周囲の人の人生を知る中で、生き方が変わっていくというお話し。


老いていくとき、誰かと一緒にいたい

体の不調というのは心を弱気にする。最近入院・手術を体験して痛感した。元気な時は飄々としていても、不安な気持ちが強くなってしまう。人生100年時代、体調を崩すなんてことは一度や二度ではないだろう。家族がいたとして、体調不良を家族が肩代わりしてくれるわけではない。でも、他の誰かの存在は、気持ちを落ち着かせプラスの方向に持っていくのに、大いに助けになる。

それは、必ずしも血縁者じゃなくていい。「その女、ジルバ」の”高齢バー”の面々のようにお互いを気遣って、楽しく生きられるのなら最高だろう。


マンガのようには行かない、という不貞腐れ

しかし、現実世界にそんなコミュニティはあるものだろうか。

あるのかもしれない。10歳ほど上の友人と以前話した際、「老後は気の合う女友達だけで集まって住もうかなんて話してるの」と言っていた。
行動力と求心力がある彼女なら、やってしまう気がする。彼女みたいな人が他にもいるなら、案外そういうコミュニティももうぽつぽつあるのかもしれない。

ただ、自分が見つけてそこに入るとか、自分がそういうコミュニティをつくれるとか、そんな気がしない。
途端に、自分の人付き合いの悪さとか、警戒心の強さ、それなのに一人で生きてくとも言えない弱さみたいなのが嫌になってくる。挙句に、今のこの不安は自業自得という、ひねた気持ちにまでなってくる。


老後は、”今”の先にある。今を大切に。

でも、と思い直す。

別に例の”高齢バー”の面々も、老後まで助け合おうなんて言い合って一緒にいたわけじゃない。
大変な時に助け助けられて、一緒に楽しい時間を共有して、その関係が老後まで続いていったって話だった。

結局は、その時その時で大事な人を大事にしていくということかもしれない。その相手と50年先まで縁があるかもしれない、いずれ会わなくなるかもしれない。わからないけれど、いま目の前にいる相手を、いま同じ時代を生きている相手を大事にすることなく、老後云々というのは無いのだろう。

とまあ、「老後ひとりは嫌だから」と逆算して今をどうこうするなんてナンセンスだという結論に至った。ただ、もし先を意識して何かするとしたら、これから人に出会う時、「もしかすると老後の茶飲み友達になるかもな」と長い目でゆったり友情を育めたらいいな。

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