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「0組の机にポエム書いてるの私です。」第3話

「あれ! うしろの席、央ちゃんなんだ!」

 長いような短いような一ヶ月半の夏休みが終わり、2学期最初のホームルームは席替えだった。央の新しい座席は窓際のいちばんうしろ。目立たない席を引くとは我ながらぐじ運がいい。スクールバッグと机の中に入れていた教科書のたぐいを持って、ご機嫌で新しい座席に移動した。

 しかし、突如現れた背の高い男の子が央の視界を遮った。恐る恐る顔を上げる。ふわふわとしたミルクティー色の髪。薄茶色のくりっとした目。無邪気に笑うと見える、かわいい八重歯。

 えっ……うそでしょ。

「前の席、浅海くんなの……?」

 絶望で声が裏返る。青ざめていく央とは反対に、悠日は晴れやかな笑顔だった。

「ラッキー! 勉強教えてもらえる! よろしくね、央ちゃん!」

 なっ、何が「よろしくね、央ちゃん!」だーー!

 央は悲鳴を上げそうになるのを必死にこらえた。一応クラスでは物静かな大人しいキャラクターで通っているのだ。「よ、よろしく……」と、無理矢理普段通りの微笑をつくる。頬がピクピクひきつってしまうが、悠日は当然気づく様子もなさそうだった。

「もー央ちゃん、俺のこと“悠日”って呼んでって、前に言ったよね? クラスにもう一人同じ名字いるんだから、紛らわしいよー」
「そうだったっけ? 気をつけるね……」

「0組の机にポエムを書いている」と悠日にバレてから、彼は何かと央を構うようになった。

 幸い、詩のことは本当に秘密にしてくれているようだった。翌日も、その翌日も、「0組の机にポエムを書いてるのって央なの?」と聞いてくる人は誰もいなかった。耳にしていないだけかもしれないが、今のところ「0組の机にポエムを書いているのは3組の中原らしい」という噂も立っていない。

 央は再び0組の机に詩を書き始めた。練習問題を解いている時間や、先生に指された生徒が回答を間違えたりしている間に、こそこそと周りの目を忍んで詩を綴る。誰に聞かれたわけでもないのに、「彼に説得されたから書くんじゃないから」と心の中でつい言い訳をしてしまう。


『Rain Bird』
雨が降る空を
君が一人で飛んでいたら
私はいそいで
君のもとへ飛んでいく
私が青い空へ連れていくから
もうこれ以上遠くへ飛んでいかないで

 一度だけ、詩を書きこんだ席に座ることができた。

「また書いてくれてうれしいです♡」
「Nice」
「最高!」
「これからも楽しみにしています」

 添えられた感想に、身体がじんわりと温かくなる。一度書くのをやめてしまったというのに、また感想がもらえるなんて。誰かに詩が届いているという手応えに鳥肌が立つ。もう一度、書いてよかった。「彼に説得されたからじゃない」なんてかわいくないことを思いつつも、再びこの感動を味わえるのは、「やめるな」と言ってくれた悠日のおかげだ。それだけは認めざるを得ない。

 ――でも。

「央ちゃん、数学教えて!」
「いやです」

「央ちゃん、今日のお弁当なに?」
「関係ないでしょ」

「央ちゃん、一緒に帰ろう!」
「なんで?!」

 それとこれとは、話が別!

 詩の問題が解決したあと、新しく央の悩みの種となったのは、悠日が馴れ馴れしく接してくるようになったことだった。今までずっと「中原」と呼んでいたのに、なぜか急に「央ちゃん」と親しげに呼び始めた。どうやら、あの一件で央と仲よくなったつもりらしい。

 悠日は、央のようなタイプの女の子と出会ったことがないのかもしれない。コソコソ詩を書いている女の子なんて、そう彼の周りにはいないだろう。悠日とよく話している女の子といえば、明るくて活発で、華やかなアイドルのような子たちばかり。彼女たちとは真逆のタイプの央は、悠日にとって珍しいに違いない。不運にも、央は彼の「興味の対象」になってしまったのだ。

 成り行きで秘密を共有している二人ではあるが、央のほうは悠日に心を許しているわけではない。秘密を黙っていてくれたり、詩を書き続けるように励ましてくれたり、彼が「イイヤツ」なのは重々承知している。央の彼への印象は、「クラスで馬鹿騒ぎしているうるさいヤツ」からほんのわずかに昇格した。

 もう一度詩を書き始めたときも、そのきっかけをつくった張本人である悠日が最も喜んでくれた。英語の授業が終わるやいなや央の元へ走ってきて、

「また書いてくれるようになって本当にうれしいよ!」

 と叫んだ。央に抱きつかんばかりの勢いだった。どうやら詩の書きこまれた席に当たったらしい。周囲の生徒が、いつかのときのように驚いて二人を見ている。央は「バレる!」と反射的に手のひらをグーにして、悠日の頬を殴った。その様子にもクラスメイトたちはぎょっとしていた。目立たないようにと思ったのに、行動が裏目に出た。

