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「0組の机にポエム書いてるの私です。」第12話

 桂冠高校の修学旅行は、2学年の3学期、2月末に行われる。

 年度によって行き先は異なるものの、たいてい沖縄に向かうことが多い。しかし、央たちの学年は、生徒投票の結果、関西地方に決定していた。学年の教師たちに「沖縄よりも関西のほうが近くて交通費が浮く。そのぶんいいホテルに泊まっておいしい料理を食べよう」と、多くの生徒がそそのかされたからだ。古文や漢文、日本史を担当する教師が多く、単純に彼らが沖縄より関西に行きたかっただけなのだろう。中学時代の修学旅行が関西だった生徒は、この決定に落胆していた。

 二泊三日の修学旅行のうち、到着した初日と二日目はまるまる自由行動、最終日のみクラス毎に分かれて体験学習を行う。

「自由行動」と言っても、「何もかも自由にしていい」ということではない。足を運べるのは、グループで決めた「テーマ」に関する場所だけだ。修学旅行中にテーマについて調べ、後日レポートにまとめて提出する。テーマや行き先はグループ毎に自由に考えていいとされているが、どのような行程で一日過ごすかは、事前に計画を立てて担任に共有しなければならない。行き先がテーマに沿っていなければ即アウト。もう一度考え直しだ。

 これは、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ行きたがる生徒があまりにも多いために、教師たちが考えた施策であった。あくまでも修学旅行は学びの旅。設定したテーマによってはユニバーサル・スタジオ・ジャパンには行けないし、どうしても行きたいのならば、行程に組みこめる(つまり、担任を納得させられる)テーマを考えなければならない。多くのグループがユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ行くためにテーマ設定を悩ませていた。

 央たちのグループは、『源氏物語ゆかりの土地めぐり』という修学旅行に適したテーマを設定した。このテーマを見た鮫島はすぐに承諾したものの、優等生すぎて逆に心配していた。真面目にしてほしいのか遊んでほしいのかどっちかにしてくれと、央は思った。

 グループには、央と茗のほか、郁、佐奈さな寛子ひろこが加わった。佐奈は茗と同じ吹奏楽部に入っており、央ともよく話す。ウェーブがかった栗色の髪がおっとりした印象を与える、見るからに優しげな女の子だ。寛子は郁と同様にクラスの中心グループにいる。女子バレーボール部所属で背が高く、ショートカットの黒髪からはさっぱりとしたイメージがあった。寛子とはこれまであまり話したことがなかったが、彼女の優れたリーダーシップのおかげで行程がすぐにまとまり、グループの頼れる存在となった。特に佐奈と寛子は好きなアイドルが同じらしく、意気投合。一緒に次のライブに行く約束をするまでに仲を深めていた。

 本来なら郁と寛子はクラスの中心グループのほうに入るはずなのだが、そちらのグループはユニバーサル・スタジオ・ジャパンを回る行程を考えているらしい。絶叫系アトラクションに乗れない郁と寛子は、「あっちにいたら死にそうだから」と央のグループに入ることになった。とはいえ、小説を書いている郁としても、『源氏物語ゆかりの土地めぐり』というテーマには興味があったようだ。央も、どんな理由であれ、郁と同じグループになれたことを喜んでいた。

 央には修学旅行に対して、楽しみ半分・不安半分な気持ちがあった。中学生のときは修学旅行に行けなかったし、小学生ぶりの宿泊学習である。友達と一日中一緒に過ごすことに、やや緊張を覚えていた。

 ネガティブな感情を吹き飛ばしてくれたのは、直子だった。修学旅行の前日、忘れ物はないかチェックしている央の横で、彼女はまるで女子高生のようにはしゃいでいた。実際に参加する央よりも、ワクワクしながら荷造りを手伝ってくれる。直子のその姿がかわいくて、「楽しまないと損だな」と考えを改めた。

「楽しみなさい、央! 修学旅行っていうのは恋と青春のビッグイベントなのよ!」
「わかったわかった。直ちゃん、そこのポーチ取って」
「はーいっ♪」

 



