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「0組の机にポエム書いてるの私です。」第7話

「夏目先生に会いに行くって言ってたけど、どこまで行くつもりなの……?」

 緑道を早足で歩きながら、央が悠日に問いかけた。沿道の桜の木は、葉一つ残っていない寒々しい状態である。

「金沢」
「金沢?! 今から?!」
「そうだよ」

 悠日は淡々と答えた。夏目先生の故郷が金沢であることくらい、央も知っていると思ったんだけど。何をそんなにびっくりしているんだろう。こっちは急いでいるのに。またしても苛立ってしまう。

「ちょっと待って、金沢ってどうやって行くの? 新幹線? そんなお金持ってないけど」
「あ」

 央のツッコミに、悠日は足を止めた。彼女の仰る通りである。金沢までどう行くか、まったく考えていなかった。勢いで飛び出してきてしまった。普通なら新幹線かバスだけど、バスより新幹線のほうが断然速い。新幹線に乗るにしろバスに乗るにしろ、交通費は1万円以上かかるだろう。悠日の財布には、3000円程度のお小遣いしか入っていなかった。

「うわ~~、まじか、どうしよう!」

 悠日の顔はサーッと青ざめていった。央は呆れて溜息を吐く。彼に計画性があるとは思っていなかったし、それに乗った自分も悪いのだが、悪態をつかずにはいられない。

「も~~、なんでそんな行き当たりばったりなことするかなあ。私、学校抜け出すなんて始めてなんだけど……。直ちゃんにバレたら絶対怒られ――」

「「あ!」」

 悠日と央の声が揃った。「直ちゃん」。それは、二人が信頼する大人の名前だった。



「アンタたち何やってんの?! 学校は?!」

 大手町の高層ビルのエントランスで、真っ赤なカシミヤのストールを羽織った直子が、高校生を目の前にキレていた。

 悠日と央は、直子の会社の入っているオフィスビルまでやってくると、総合受付で会社名を伝え、広報部長を務める「中原 直子」を呼び出してもらった。「『エントランスで姪が待っている』と伝えてください」と添えて。すると、直子は5分も経たずに1階のエントランスまで降りてきてくれた。

「直ちゃん、金沢まで行きたいの、お金貸して!」

 央がパチンと両手を合わせて頼む。事前に電話で説明する方法もあったが、言いくるめられてしまう気がして、直子と直接会って話すことに決めた。「金沢」というワードに、直子の細い眉がピクッと動く。

「金沢? どういうこと?」
「夏目先生と連絡が取れて、今すぐ会いに行きたいんです。でも、俺たちお金なくて」
「夏目先生に?」

 悠日の話に直子は納得しかけたが、首を縦には振らなかった。

「ダメ! 子ども二人で金沢になんて行かせられない!」
「どうして?!」
「何かあったらどうするのよ?! しかも、悠日くんの親御さんに無断で!」
「じゃあ、直ちゃん一緒に来て!」
「行ってあげたいけど、急すぎる! このあとも商談だし!」
「~~っ……」

 直子の正統な反論に、央はとうとう閉口してしまった。唯一のスポンサーがダメだと言っている状況は、かなり厳しい。

「とにかく、仕切り直して。休みの日ならいくらでも付き合ってあげられるから。お金も出すし」

 直子はややキツい口調で二人を諭しながら、チラッと腕時計に目をやった。もう仕事に戻らなければならない時間なのだろうか。

「今じゃないとダメなんです!」

悠日は「また今度ね」と背を向けようとした直子に食らいついた。

「直子さんが言ったんですよ、央ちゃんに新しい恋をしてほしいって! 俺だって、央ちゃんが苦しみ続けるなんてイヤです。一秒でも早く、央ちゃんに前を向いてほしい。俺のほうを向いてほしいんです!」