 それ以降、央の心情を察したのか、悠日はみんなのいる前で詩の感想を伝えることはなくなった。休み時間や放課後、央が一人でいるときにわざわざ「央ちゃん!」と駆け寄ってきて、

「失恋の詩、めっちゃわかるわー。元カノにフラれた日のことを思い出した」

「俺、あの鳥の詩がいちばん好きかも。鳥の視点で書くって天才じゃね?」

 などと、小声で感想を述べてくれるようになった。

 悠日の感想をありがたく受け取りながらも、央は他の生徒の目が気になっていた。悠日のいるグループはクラスの中心。勉強の出来はともかくとして、スポーツができて、笑いのセンスもあり、コミュニケーション能力にも長け、おまけに容姿も整っている生徒が多い。一方の央は、スクールカースト的には「下の下」にいる。黒髪に眼鏡という風貌は地味だし、制服もうまく着崩せない。いじめを経験してから、人とコミュニケーションを取るのも億劫になってしまった。

 天と地ほどにスクールカーストのかけ離れた央と悠日が会話をするのは、トランプの「大富豪」でいうところの「革命」のようなものなのだ。「央ちゃん、央ちゃん」と悠日がしつこく話しかけている様子に、クラス中が不思議がっていた。それまで央のことを視界に入れていなかった人たちが、悠日のおかげでその存在を認識するようになっていた。

 悠日の対応に困っている央を心配してくれたのか、一度だけ、茗が「悠日と何かあった?」と聞いてくれたことがあった。言えない。言えるはずがない。「0組の机にポエムを書いてるのがバレて、浅海 悠日に興味をもたれてしまった」なんて。央は努めて穏やかに「何もないよ」と答え、そそくさと話題を終わらせてしまった。悠日との関係を誰かに相談することは、一度もなかった。

 しかし、央がいちばん気になっているのは――……。

「はいはいはーーい! 卓球のミックスダブルス、俺と央ちゃんが一緒に出ます!」

 教室中に響く悠日の声が、央の回想をかき消した。名前を呼ばれた気がして、ハッと我に返る。ホームルームそっちのけで、悠日の背中の真っ白いワイシャツの繊維をにらんでいた。

 黒板には、白いチョークで「球技大会」と書いてある。ああ、そっか。席替えのあとは、2週間後の球技大会の種目決めをするとかなんとか言っていたっけ。男子はサッカー、女子はバレーボール、男女混合でドッジボールと卓球があり、この中から一人一種目以上出場することになっている。スポーツが苦手な央にとって、体育祭に並ぶ嫌なイベントだ。昨年はバレーボールに出場したけれど、サーブは入らないし突き指はするし、大してパスが回ってくることはなかった。

 それで? 悠日くんと私がミックスダブルスに出るって……?
 え?! 何言ってんの?!

「いや、ちょちょちょ無理無理無理! 無理です!」

 央が慌てて椅子から立ち上がると、それに被せるように「キーンコーンカーンコーン」とチャイムが鳴った。ベタ過ぎる展開に絶句する。

「じゃ、これで決まりなー。ホームルーム終了! おつかれーい」

 担任の鮫島さめじま(物理教師)が気だるそうにあくびをしながら、号令もなしにホームルームを締めた。薄汚れた白衣を翻して教室から出て行く。生徒たちもバラバラと立ち上がり始めた。本日の授業はこれでおしまい。掃除や部活に向かう生徒や、早々に帰宅する生徒など、何事もなかったかのように各々教室から散っていく。

 えっ、決まっちゃったの?! 嘘でしょ?!

「ちょっと、どういうこと!?」
「だって、央ちゃん1種目も出てないじゃん」

 ぐいっと悠日の襟を掴んで問い質すと、彼は呆れたように黒板を指差した。サッカーやバレーボールなどの競技名の横に、クラスメイトの名前が列記されている。当然だが、そこに央の名前は一つもない。脳内で悠日への恨みつらみを並べていたから、種目決めに乗りそこねたのだ。

「だからって勝手に入れないで!」
「え〜? も〜わがまま言わないでよ〜」
「どうして私が悪いみたいになってんの?!」
「いや悪いでしょ、ホームルーム聞いてなかったんだから」

「中原さん、大丈夫?」

 央と悠日が口論を繰り広げていると、スラッとした背丈の女の子が割って入ってきた。ボルドーのリボンに、柔らかなイメージを醸し出すキャラメル色のサマーベスト。頭の高い位置で結んだ茶髪のお団子ヘアは、はつらつとしたフレッシュな印象を与えている。くりくりの二重に長い睫。央には”THE・女子高生”というそのルックスが眩しく映った。

「郁」

 悠日が彼女の名前を呼ぶ。彼女が、悠日と同じ「浅海」の名字を持つクラスメイトだった。

「ミックスダブルス、替わろっか? 私、2種目出るから」
「え!? ほんとに?!」
「はあ〜? なんで郁とダブルスやんなきゃいけねーんだよ。俺は央ちゃんと思い出つくりたいの!」
「いやいや結構ですっ! 卓球なんてできないし!」
「うそ! じゃあ練習しなきゃじゃん! いつやるいつやる?!」
「そうじゃない!」