 修学旅行当日、桂冠高校2学年の生徒たちは朝8時半に東京駅に集合した。新幹線はクラスで車両が決まっており、自由行動のグループでまとまって腰を下ろした。

 みんなが窓際を譲ってくれて、央は奥の席に入っていく。シートに座ると既視感があった。ついこの前、新幹線に乗ったばかりだ。悠日と金沢に行った日のことが自然と思い出される。あのとき、数年ぶりに夏目先生に会えると思うと落ち着かなくて、本当は逃げ出したいくらい緊張していた。無事に金沢までたどり着けたのは、悠日と一緒だったからかもしれない。

 流れていく景色は、あっという間に都会から田園風景に変わっていく。日本全体で都会がいかに小さく凝縮されているかを、目で見て感じとった。

「央、バレンタイン、どうだったの?」

 真ん中のシートに座る郁がコソッと尋ねてきた。バレンタインから一週間と少し。郁にあの日のことをまだ報告できていなかった。郁のとなりに座る茗の様子をうかがう。廊下を挟んで佐奈たちと何か話していた。言いにくいけれど、今なら話せそうだ。

「自分で食べた」
「……はい?」
「自分で、食べた」
「なんで?!」
「渡すタイミングがなくて。悠日くんが人気者だってこと、忘れてた。ごめんね、せっかく提案してくれたのに」

 本当は、悠日が1年生の女の子に囲まれているのを目の当たりにして、弱気になってしまっただけなのだけれど。情けなくてそこまでは言えなかった。

 郁は頭を抱えている。彼女のことだから、「渡すまで段取りをつけてあげればよかった」と後悔しているに違いない。

「じゃあ、ノートもまだ?」
「うん、まだ……」

 バレンタインは一度も悠日と話せなかったけれど、その翌日からはいつも通りだった。いつも通り、通学時に電車で悠日と遭遇すれば、「おはよう、央ちゃん!」と笑顔で声をかけてきてくれた。休み時間や昼休みも、暇さえあれば「央ちゃん!」と近寄ってきて、数学の宿題のことや昨日のテレビ番組のことといった、どうでもいい話題を振ってくる。

 たった一日遠い存在だった悠日は、また手を伸ばせば触れられるくらいの距離に戻ってきていた。そのたった一日がとても大事な日だったのに。他の女の子のために時間を割いていたことが、やっぱり今でもうらめしい。

 悠日くんにとって、私って何? 詩を書いているおもしろい女の子くらいにしか思ってないってこと? じゃあ、どうしてあのとき「好きだよ」なんて言ったの? ふざけてた? 私がけてたから、怒って言っただけ?

 バレンタインだって、いつもの調子で「央ちゃん、俺のぶんは?」って言ってくれるんじゃないかと思ってた。そうしたら、素直に渡せたのに――……。何もかも自分のせいなのに、つい悠日に八つ当たりしてしまう。

 あの日、悠日は誰かから本命の告白をされたのだろうか。彼のお眼鏡に適って、告白を承諾した相手はいるのか。悠日に新しい恋人ができたらしい噂は、今のところ耳にしていない。郁は何も言ってこないけれど、彼女だって悠日のすべてを知っているわけではないだろう。横山なら知っているだろうか。でもどう聞いていいかわからない。それを尋ねる理由を聞かれたら、一体何て答えればいいのか――……。

「――央ちゃん、次、央ちゃんの番だよ」
「ぎゃ!」

 悠日の整った顔が央を覗きこんでいた。前の座席がいつの間にかこちらに回転している。正面で悠日・木村・横山の3人が、トランプのカードを持っていた。央の手にも手札が5枚。しかも、ジョーカーが入っている。どういうわけか、ババ抜きが始まっていた。

「ごめん」と謝りながら悠日のカードを引く。クローバーの11。揃わない。手札を郁に向ける。郁はハートのエースを引いた。ジョーカーは手札に残ったままだ。

「央ちゃん、ぼーっとしてるけど大丈夫? 酔った?」

 悠日が上目遣いでじっと見つめてきた。心配そうに首を傾げる。「誰のせいで……!」と悪態をつきたくなってしまうが、ぐっと堪えた。ミスターコンテストで勝利を収めたあざとかわいい表情が、今は憎らしくてしょうがない。