 無我夢中の悠日の叫びが、エントランスに響き渡る。スーツに身を包んだ大人たちが、何事かと悠日たちを見入っていた。

 直子の言い分もよくわかる。仕切り直しでも構わない。でも、悠長にその時間を待っていられるほど、大人にはなりきれなかった。一刻も早く央を解放したい。夏目先生への気持ちに区切りをつけて、こっちを向いてほしい。そう思うのは、俺のワガママでしかないんだろうか。

 直子は悠日の真剣な言葉に意表を突かれながらも、心の中では吹き出してしまいそうだった。今のは、央に「好き」って言っているのと同じじゃないのか? 央は説得することを意識するあまり、悠日の真意には気づいていないようだけれど。

「――……わかった。行っていいよ、夏目先生のところまで。決着、つけていらっしゃい」

 直子は降参するように両手を上げた。そもそも、悠日に夏目先生のことを教えたのは直子自身なのだ。発端は自分にある。私が彼を焚きつけたようなものなのだ。不安がないと言ったら嘘になる。でも、二人とも未成年とはいえ高校生だ。行動の責任が取れないほど幼くはない。

「お金、下ろしてくるからそこで待ってなさい。悠日くんは親御さんに連絡して。私の電話番号も、一緒に伝えてくれる?」

 直子の瞳は据わっていた。凛とした黒目からは、覚悟が読み取れる。悠日と央は頬を紅潮させ、互いの顔を見合わせた。

「はい! ありがとうございます!」
「ありがとう、直ちゃん!」




 直子から10万円の軍資金を受け取ると、二人は急ぎ足で東京駅に向かった。

 直子には「13時24分発の”はくたか”に乗るように」と丁寧に指示を受けた。それから、「金沢に着いたら絶対に報告しなさい」とも言われた。帰りは「遅くとも18時10分発の新幹線に乗ってくれ」、とのこと。東京駅で二人の帰還を待っていてくれるらしい。

 直子がコンビニのATMでお金を下ろしている間、悠日は父親に一本電話を入れた。悠日の父は、自宅をオフィスにして小さなデザイン会社を営んでいる。会社勤めの母親より、連絡がつきやすいだろうと思った。「これから友達の付き添いで金沢に行ってくる」と伝えると、父はたいして驚きもしなかった。仕事をしながら片手間に聞いているらしい。

「少し遅くなるけど心配しないで。日帰りだから――」
「友達って、Instagramの子?」
「え? まあ……」
「ふーん、好きなんだ」
「は?!」
「ヘマすんなよ」

 直子の連絡先を教えると、父はそれ以上何も聞かずに電話を切った。

『桂冠高校2年0組』のアカウントを作るとき、悠日は父にアドバイスをもらっていた。チラシやパンフレットなどの紙モノをメインに制作している会社ではあるが、最近はSNS広告用のデザインを手がけることも増えている。たしかに「詩を書いている子がいて」とか、「その子の詩を広めたい」とか、「もっと力になりたい」とかなんとか言ったような気もするけれど、まさか好意として受け止められていたとは。途端に恥ずかしくなる。しかも、それが今回の小旅行の相手だなんて、よく気がついたよなあ。我が父ながら感心してしまう。それとも、悠日がわかりやすいだけなのだろうか。

 悠日たちは、予定通り13時24分発の”はくたか”に乗車した。とんがった青い鼻先に、美しいゴールドのライン。悠日にとっては初めての北陸新幹線だった。こっそりテンションが上がる。始発且つ平日の真っ昼間だからか、自由席でもかなり空いていた。悠日と央は、乗車扉に近い二人掛けの席に腰を下ろした。

 発車時刻を迎え、ゆっくりと新幹線が動き出す。高層ビルのそびえ立つ都会の景色が、窓から窓へと流れていった。Instagramを開く。夏目先生のアカウントにDMを送った。

「16時19分に金沢駅に着きます。駅まで来てもらえませんか? 帰りは金沢駅18時10分発の新幹線に乗るように言われています」

 数分も待たずして、「わかりました。気をつけて」と返事があった。スムーズに行きすぎて少し怖くなる。今更だけれど、この人が夏目先生じゃなかったらどうしよう。すべてが自分の早とちりで、何も成果がなかったとしたら――……。