「悠日」

 再び口論を始める央と悠日を、郁が遮る。

「掃除当番だから、部活少し遅れるね。今日のメニュー表、キャプテンに渡しといて」

 郁は悠日に群青色のバインダーを手渡した。「はいよー」と悠日が受け取ると、郁はさっとその場を離れてしまう。ああ、せっかく種目を交換してもらうチャンスだったのに。央はクラスの中心グループにいる郁と、ろくに会話をしたことがない。彼女を呼び止める勇気はなかった。

「じゃあ部活行ってくるね! 央ちゃん、気をつけて帰るんだよー!」
「あ、ちょっと! ミックスダブルスなんて出ないからね?!」

 悠日はスクールバッグをぶんっと勢いよく肩にかけると、元気よく教室から去っていった。央は彼の背中に向かって負け犬のように吠えるしかない。しかし、悠日はひらひらと右手を振るだけだった。~~っ、やられた。

 自席に戻った郁のほうへ目をやる。同じグループの女の子たちと、何やら楽しそうにキャッキャとしゃべっていた。同じ女子高生なのに、郁はどこかお洒落で、央はなんだか野暮ったい。この違いは、一体どこから現われるのだろう。

 悠日と関わるようになってから、央がいちばん気になっていたのは郁のことだった。

 悠日と話していると、いつも郁の視線を感じる。もちろん他のクラスメイトからの視線も痛いのだが、とりわけ強い視線が彼女から送られている気がするのだ。悠日の向こう側でこちらをじっと見つめている郁の姿が、いつも央の視界のすみに映っている。そういえば、0組の机に詩を書いた経緯を悠日に打ち明けたときも、部室棟から中庭にいる彼を呼んだのは郁だった。

 憶測でしかないが、郁は悠日のことが好きなんだと思う。

 悠日と郁はクラスでも特別仲がいい。一緒に登下校している姿を何度も目にしたことがあるし、教室でもよくじゃれ合っている。互いのパーソナルスペースに、互いが立ち入るのを許している。まるで姉弟きょうだいのような親しげな距離感だった。二人が「悠日」「郁」と呼び合っているのも、他の人が呼ぶよりもナチュラルに聞こえた。

 悠日には、現在特定の恋人はいないらしい。1学期のことだが、体育が終わったあと、更衣室で4組の女の子たちが喜々として話しているのを聞いたことがあった(体育は2クラス合同)。となりのクラスの子にもモテているなんて、さすが『ミスター桂冠』だ。でも、彼女たちの会話を盗み聞きながら、郁が悠日の恋人じゃないんだと、意外に思ったのだった。

 郁に、悠日との関係を誤解されているような気がする。スクールカースト「下」の自分が悠日とどうにかなるなんてまずありえないし、そう考えること自体がおこがましいのだけれど、悠日としゃべっているときに視界の角に映る郁は、いつも怪訝そうだった。「どうしてあの子が悠日と?」――……そんな彼女の疑問が、今にも聞こえてきそうだった。

 ああ、このまま郁に目をつけられて、彼女のグループの強そうな女の子からいじめられるようになったらどうしよう。クラスの中心にいるハキハキとした元気のいい明るい女の子たちは、みんな強くて怖そうに見える。悠日も秘密を黙ってくれていることだし、このまま平穏無事な学校生活が続けられると思っていたのに。学校の人気者と関わってしまったせいで、こんな悩みを抱えなければいけないなんて。本当にツイていない。

 それなら、「悠日くんに弱みを握られてしまったんです!」と郁に打ち明けてみる? 央と悠日に「何もない」と理解してもらえるかもしれない。でも、そんなことを言ったら、弱みが何なのか尋ねられやしないだろうか。0組の机に詩を書いてるのは自分だと、郁にまでバラさなければならないのか。それを彼女が信じてくれるかもわからないのに? 信じてくれたとして、それを秘密にしてもらえる保証は? 詩を書いていることが学校中に広まったら、今度こそ生きていけない。バレたのが悠日だったのは、不幸中の幸いだったのだ。もう、運がいいのか悪いのかわからない。

 央は溜息を吐きながら、スクールバッグを肩にかけた。郁にミックスダブルスの話を持ちかけることは、できなかった。




 球技大会まであと1週間。今日の2時間目は体育で、女子は体育館でバドミントンの試合だった。

 央は茗とペアを組み試合に臨んだが、一勝もできなかった。茗もそれほど運動が得意ではないが、基本的な動作はできる。一方の央は、ラケットを振っても空振りばかり。茗に多大なる迷惑をかけてしまった。何度やってもラケットにシャトルが当たらない央に、茗はお腹を抱えて爆笑していた。かなり恥ずかしいが、怒られるより笑ってくれたほうがマシだ。図らずもラケット競技のむずかしさを痛感する。球技大会のミックスダブルスが、ますます憂鬱に思えてきた。