 トランプ大会は京都駅に着くまで続き、ほとんど央と悠日が負けた。なぜか二人ばかりがジョーカーを引き当ててしまう。ジョーカーに愛された二人。修学旅行の雲行きは怪しかった。

 


 新幹線は、お昼前に京都駅に到着した。鮫島から諸注意を受けたあと、予定通り18時まで自由行動となった。

 央のグループの本日のスケジュールは嵐山周辺の観光だ。最初の目的地は、『源氏物語』の『賢木の巻』で登場する野宮神社。縁結びの御利益があると人気の神社らしい。

 竹林の小径にある野宮神社は、こぢんまりとしていたが厳かな雰囲気を漂わせていた。神社の空気はひんやりと澄んでいて、背筋が伸びる。息を吸うたびに身体がクリアになっていく心地がした。新幹線特有のくぐもった空気が体内から消えていく。

 まずは本殿で参拝。そのあと、願い事が叶うと言われている神石を撫でた。郁は「バレー部のみんなが怪我せず部活ができますように」と願ったらしい。マネージャーの鑑である。央は「修学旅行が無事に終わりますように」と、平凡でありながらも大切な願い事をした。

「ねぇ、央も買わない? 縁結びのお守り」

 社務所の前で、央はお守りを選んでいた佐奈と寛子に呼び止められた。色とりどりのお守りが箱におさまって、丁寧に陳列されている。縁結びだけでなく、交通安全や開運のお守りもあるようだ。央も二人にまざってお守りを見てみることにした。

「佐奈と寛子には、気になる人がいるの?」
「ふふっ、内緒だよー♡」

 その口ぶりでは、二人とも好きな人がいるんだろう。恋する女の子は楽しそうでいい。彼女たちは光源氏と六条御息所が刺繍されたお守りを手に持っていた。特に縁を結びたい人なんて思い浮かばないのだけれど、同じお守りを見てみようと手を伸ばす。そのとき、

「央ちゃん!」

 と、満面の笑みで央を呼ぶ悠日の姿が、突如脳裏に浮かんだ。慌てて首を横に振る。思考の外へ悠日を追い出そうとするも、脳みそにしがみついているようで出て行かない。動揺して、頭の周りを激し目に手で払った。

「央? どうしたの?」
「ちょっと虫が」
「虫? なんか飛んでる?」
「これ! 私も買おうかな!!」

 買う気なんてなかったのに、悠日のせいだ。巫女さんへ声をかける寛子を横目に、央は心の中で愚痴をこぼした。3学期に入ってから悠日のことばかり考えている。央はぺしぺしと頬を叩いて、スクールバッグから赤い三つ折りのお財布を取り出した。



「ねぇ、央ってさー……結局、悠日とどうなの?」

 就寝時刻の22時。央たちは布団に潜りながら夜な夜な恋愛トークに花を咲かせていた。

 野宮神社を出たあとは亀山公園や清涼寺を訪ね、思いの外時間があったので渡月橋や天龍寺も観光した。合間に「よーじやカフェ」にも立ち寄り、ロゴの京女性が描かれたパフェを堪能。修学旅行初日は大満足の「女子旅」となった。

 門限の18時までに旅館に戻ると、グループ毎に決められた部屋へ通され、夕食まで館内での自由時間となった。夕食は、宴会場で豪勢な会席料理をいただいた。牛陶板焼や鯛の寄せ鍋などの12品。余った旅費を全部旅館の夕食につぎこんだだけはある。高校生が味わうにはまだ早いような、高級な料理ばかりだった。

 お腹を満たしたあとは、22時までに就寝できるよう、お風呂や明日の支度などを済ませる。就寝前の点呼を終え、先生が部屋から出て行くと、5人は声をひそめながら話し始めた。

 央はすぐにでも眠りに落ちそうだったが、郁たちのガールズトークに静かに耳を傾けていた。郁と彼の馴れ初め、佐奈と寛子の恋愛事情、それから木村が茗のことを好きなんじゃないかという憶測。修学旅行の夜に互いの恋の話をするなんて、なんとも女子高生らしい。もしこの場に直子がいたら大喜びだろう――……と、考えていたときだった。茗が央に話を振った。