「金沢まで3時間かあ」

 窓の外を眺めながら、央が言った。背もたれを少しうしろに倒したシートに、ぼすっと背中を預ける。足が冷えないように、紺色のダッフルコートを膝掛けにしていた。

「寝てれば? テストで疲れただろうし」
「無理無理、ドキドキして眠れないよ……」

 央にいつもの勝ち気な態度はなかった。緊張で落ち着かないのか、何度も左右の手を握り合わせている。

「先生……、怒ってるかな。私のせいで教師辞めることになっちゃったし……」
「そんなことないよ」

 央の弱音に、悠日は語気を強めた。

「夏目先生も、ずっと央ちゃんのこと気にかけてたんだと思うよ。どうやって『桂冠高校2年0組』を見つけたのかはわからないけど、詩を読んで、央ちゃんのものだってわかったからフォローしてくれたんじゃないのかな」

 悠日の推測でしかないけれど、央を安心させたい一心だった。先ほど脳裏によぎった懸念を、無理矢理頭の外へ追い払う。央と夏目先生を再会させるのだ。そして、もう一度、ここから央の時間を前に動かす。自分の心が揺らいでいては話にならない。それを央に見透かされてもダメだ。強い気持ちを持たなくては、彼女を不安にさせてしまう。

「……うん、そうかも」

 央は自分に言い聞かせるようにうなずいた。

「私のことなのに、巻きこんじゃってごめんね」

 彼女のしおらしい態度に慣れない。央は教室で目立たないように物静かなキャラクターを演じているけれど、実際には強気でけんかっ早い。いつもと違う央にどう接していいのか、戸惑ってしまった。

「夏目先生のこと、直ちゃんから聞いたんだよね? どこまで聞いてるの?」

 央の問いに、悠日は答えを逡巡した。「どこまで」というか、どこが始まりでどこが終わりなのかもよくわからない。文化祭でも直子に同じようなことを尋ねられて、困惑した。

「……央ちゃんと夏目先生の関係が疑われて、先生が学校辞めちゃった、ってところ……かな」

 言い出しにくかったが、直子から教えてもらったことを簡潔に一言でまとめた。

「……そっか」

 央は窓棚に置いていたペットボトルを手に取り、膝の上で握った。乗車前に悠日が央に買ってあげたホットココアだ。今日も一段と冷えこみが厳しい。温かいものでも飲んで、少しでも緊張を和らげてほしかった。

「夏目先生と私には何もないよ。先生と生徒ってこと以外は、何も」

 央は視線を膝に落とした。温かみのあるブラウンのラベルを親指で撫でる。悠日もどこを見ていいかわからなくて、とりあえず彼女の膝の上のホットココアに目をやった。

「でも、私が先生のことを好きだったのは本当。告白もしたことある」
「え!」
「フラれたけどね」

 央は自嘲気味に笑った。彼女が夏目先生に対して積極的な行動を取っていたとは思わなかった。以前直子も話していたけれど、普段の央は腰が重い。どちらかといえば消極的な央から告白をするだなんて、これっぽっちも想像できなかった。

「私が夏目先生の優しさに甘えちゃったの。ほかに頼れる人がいなかったから」

 ぽつりぽつりと話し出す央の声は嫌に静かで、どこか悲しそうにも聞こえた。悠日は一言一句聞き逃すまいと、真剣に耳を傾けた。

「学校で詩のことが問題になったとき、お父さんもお母さんも、私の詩を『くだらない』って言ってたの。『そんなモン書いてる時間があるなら勉強しろ』とか、『詩なんか書いてるからいじめられるんだ』とか、言われた。学校で暴れたときも、『成績に響くだろう』ってすごく怒られたし」

 1学期に央から過去の話を聞いたとき、あまり両親のことは出てこなかった。その理由に合点がいく。生み出したものや真剣に取り組んでいることを、最も身近な人から「くだらない」と突き放されるなんて。いじめのことも、まるで央が悪いかのような言い方だ。央の両親が我が子を守ろうとしなかったことに、言葉を失う。

「でも、夏目先生だけは、私の味方でいてくれたんだよね」

 ショックを受けている悠日に構わず、央は続けた。声のトーンが、わずかに明るくなったような気がする。

「詩を褒めてくれて、書き続けるように背中を押してくれて、いじめも解決してくれた。そんな人のことさ、好きにならないほうが無理じゃない?