「中原さん、ちょっといい?」

 体育倉庫でネットや得点板などを片づけていると、背後から誰かが話しかけてきた。振り向くと4組の女の子が二人。向かって左の子は、やや茶色がかった髪をポニーテールに結んでいる。猫の目のような大きなツリ目が印象的だ。右の子は黒髪のショートボブ。一重の涼しげな目元が大人びている。白いシャツに学年カラーの紺色のズボン。なんの変哲もない体操服なのに、かわいい子が着ているとそこまでダサくないから不思議である。

「……なに?」

 警戒しながらも、彼女たちにそれが伝わらないように注意して尋ねた。今まで一度も話したことがないのに、央の名前を知っていることに疑問を覚える。二人とも、笑顔ではない。眉間に皺を寄せている。直感的に、いい話ではなさそうだと思った。

「中原さんと浅海くんって、付き合ってるの?」
「……はい?」

 ポニーテールの女の子がストレートに聞いてきた。薄ピンクのツヤツヤとした唇から飛び出したその言葉を、理解できない。私と悠日くんが付き合っている? そんなことを質問してくる人がこの世の中にいるなんて。スクールカースト的に絶対にあるわけないのだ。あまりにも馬鹿げた質問だったので、「男女交際的な意味で?」と聞き返そうとしたけれど、「それ意外に何があるんだ」とキレられそうな気がしたのでやめた。

「そんなはずないでしょ」
「でも、最近よく一緒にいるよね? 昨日も二人で帰ってたし」

 今度はショートボブの子が問いかけた。うわ、そんなところまで見られていたのか。悠日は目立つのだなと改めて感心する。

「一緒に帰ったわけじゃないよ。悠日くんがついてきたっていうか……」
「何それ、浅海くんのほうがアンタに寄ってきたっていうの?」

 事実を伝えただけなのに、嫌な受け取り方をされた。央の言い方もよくなかったのかもしれない。悠日との関係を明らかにするための問い、ムスッとした表情。彼女たちが悠日に好意を抱いているのは一目瞭然だった。それが恋愛感情なのか、ただのファンとしての感情なのかはまだわからないが。

 でも、これまで一度も自分から悠日に近づいたことはないのだ。そこを間違ってほしくない。昨日だってそうだ。ホームルームが終わって帰ろうとしていたところを、悠日に引き止められたのだ。「卓球の練習しないと本番になっちゃうよ?!」と。部活がオフだったらしく、練習するなら今日しかないということだった。彼のしつこい誘いを断り続けながら歩いているうちに、気づいたら駅に着いていた。「一緒に帰った」のではない。あくまで結果として、そうなっただけなのである。

「……いや、そういうことじゃ」
「それに、何で『悠日くん』って下の名前で呼んでるの? ずいぶん親しげだね」
「クラスに同じ名字の子がいるから、本人がそう呼べって。別に深い意味はないけど」

 立て続けに言いがかりをつけてくるから、ついカチンときて語気が強まってしまった。学校では物静かな大人しいキャラクターで通っているのに、本来の頑固で強気な性格が露わになってしまう。

「はあ? 何その言い方」
「気に入られてるからって調子のんなよ」
「いたいた! 中原さん!」

 二人がぐいと央に詰め寄ってきたところで、誰かが体育倉庫に入ってきた。頭の高い位置で髪をお団子にまとめている。郁だ。

「茗が探してたよ。高橋たかはしたちも何やってんの? 早くしないと3時間目遅れるよ」

 郁は央の元へ駆け寄りながら、4組の二人にも冷たく声をかけた。どちらかはわからないが、片方の名前は「高橋」というらしい。彼女たちも邪魔が入ったとわかったのか、央を一瞥して何も言わずに体育倉庫から出て行った。うしろ姿を見送り、視界から消えたところで、「はあ」と央の口から溜息がこぼれ出る。

「大丈夫? 何か変なこと言われた?」

 郁が央の顔を覗きこんで尋ねた。溜息を聞かれてしまったようだ。

「ううん、平気」
「あの二人、悠日のファンなんだよね。前、私にも突っかかってきたことあってさあ」

 ミスターコンテストの覇者ともなると、芸能人でもないのに激し目のファンがつくのか。郁は「やんなっちゃうよねー」と苦笑した。同じような経験をしたことがあったから、間に入ってくれたのだろう。クラスでもほとんどしゃべったことのない央を助けてくれるなんて、彼女の優しさに胸を打たれる。郁のことを誤解していたのかもしれない。

「ありがとう」と口を開こうとしたそのとき、郁が被せるように「でも」と続けた。

「本当に、悠日と付き合ってないんだよね?」

 4組の二人と同じことを聞かれる。

「……まさか」
「……そっかあ」

 郁のにこやかな笑顔から、真意を読み取ることはできなかった。先ほどの二人のあからさまな敵意のほうが、わかりやすくて逆にいいとさえ思ってしまう。この問いにどんな意味があるのだろう。悠日のことが好きだから、問うたのか?