「え?」
「え? じゃないよ、悠日のこと。どう思ってんの?」

 まさか自分の話になると思わず、目が覚める。

「それ私も気になってた」
「最早クラスみんな気になってるから」

 佐奈と寛子も同意した。

「なんで私と悠日くんが……」
「前から仲いいとは思ってたけど、2学期のテスト終わり? 二人でホームルームサボって抜け出したじゃん。あのあと教室が沸いたよね」

 寛子が言っているのは、夏目先生に会いに行った日のことだろう。そんなに注目されていたのか。場所をわきまえず取り乱してしまったことに、央は今更ながら反省する。普段なら人の視線に敏感に気づくほうなのに、あのときは悠日から「夏目先生」というワードが飛び出てきてそれどころじゃなかった。

「どうなの?」

 もう一度、茗が尋ねた。灯りを消した真っ暗闇の部屋の中で、4人が静かに央の返答を待っている。何か言わなくては。でも、何て言っていいかわからなかった。

 バレンタインのときに抱いた感情の答えを、まだ見つけられていない。央にとって悠日は「大切な存在」であるとは思う。これまでのことを感謝しているし、だからこそ力になりたかった。でも、夏目先生に感じていた、あの焼けるような恋心と同等のものなのかと問われると、少し違う。

 悠日に対しては、もっと穏やかな感情を抱いているのだ。最初はやたら構ってきてウザいと思っていたけれど、今は一緒にいると楽しい。何より、自分らしく居られている。目立たないように大人しそうなキャラクターを演じなくてもいいし、頑固で気が強い本来の自分も、なぜか彼にはさらけ出せる。詩を書いていることも過去のこともまるっと受け止めてくれた悠日の前では、もう無理をする必要はない。その安心感が気持ちを柔らかくしてくれている。

 友達として好きなだけ? それなら郁に抱いているような信頼の気持ちと一緒? じゃあ、1年生の女の子たちが悠日を取り囲んだときに抱いた、あの嫉妬のような感情は何だったんだろう? それが好きってことなの? でも、夏目先生への恋をようやく終わらせられたばかりなのに、すぐに彼を好きになるなんて軽薄すぎない?

「……わかんない」
「えぇ~~?! 何それ~~」

 茗、佐奈、寛子は不満気だった。

「ほーら! もう寝よっ、明日も早いんだし!」

 郁がパンっと手を叩いて話を区切った。助かったとホッとする。右端の布団の郁には、左端の央の様子なんてわからないはずなのに、何かを察知してくれたのだろうか。

「そうだねー」
「続きは明日ね」
「おやすみー」

 みんな何事もなかったかのように口を閉じた。となりの布団の茗からはすぐに寝息が聞こえてくる。央は小さく息を吐いて眉間を撫でた。考えすぎて、険しい顔になってしまっていた。これではリラックスして眠れない。

 最近、悠日に気持ちをかき乱されてばかりだ。




 修学旅行2日目。午前中、央たちのグループは少し足を伸ばして石山寺へ向かった。

 石山寺は特に郁が行きたがった場所だ。国宝とされる本堂や多宝塔など、広い敷地を時間をかけて見て回る。紫式部像の前で、他の観光客に頼んで記念写真も撮ってもらった。石山寺は、紫式部だけでなく源頼朝や那須与一、松尾芭蕉にとっても縁のある土地らしい。2時間かけてもすべてを回れず、一同は後ろ髪を引かれながら京都へ戻った。央と郁は「続きは卒業旅行で来ようね」と約束をした。

 午後は上賀茂神社、雲林院、京都御所など、京都市内を巡る。石山寺から京都へ戻る電車で仮眠をとったおかげで、5人とも元気よく観光できた。パンフレットももらったし、写真もたくさん撮った。レポートを執筆する素材は十分に揃っていた。


 自由行動のフィナーレとして央たちがやってきたのは、かの有名な清水寺だった。

 央以外の4名は中学の修学旅行で清水寺を訪れていたので、今回はパスすることになっていた。しかし、昨晩、「やっぱり清水寺には行っといたほうがいいと思うんだよね〜」と、急に郁が言い出し始めたのだ。彼女はみんなで決めたことをわざわざ覆すタイプではない。央は不自然だなと思いつつも、他のみんなが賛成したので異論はなかった。