 夏目先生は、“先生だから”そうしてくれたのかもしれない。それでも、私はすごく救われたんだよ。

 先生のことが好きだーって気持ちが、止められなかった。あふれ出てきて、どうしようもなかった。誰かを好きになるって、こんな気持ちだったんだって、知った」

 白い頬を赤く染め、口角を上げながら話す央は、まさしく「恋する女の子」だった。見たこともないその姿がかわいくて、他人へ向けられた恋心だとわかっていても、ちょっとだけときめいてしまう。

「私、家に居場所がなくて……。お父さんもお母さんもほとんど仕事でいないのに、家の中はいつも窮屈だった。

 だから、休みの日に夏目先生の家に押しかけて、美術館とか一緒に行ってもらったこともある。『デートだ!』って、はしゃいじゃって。先生からしてみたら、ただの引率なのにね」

 当時のことを思い浮かべているのか、央はふふっと笑った。家庭内がうまくいっていなかったことも、央が夏目先生に惹かれる一因になったのかもしれない。彼だけが、央の心の拠り所だったのだ。央に夏目先生がいてくれてよかったと思う。たとえその先に、どんな悲劇が待ち構えていたとしても。

「好きって気持ちもあったけど、たぶん、夏目先生の優しさにつけこんでた。先生も家庭うちのこと知ってたし。私だって、先生が断れないだろうってわかってやってるところもあった。

 今思えば、それがよくなかったんだよね。私がみんなを誤解させたの。今ならちゃんとわかる。私の行動が間違ってたんだって」

「間違ってたなんて」

「ううん、間違ってた」

 央は悠日の言葉を遮った。抗うことなく落ち着いた様子だった。立場の違う、責任のある大人に恋をすることのむずかしさを痛感させられる。

「私、いじめが解決したあとも、クラスの子からよく思われてなくて」

 央は話を続けた。窓の向こうには、もう高層ビルの姿はない。一軒家や畑といった、普段あまり目にしない景色が流れていく。ずいぶん東京から離れてきたようだ。

「夏目先生が私のことを守って、周りに謝らせたのを気に入らない人もいたんだよね。その人たちに疑われたの。私と先生に男女の関係があるんじゃないかって。

 休みの日に一緒にいるところも見られてたみたいだし、『何もない』って言っても誰にも信じてもらえなかった。お父さんとお母さんにもね。まあ、私の浅はかな行動が悪いんだけど、親に信じてもらえなかったのは、結構キツかったなあ」

 文化祭で、直子は「どうして関係が疑われることになったのかわからない」と言っていたけれど、央には理由がわかっていたようだ。いじめは、そう簡単には解決しない。思いも寄らぬ方向で、再び炎が燃え上がってしまったのだ。当時の央の気持ちを想像すると、悠日の胸はぎゅっと押しつぶされそうだった。

 同時に、先ほどの父との会話を思い出す。品行方正でも成績優秀でもない悠日を、無条件に信じ、送り出してくれた。そのありがたさをこんな形で思い知るとは。父の信頼に応えたい。ちゃんと央と夏目先生を再会させて、無事に東京まで帰ろう。悠日は決心した。

「あの人たちは、夏目先生を学校から追い出すことに、まったく反対しなかった。私のいじめを解決するために尽力してくれた人なのに。それにもすごく腹が立って。だから、直ちゃんの提案にのって家を出たの。あの人たちとは、もう一緒に暮らせそうもないから」