「行こ、私たちも3時間目遅れちゃう」

 郁は先に歩き出した。央も、一歩遅れてそのあとを追った。




「あー! だから、央ちゃん、そうじゃないって!」

 央がピンポン玉を空振りしたところで、卓球台の向こうにいる悠日が本日三度目の呆れ声を上げた。

「も、もう無理……」
「無理じゃない! まだ一球もこっちに打ち返せてないんだから! ほら、行くよ!」

 悠日がズボンのポケットからもう一球ピンポン玉を取り出して構えた。央は泣きそうになりながらもサーブが飛んでくるのを待つ。

 とうとう球技大会が明日に迫っていた。央は何かと理由をつけて悠日からの「練習の誘い」を断ってきたが、郁が種目を替わってくれる気配はない。球技大会をサボると成績がつかなくなるし、クラスのみんなの足を引っ張るのも不本意だ。悩みに悩んだ末に、ようやく腹を括って悠日と練習をすることに決めた。

 悠日は体育館で卓球部のスペースを借りて練習するつもりだったらしいが、そんなの恥ずかしくてたまらない。何より卓球部に迷惑だし、目立ちすぎる。4組のあの女の子たちのような、悠日のファンに目撃されても厄介だ。央は、部室棟のエントランスに一台の卓球台が放置されていることをふと思い出した。購買部がテーブル代わりに使用している、壊れた卓球台だ。壊れているといっても畳めなくなっただけで、卓球台としての機能を失ったわけではない。ラケットとピンポン玉も袋に入れて卓球台にひっかけてあるし、昼休み、ここで卓球をして遊んでいる生徒を見かけたこともある。部室棟のエントランスは、部活が始まりさえすればあまり人が通らない。人目につきにくいからという理由で、央が悠日をここに連れてきたのだ。

 悠日が部活を休んでまで練習に付き合ってくれているのだから、もっと必死にならなければいけないのだけど。今のところ、央は一度も悠日のサーブを打ち返せていない。どう振ってもラケットに当たらないのだ。先日の体育の授業と同じように、華麗に空を切ってしまう。ラケットの持ち方もバトミントンやテニスと違って特徴的でむずかしく、なかなか手に馴染んでくれなかった。

「そーれっ!」
「ひゃっ!」

 悠日がサーブを打つ。スピードと勢いのある回転のかかったサーブが、央側のコートに飛びこんできた。打ち返せるはずもなく、ピンポン玉はコンコンコンコン……と虚しい音を立てて、エントランスの床を跳ねていく。

「も~、普通に打ってよ。初心者がそんな変化球打ち返せるはずないでしょ」

 央は口を尖らせながら、ピンポン玉を追いかけてキャッチした。

「ごめんごめん、YouTubeで見た回転サーブやってみたくなっちゃって」
「ふざけんな」
「すみません」

 央は卓球台の縁へ戻り、悠日に向かってピンポン玉を投げた。悠日側のコートで一度バウンドすると、彼がそれを易々と右手で捕まえる。

「なんだろ、構え方が違うんだよな」

 悠日が首を傾げながら央のほうへ歩き出した。何、構え方が違うって。教えてくれたようにやってるのに。うまくいかなくて、央はついぶーたれてしまう。

「だからさ、ラケットの向きはこうで、ここにボールがきたら、こう! 打つ!」

 背後から、悠日がラケットを持つ央の右腕を掴んだ。後ろから抱きしめられているかのような至近距離に、央は瞳を見開く。彼は大きく央の腕を振って、ボールを打つ動作を繰り返した。カッと体温が上昇する。正面に卓球台があるから咄嗟に離れることもできず、央はされるがままに右腕を振るしかなかった。

「ちょっ、わかったから離し」
「いーや! わかってない! 身体に叩きこむまで素振りさせちゃる!」
「スパルタすぎるでしょ?!」

「悠日? 何やってんの、こんなとこで」

 後方から誰かに話しかけられた。二人同時に振り返る。重そうなウォータージャグを両手に引っさげた郁の姿があった。深碧しんぺき色のTシャツには、「Keikan High School Volleyball Club」というゴシック体の文字が大きく躍っている。

「おー、郁」

 悠日は央の腕を離し、彼女に手を振った。その隙に、央は悠日からサッと距離をとる。ここなら誰にも見られないと思っていたのに、よりによって郁に会ってしまうなんて。手を当てて高鳴る胸を押さえながら、つい渋い顔をしてしまった。

「練習してんの。明日、球技大会じゃん」
「練習って……ミックスダブルスの?! ちょっと、中原さんイヤそうじゃん! まったく無理矢理つき合わせて!」

 郁は央の表情を見逃さなかった。しかめっ面をして悠日に詰め寄る。そっちの意味で渋い顔をしているのではないんだけど、勘違いさせてしまった。央は経緯を説明しようとしたが、それよりも先に悠日が口を開く。