「おーい! 央ちゃーん!」

 くれない色に染まる本堂で、央は『清水の舞台』からおっかなびっくり真下を覗いていた。名前を呼ばれた気がして振り返る。悠日のグループが『清水の舞台』に集結していた。郁と木村が目を合わせてにやりとほくそ笑む。

「奇遇じゃん! せっかくだし一緒に回ろうぜー」
「いいねぇ! 私たちも今来たところだし!」

 奇遇じゃないでしょ。

 央は郁と木村を問いただそうとしたが、他のメンバーは何も訝しんでいなかった。央のグループと悠日のグループが自然と交わっていく。郁と木村が、次はどこを回るか相談しながら歩き始めた。他のメンバーものらりくらりとそれに続く。

「行こ、央ちゃん!」

 悠日は央に微笑みかけた。戸惑いながらも仕方なくうなずく。悠日は苦笑し、央の手を引いて早足で歩き出した。すぐに、郁たちの輪に合流した。


 阿弥陀堂や音羽の瀧を巡ったあと、帰りがけに地主神社へ立ち寄った。またしても縁結びの御利益のある神社らしく、佐奈と寛子だけでなく木村もきゃっきゃと楽しげにはしゃいでいた。

 旅館に戻る時間も差し迫っていたので、恋占いの石チャレンジ(「目を閉じたまま、一方の石からもう片方の石へ歩き、無事にたどり着けば恋が叶う」と言われている)はできなかったが、みんなで『恋占いおみくじ』を引くことにした。郁と木村は大吉、茗は吉、央を含めた他の面々はおおよそ末吉だった。

「えぇ~! 俺、凶なんだけど!」

 悠日が引いたのは凶だった。『ミスター桂冠』に輝き、バレンタインでも女の子から引っ切りなしに呼び出されていた男が凶だなんて。木村たちはそのギャップに爆笑しながら、悠日のおみくじを回し読んだ。

恋愛:愛情が強すぎて、かえって相手が遠ざかる傾向にある。冷静にならなければ、取り返しのつかないことになるだろう

 おみくじ掛けにそれぞれのおみくじを結ぶ。神社の案内によると、末吉は「結んでも良い」そうで、凶は「結ぶ」とのことだった。央も結ぼうとしたけれど、悠日がダークグリーンの長財布におみくじをしまっているのが目に入った。

「結ばないの?」

 悠日に尋ねる。

「うん。みんなで引いて楽しかったから、記念にとっておこうと思って」

 悠日は八重歯を見せて笑った。くれない色の夕陽が彼の整った顔を照らす。央も悠日の真似をして、赤い三つ折りの財布の中におみくじをしまった。



 一向は仁王門に背を向けて、清水坂を下り始めた。お土産屋さんやお食事処など、参道にはたくさんのお店が並んでいる。もうすぐ日が暮れるというのに、どこのお店も観光客で賑わっていた。時間があればお土産屋さんも覗いてみたかったなあ。央は名残惜しそうに視線を送りながら、やや急な坂を急ぎ足で下りていった。

「央ちゃん、待って」

 ふと気がつくと、となりに悠日がいた。他のメンバーの姿が見えなくて辺りを見回す。少し後ろを木村たちがふざけながら歩いていた。郁と茗はお土産屋さんを指さしながら何かを話している。知らない間に自分が先頭を歩いていたらしい。そんなに急がなくても大丈夫なのかも。央は歩くスピードを少しゆるめた。人混みをけながら、悠日と並んで坂を下っていく。

「……ねぇ、悠日くん」

 おずおずと悠日に切り出す。“あのこと”を聞くチャンスは今しかないと思った。

「バレンタインのとき……誰かに告白された? 恋人……とか、できた?」

 ちら、と悠日の様子をうかがう。彼は一瞬面を食らったものの、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「えぇ~? 気になる? うれしいなあ」