 両親を”あの人たち”と表現するところに、央の心のシャッターが閉まり切っていることを感じる。彼女のキリっと締まった顔つきからは、怒りや悲しみはあれど、決意のほうがはっきりと表れていた。

「だから、悠日くん」

 央は真っ直ぐ悠日の瞳を見つめた。いつかのような鋭く射貫く視線ではないが、確固たる強い意志が秘められている。その眼差しからは、不思議と柔らかさも感じ取れた。

「ありがとう。もう一度、夏目先生と会わせてくれて」

 おそらく、これが央と夏目先生のすべてなのだろう。悠日も微笑みながらうなずいた。ようやく、「クラスメイト」から「友達」に昇格できたような気がする。「0組の机にポエムを書いていること」だけでなく、深く傷ついた出来事まで信頼して打ち明けてくれたのだ。もうただの「クラスメイト」じゃない。胸を張って「友達」だと言える。

「ねえ、悠日くんの恋の話も聞かせてよ」
「え゛」

 話が一段落すると、央は悠日に会話のボールを預けてきた。とんでもないリクエストに、あからさまに嫌そうな反応をしてしまう。

「私にここまで話させといて、自分の恋は秘密にしてるってフェアじゃなくない?」

 央は唇を尖らせながら、ペットボトルのキャップを開けた。ココアを一口飲む。彼女の言うことには一理あるが、気になっている女の子に自分の恋の話を聞かせるなんて、なんだか恥ずかしい。しかも、央の壮絶な恋の話を聞いたあとで、話せるようなことなど何もない。

「前さ、私の詩を読んで『元カノにフラれたときのことを思い出した』って教えてくれたことがあったよね? それが、最近まで付き合ってた人のこと?」

 央が0組の机に詩を書くのを再開してから、そんな感想を伝えたこともあった。意外とちゃんと覚えてくれているんだなと感心しながらも、なんでそんなことを言ってしまったんだろうと後悔する。

「……そう。同じ中学校の人だったんだけど、卒業するタイミングで告白されて付き合って、高1の夏休み前にフラれた。まあ、最近ってほど最近じゃないけど」

 新幹線のアナウンスが、もうすぐ長野駅に到着する旨を伝える。まだまだ先は長い。央が珍しく興味を持ってくれていることだし、金沢までの暇つぶしになるならと話し出した。

「なんでフラれちゃったの? 悠日くん、モテるんでしょ? せっかくこんなイケメンと付き合えたのにもったいない」

 央にイケメンと認識してもらえていることはありがたいが、フラれたエピソードを話すなんてカッコ悪いにもほどがある。悠日はためらいがちに口を開いた。

「んー……。『思ってたのと違った』って言われたんだよね」
「思ってたのと違う?」

 央は首を傾げながら、悠日の元恋人の台詞を復唱した。

 元恋人との思い出が詰まった記憶の箱を、脳の奥から引っ張り出して開封する。「思い出」というほど長い時間を過ごしてはいないけれど、中学校時代は彼女と同じグループで、いつも一緒だった。恋人になる前に過ごした時間も、「彼女との思い出」に含んでいた。

 彼女は央とは180°違う、陽気な雰囲気のある女の子だった。クラスのムードメーカー的存在で、周囲はいつもキラキラとした笑い声であふれていた。彼女のいたグループは所謂「スクールカースト」の上位で、当然悠日も「スクールカースト」の上位グループに属していた。上位グループ同士、修学旅行や学習発表会などの男女混合で行うイベントでは、自然と同じグループになることが多かった。悠日のグループの男の子が彼女のグループの女の子と付き合っていることもあり、放課後や長期休暇の際も、よくみんなで遊びに出かけたりしていた。

 彼女に「付き合ってほしい」と告白されたのは、卒業式が間近に迫った頃だった。聞くと、ずっと悠日のことが好きだったのだと言う。「受験勉強もあるし、他の女の子たちの目もあるから」と、思いを打ち明けるのは控えていたが、無事に進路も決まったし、卒業前に気持ちを伝えることに決めたらしい。卒業したら、お互い違う高校に進学して離ればなれになってしまう。その前に、彼氏・彼女の証がほしいとも言っていた。