「なんだよ、うっせーな。郁には関係ねぇだろ。邪魔すんな」

 央は息を呑んだ。いつもニコニコと明るい悠日が、乱暴な口調で反論するとは思っていなかった。

「うるさいって何!? 中原さんのこと心配して言ってんだからね?! そうやってアンタがちょっかい出すからこの前だって」

 二人の間に入ろうとしたが、ワンテンポ遅かった。郁が怒り出すほうが早い。続けて悠日が言い返す。

「お前に心配される筋合いねぇし! ちょっかいって人聞きの悪い言い方すんな!」
「あの、ちが」
「ほんとのことでしょ?! もう中原さんに手ぇ出さないで! 迷惑だから!」
「落ち着」
「迷惑かどうかは央ちゃんが決めることだろ!? お前はすっこんでろ!」
「あぁ?! 何つった今!」

 ヒートアップしていく口論に入っていく余地がない。央のか細い声は二人の怒号にかき消されてしまう。郁はウォータージャグをほっぽり投げて、悠日の胸ぐらを掴み始めていた。悠日も郁の腕を強く押さえている。

 郁は央のことを案じているような口ぶりだが、実際は二人が一緒にいることが嫌なのだろう。自分の気持ちを悠日から隠すために、央の心配をしていると装っているのだ。そんな郁の恋心が透けて見えるのも苦しい。

 どうしよう。このままでは収拾がつかない。そもそも全部誤解なのだ。私たちの間には何もない。ただ「0組の机に詩を書いている」という秘密を共有しているだけの関係だ。郁が嫉妬するようなことは、何一つ起こっていないのに。好きな人に「関係ない」だなんて言われるのは、心底ツラいだろう。このままでは、二人の恋がどんどんもつれて、取り返しのつかないことになってしまう予感がした。

 イヤだ、そんなの。
 私のせいで、二人の恋が終わってしまうなんて。

 大きく息を吸いこんで、叫んだ。


「0組の机にポエム書いてるの私です!」


 悠日と郁の口論がピタッと止まった。二人とも掴み合ったままではあるが、動きを止めて、呆気に取られた表情を央に向けている。自分でそう仕向けたくせに、二人の視線が真っ直ぐ注がれると緊張した。でも、意表を突いて二人の注意を引かないと、この言い争いは止まらないと思った。

 何より、郁の恋心を不用意に傷つけてしまうことをけたい。央と悠日の間に何もないと知っていれば、起こるはずのないケンカだ。まずは落ち着いて、冷静に話し合おう。誤解が解ければ万事解決するはず。央はゴクッと生唾を飲みこみ、ゆっくり息を吸って慎重に話し出した。

「0組の机に詩を書いていることは、私だけの秘密だったんです」

 クラスメイトに話しているだけなのに、なぜか敬語になってしまう。

「でも、いろいろあって悠日くんに打ち明けてしまって。本当はやめるつもりでいたんだけど、悠日くんが励ましてくれたから、もう一回、書いてみようと思ったの。

 だから、その、悠日くんには感謝してるけど、付き合ってるとか、そういうことは一切なくて! 浅海さん――郁ちゃんが不安に思うようなことは何もないし、それでも郁ちゃんがヤキモチ焼いたり、嫌な気持ちになるなら、もう、悠日くんとは金輪際関わりません!」

 できる限り言葉を選んだつもりだけれど、ここまで言ってしまえば、いくら鈍感そうな悠日でも郁の気持ちに勘づいてしまう気がする。申し訳なく思いながらも、郁に伝わるように懸命に言葉にした。もうそれしか二人のケンカを止める方法が考えつかなかった。0組の机に詩を書いていることは秘密にしたかったけれど、でも、もうどうなってもいい。関係ないのは自分のほうなのだ。自分のせいで、郁の尊い恋心が傷つけられるなんて耐えられなかった。

 郁はゆっくり悠日の胸ぐらから手を離して、「えっ? えっ?」と交互に央と悠日を見た。

「0組の机にポエムを書いてるのが、中原さんで……? それを悠日が知ってて……? 私が……? ヤキモチ……?」

 央の突然の告白に混乱しているようだった。それもそうだろう。央が0組の机に詩を書いていることは、一見何もつながりがない。でも、央と悠日のはじまりは、0組の詩の秘密を共有したことなのだ。潔白を証明するためには、まず自分が0組の詩の書き手であることを、郁に打ち明けなければならない。

 これ以上どう説明していいのかわからなくて、央は口をつぐんでしまった。郁の気持ちを悠日に気づかれないように注意しながら誤解を解くのは、至難の業だ。――しかし。

「あっはっはっは!」

 突然、悠日が笑い始めた。

 え? なんで?
 どうしてこんな真剣な場面で笑えるの?