 聞くんじゃなかった。

「もう、今のなし!」

 央は再び足を速めた。悠日の一歩先を歩こうとした瞬間、手を掴まれる。振り返ると、悠日が真っ直ぐ央を見つめていた。優しく真剣な眼差しにトクンと心臓が高鳴る。悠日が立ち止まるから、自然と央も足を止めてしまった。

「恋人なんていないよ。告白はされたけど断った。
 ――……好きな人いるから」

 好きな人、いるんだ。「恋人はいない」という言葉に安心したのも束の間、続けられた台詞に胸がチクっとする。

「あのね、央ちゃんにずっと言おうと思ってたことがあって」

 改まった口調で悠日が言う。焼けるようなくれないと、静かな濃紺が入り交じる空。朱色の仁王門が堂々とそびえ立っていた。

「俺、央ちゃんのことが好き」

 穏やかな声、穏やかな瞳。悠日の発するすべてが、二人の間の空気に揺れながら、ゆっくり、たしかなものとして央のもとへ届いていた。触れられた手から、優しい温度が伝わってくる。驚きと、うれしさと、恥ずかしさと、キュンとする気持ち。様々な感情が、央の胸の中で甘いお菓子を混ぜるように溶け合っていった。

「私――」

「これからもずっと、央ちゃんが詩を書いていけるように、そばで支えていきたい。央ちゃんと同じ大学に行って、央ちゃんのやりたいことを応援したいって思ってる」

 央が口を開いたのと同じタイミングで、悠日が続けた。ぐらり。彼の言葉を脳が認識すると、なぜか視界が大きく揺れる。たしかに、悠日の気持ちは央の心へ届いていたはずだった。はずだったのに、その架け橋のようなものがボロボロと崩れ落ちていくのがわかる。

「夏目先生と違って頼りないかもしれないけど、先生みたいになれるように頑張るから」

 ……ちがう。ちがう。やめてよ、悠日くん。

「……何言ってるの?」
「え?」

 央の声は震えていた。悠日はキョトンとしている。この状況では絶対に言いたくないことが、口からあふれ出てきてしまう。

「そんなのダメに決まってるじゃん!」

 悠日の手を強く振り払った。

「どうして私に合わせようとするの?! 悠日くんにはたくさんの可能性があるのに!」

 ずっと胸につかえていたことが、とうとう言葉となって現われる。悠日の表情がこわばった。「言っちゃダメ、言っちゃダメ」と思うのに、一度飛び出てしまった気持ちは、そう簡単に収まってくれない。

「行動力があって、思いやりもあって、運動もできて、デザインのセンスもあって、外見だってカッコイイのに、どうして自分には何もないって思うの?! どうして自分の可能性を制限するの?!」

「え、なに」

「悠日くんは私のことなんか好きじゃない! 今の悠日くんは、進路のことを考えたくないから私のこと好きだって言ってるだけだよ! そんなの全然うれしくない!」

「央ちゃん」

「夏目先生みたいにならなくていいから! 私はそのままの悠日くんが――……」

 そのままの悠日くんが? そこまで言いかけて、ようやく我に返った。彼の端正な顔つきに困惑と悲しみが入り混ざっている。今まで口にできなかったことを、最悪の形でぶちまけてしまった。決して、こんなふうに伝えたかったわけじゃないのに。

 ああ、どうしよう。
 きっと今、悠日くんを傷つけた。

 央の瞳からぽろっと涙がこぼれ落ちた。悔しさが押し寄せてくる。悠日が自分を下げて見ていることも、そういうふうに思わせてしまっていることも、猛烈に悔しい。どうしてもっと、うまく伝えられないんだろう。彼が私にしてくれたように、私だって力になりたかっただけなのに。

 悠日の向こうでこちらの様子をうかがっていた郁が、足早に近づいてくる。参道の観光客もただならぬ二人の様子を不安げに見つめていた。視線が痛い。いたたまれなくなって、悠日に背を向けて走り出した。どこに行っていいかわからないけれど、一刻も早くこの場から逃げ去りたい。

「待って! 央! 央!!」

 観光客の隙間から郁の声が聞こえる。央は郁の制止を無視して、清水坂を駆け下りていった。


(つづく)

↓第13話


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