 悠日は特段ほかに好きな人もいなかったから、快くOKした。もちろん、彼女からの好意はうれしかった。進学前の春休みはデートもしたし、仲よしグループのメンバーも交えてたくさん遊んだ。高校生活が始まってからも、頻繁に連絡を取り合っていたと思う。部活もあって顔を合わせる時間は減ってしまったけれど、何も問題なく、二人の関係は穏やかに続いていた、はずだった。

「私たち、別れたほうがいいんじゃないかな」

 突然、彼女から別れを切り出された。しかもLINEで。うまくいっていると思っていたのは、悠日だけだったらしい。高校で好きな人でもできたのだろうか。悠日は彼女の気持ちを尊重して、「わかった」と返事をした。すると、「そういうとこだよ」と、絵文字もないキツい文面が返ってきた。

「思ってたのと違った。悠日は全然私のことなんて好きじゃなかった」

 間髪をいれずに、「そんなことないよ」とフォローの文面を送ったけれど、それ以降彼女からの返事はなかった。正真正銘、二人の関係は終了した。

「へ~~……。それはそれは」

 悠日が話し終えると、央は両手でホットココアを包みながら、難解な表情を浮かべていた。名探偵が推理をしているときのような顔。反応に困る話を聞かせてしまったようだ。

「ごめん、おもしろくない話で」
「別におもしろい話聞かせてって言ったんじゃないから。
 で? 悠日くんは、その子のこと好きじゃなかったの?」

 縁なし眼鏡の向こうから、丸い大きな瞳がこちらを覗きこんできた。核心を突かれて、ドキっとしてしまう。

「好きじゃなかったら付き合わないだろ」
「それもそっか」
「央ちゃんは? その、夏目先生以外に好きな人とか」
「なんでそんなこと教えなきゃなんないのよ」
「すいません」

 新幹線は糸魚川駅を通過した。窓の向こうは、都会とはほど遠い風景を見せている。収穫の時期を終えた、何も育っていない寂しげな田んぼが続き、たまに広い敷地を有する一軒家がポツンと建っている。背の高い建物が少ないせいか、田んぼがどこまでも遠くに続いているような錯覚を起こしてしまいそうだった。どんよりと漂う灰色の雲は、掴めそうなほど低い。東京生まれ・東京育ちなのに、田舎の景色を目の前にすると、どうしてノスタルジックな気分に浸ってしまうんだろう。

 央にはごまかしてしまったけれど、当時の彼女のことが本当に好きだったのかと問われると、自信をもって「好きだった」とは言いがたい。背が高くて、小顔で、モデルのように綺麗な子だった。そう思っていたのは嘘じゃない。卒業後も仲よしグループの絆が続けばいいと、告白をOKしたところもある。それって、そんなに悪いことだったのかな。結局、彼女を傷つけたのだろうか?

 ――いや、おそらく彼女だって、悠日が自分を好きじゃないとわかっていながら告白したのだと思う。付き合っているうちに好きになってくれると信じていたのではないだろうか。でも、好きにならなかった。だから、「思ってたのと違う」という言葉が飛び出したんじゃないのか。本当は、全部わかっている。わかっているのだ。俺だって、そのうちちゃんと好きになると思ってたよ。

 悠日は外の景色を見る振りをして、央の横顔を眺めた。低い鼻、苺のように赤く、艶やかな唇。さっき、央は「誰かを好きになるって、こんな気持ちだったんだ」と言った。「好き」という感情が一体どんなものであるのか、夏目先生と再会した央の姿を目の当たりにしたら、悠日にも理解できるようになるだろうか。そして、旅を終えた先に、央へ抱いているこの気持ちの答えが、ようやく見つかるような予感もしていた。


(つづく)

↓第8話


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