 央はドン引きして顔をしかめた。

「待って、央ちゃん。央ちゃんこそ何か勘違いしてる」

 笑いすぎたのか、悠日は身体を震わせて泣いている。勘違い? ワケがわからない。人差し指で涙をぬぐいながら、彼は続けた。

「央ちゃん、郁が俺のこと好きだって思ってるんでしょ」
「!」

 図星! いや、でも、彼女の好意をわかっていたとしても、それを本人の前で言うなんてありえない! 衝撃と恐怖とで一瞬息が止まった。いくらバカでもデリカシーがなさすぎる!

「あー、わかった! 私が中原さんにヤキモチ焼いて、それで悠日のこと怒ってるって思ったのか! あっはっは、それはない、ないわー!」

 郁もようやく頭の整理がついたのか、なぜか悠日のように笑い始めた。

「久しぶりに聞いた、この勘違い!」
「たまにあるけどさぁ、ふふっ、あはは!」

 二人で手を叩きながら爆笑する。え? どういうこと? 依然として央には事態が掴めていなかった。頭上に「?マーク」を浮かべながら、今度は央が交互に悠日と郁を見る。悠日はひとしきり笑ったあとで呼吸を整えると、やっと説明してくれた。

「俺と郁、イトコだから。家もとなり同士だし。まあ言ってしまえば、“家族”なんだよね!」

「ええ?! そうなの?!」

 央の新鮮な反応に、悠日と郁は笑いながら再び顔を見合わせた。

「何それ、早く言ってよ! 私、郁ちゃんは悠日くんのことが好きなんだと思ってたから……!」
「1学期の最初の自己紹介で言ったよお。聞いてなかったの?」
「しかもコイツ、彼氏いるし。うちのバレー部のキャプテン」

 顔から火が出るほど、自分の勘違いが恥ずかしい。央は顔を真っ赤にしながら頭を抱えた。クラス替え当時の記憶を掘り起こす。自己紹介? 出席番号順だと、二人の番は早々に終わっているはずだが記憶にない。自分が何を話すか考えるのでいっぱいいっぱいで、耳に入っていなかったのだろう。

 悠日と郁の関係が明らかにされると、すべてのことに合点がいく。親しげな距離感。ナチュラルに互いを呼び合う声。考えてみると、じゃれ合っている姿も恋人というよりは姉弟きょうだいに近い。姉弟きょうだいみたいだと思ったこともあったけれど、まさか本当に家族だったとは。さっきのように本気でケンカをできるのも、家族だからが故か。

 ああ、なんて失礼な勘違いをしてしまったんだろう。穴があったら入りたい。というか、もういっそ、穴の中で消えてなくなりたい。恥ずかしさと情けなさとに苛まれて、両手で顔を覆いながらヘロヘロとその場にしゃがみこんだ。

「悠日さあ、一応カッコイイからモテるんだけど」

 央の心情を察したのか、郁が口を開いた。央に近づき、しゃがみこんで顔を覗く。

「人なつっこいし、誰とでも仲良くするでしょ? それを理由に、中学のときも女子の間で抗争が起こったりしてたんだよね。高校ではそんなふうにならないようにって、目を光らせてたの」

 4組の生徒に問い詰められたときのことを思い出す。「抗争」とは、あれをさらに激しくしたもののことなのだろうか。中学生時代に経験した「いじめ」が脳裏をよぎる。常に郁の視線を感じていたのは、悠日に恋をしていたからではなく、本当に央を心配してくれていたからだったのか。ありとあらゆることがつながると、己の浅はかさがより際立った。気にかけてくれていた人になんて勘違いをしていたのだ。恥ずかしすぎる。改めてこの場から消えてなくなりたい。

「てか! 0組の机にポエム書いてるの、中原さんだったの?!」

 誤解が解けたところで、郁は話を戻した。できればスルーしてほしかったが、そうもいかない。ありもしない恋心を守るために、秘密をバラしてしまったのだ。早とちりのせいで重大な秘密を打ち明けてしまうなんて、阿呆すぎる。消えたい。この世から消えてしまいたい。

「私、あのポエムめっちゃ好き! 感想も書いたことあるの! そっかあ、中原さんが書いてたんだねえ……」

 郁の頬は高揚して赤くなっていた。そういえば、彼女も英語は上位クラスだった。郁の感慨深げな口ぶりが、落ちこんだ央の心に染み渡る。詩を好いている気持ちが嘘じゃないと伝わってきた。しかも、感想を書いたことがあるだなんて。どの感想かはわからないけれど、きっと央も目にしたことがあるはずだ。

「あーあー、俺と央ちゃんだけの秘密だったのに」

 残念そうな悠日の声にハッと我に返る。彼と同じように、郁にも口止めをしなければ。自分からバラしておいて何をやっているんだろう。呆れてしまうが、背に腹は代えられない。

「ごめん、このこと、他の人には秘密にしてほしくて……」
「えっ、秘密にしてるの?! 素敵なポエムなのに!」
「うん。ポエム書いてるって知られるの、恥ずかしいから……」

 本当は別の理由だが今は割愛する。いつかの折に、中学時代にあったことを郁にもちゃんと伝えよう。

「あ~、わかる。私も小説書いてるんだけど、友達には黙ってるんだよね……」
「え?! 小説書いてるの?!」

 央は、これまで創作をしている人と出会ったことがなかった。いじめられた経験から、詩を書いていることは人に話すべきではないと思っていたのだ。こんなに近いところに「同志」がいたとは。ジャンルは違えど、言葉を使って創作をしているのは同じだ。本人も内緒にしていたことだし、この機会がなければ一生知ることはなかっただろう。

「うん。ただの趣味だし、プロを目指してるわけじゃないんだけど……。メインは好きな漫画の二次創作。オリジナルはちょっとだけ」
「俺、こいつの書いた二次創作、子どもの頃から本物だって嘘吐かれて読まされてきたから」
「うっさい。余計なこと言うな」

 悠日が口を挟むと、郁は冷たくあしらった。遠慮のない二人の関係に、一人っ子の央はうらやましさを覚える。

「中原さん、よかったら文芸部入らない? 私、掛け持ちで文芸部にも入ってるんだけど、人数少なくて存続の危機なんだよね……」
「そうなの?! 私でよければぜひ!」

 郁の誘いに央は即答した。出不精で腰の重いことに自覚はあったから、快諾している自分自身に内心びっくりしていた。文芸部に入ったら、作風や文体から0組の詩の作者だとバレる危険性もある。けれど、それよりも創作をしている友達との出会いのほうが、ずっと価値のあることのように思えた。郁なら、悠日と同様にきっと秘密を守ってくれる。彼女自身も創作に励んでいることが信頼につながった。

「ほんとに!? うれしい! 今、時間ある?! 顧問のとこ行って入部届出してもらえないかな?!」
「もちろん!」

 そうと決まれば話は早い。二人はサッと立ち上がり、職員室に向かって意気揚々と歩き出した。

「え?! ちょっと、卓球の練習は?!」

 うしろから悠日が呼び止める。郁は振り向いて、冷ややかな眼差しを送りながら吐き捨てるように言った。

「次の試合、いつだと思ってんの? 部活サボるなんてありえないから。そのウォータージャグ、体育館まで運んどいて」
「えっ、えーー!」

 悠日の情けない声に、央は吹き出して笑ってしまった。「行こ、中原さん」と、郁は再び軽い足取りで歩き始める。央も郁のあとを追うが、残していった悠日が気がかりで、そっとうしろを振り返った。部活をサボらせて練習を頼んだのは央なのだ。

 悠日は央と目が合うと、満面の笑みで大きく手を振った。

「いってらっしゃい! 央ちゃん!」




「っしゃー! サービスエース!」
「行くよっ、悠日! 最後の一点、集中!」

 球技大会は、央の代わりに郁がミックスダブルスに出場した。央はそのぶんドッジボールに参加し、大きな失敗をすることも、目立った活躍をすることもなく無事に役目を終えた。

 悠日と郁のミックスダブルスは、イトコならではの息の合ったプレーで快勝に快勝を重ねた。回転のかかった打ち返しにくいサーブ、スピードのある力強いスマッシュは幾度も会場を沸かせ、他のクラスからも注目を浴びた。最終的に、二人は優勝した。央は、心の底から自分が出なくてよかったと思った。

「郁ちゃん、替わってくれて本当にありがとう!」

 表彰式が終わり、球技大会は幕を閉じた。外にある体育館から教室棟へ、生徒たちがぞろぞろと移動していく。央は郁を呼び止めてお礼を伝えた。同じグループの友達と歩いていた郁は、央と歩幅を合わせてくれる。

「もー、“郁”でいいって言ったじゃん。私も“央”って呼ぶし。卓球のことも気にしないで! 最初にいじわるしたのは悠日なんだし」

 爽やかな微笑を浮かべる郁は、まるでスポーツ選手のようだった。くりっとした大きな瞳に八重歯を見せる笑い方は、どことなく悠日の面影がある。ひんやりとした風がピロティを吹き抜けた。悠日と郁の活躍を見て火照った央の身体が、少しずつ冷えていく。

「央、聞いてもいい?」

 郁が尋ねた。

「私、央の恋の詩がいちばん好きなんだよね。人を好きになる温かい気持ちや切ない気持ちが伝わってくるっていうか……。読んでると、自然に好きな人のことを考えちゃうの」

 郁は照れたように笑った。「好きな人」とは、昨日悠日が言っていたバレー部のキャプテンのことだろうか。詩を自分事として受け取ってくれているなんて、書き手冥利に尽きる。胸がいっぱいになった。

「本当に好きな人がいないと、人の心に響く詩って書けないと思うんだよね。ねぇ、央も好きな人とかいるの?」

 央の足が止まる。郁の少し先を歩いていた悠日がこちらを振り返った。濁りのない澄んだ彼の瞳に、央の姿が映っているような気がする。

「――……いたよ。中学校のときの、先生」

 鋭く、強い、秋の到来を告げる大きな風が、央と悠日の間を通り抜けた。


(つづく)

↓第4話


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