見出し画像

「0組の机にポエム書いてるの私です。」第4話

 日曜日の学校は、私の知っている学校じゃないみたい。

 央は校門をくぐり、体育館のほうへ向かって歩き出した。校庭からはカコーンとボールを打つ気持ちのいい音や、「走れー!」「いいぞー!」と言った歓声が聞こえてくる。野球部が試合をしているのだろうか。管楽器の音が途切れ途切れに耳に届く。クリーム色の4階建ての校舎を見上げた。「日曜日は部活があるから」と、茗には今日の誘いを断られた。

 体育館を覗く。バシン、バシンと、ボールが床に叩きつけられる強い音が無数に響いていた。深碧しんぺき色のユニフォームを纏った選手たちが高くジャンプして、ボールをネットの向こうに叩き落としている。臙脂えんじ色のユニフォームを着た選手たちも、二人一組になってトスの練習をしていた。「Keikan High School Volleyball Club」の文字が記されているのは、深碧色のユニフォームのほう。央は「こっちがうちの高校ね」と初めて認識した。

 2階の観覧席に上がる。観覧席にはちらほらと人が集まっていた。桂冠高校の制服を着た女子生徒のグループは、「がんばって♡」「桂冠魂」と文字装飾の施された大きな団扇うちわを両手に持っている。さながら、アイドルグループのコンサートのようだ。同様に、相手チームの応援団の女の子たちも、臙脂色の法被に臙脂色のメガホンを携えていた。練習試合なのにこの気合いの入りよう。「場違いだな……」と軽く引きながら、央は右端の固定イスに腰を下ろした。

「おーい! 央ちゃーん!」

 コートの中央から、一際よく通る声で誰かに名前を呼ばれた。視線をそちらに送る。深碧しんぺき色のユニフォームを着た青年が、満面の笑みで大きく央に手を振っていた。悠日だ。観覧席の女子生徒たちが一斉におしゃべりをやめて、央を一瞥する。悠日はタタっと観覧席のほうへ走ってきた。

「ほんとに来てくれたんだねー!」

 悠日は首にかけた真っ白いタオルで額の汗をぬぐうと、アリーナから央を見上げて話しかけた。

「ちょっと、練習中でしょ! わざわざこっちまで来なくていいから!」

 背の高い悠日を見下ろすのは、少し不思議な気分だった。悠日は怒られてもなおニコニコと笑っている。どうして、私が見に来ただけでこんなにうれしそうな顔をするんだろう。悠日は「はーい♪」と機嫌よく小走りでコートへ戻っていった。

「浅海せんぱーい! こっちにもー!」

 3人組の女の子が観覧席から悠日を呼び止めた。少し距離を取って座っている彼女たちを、央はちらりと目だけで見やる。3人とも例の団扇うちわを両手に持ち、ゆるく巻いた髪をツインテールに結んでいた。制服のリボンやネイルも、学校カラーのグリーンで揃えている。三つ子かと思ったけれど、流行りのお揃いコーデなのだろう。悠日は振り返って彼女たちにも手を振った。八重歯を見せて笑ってくれる。

「きゃーっ!」

 まるでアイドルにでも会ったかのような騒ぎっぷりだ。「先輩」と呼んでいたし、彼女たちは1年生なのだろう。1年生にもファンがいるなんて、『ミスター桂冠』は格が違う。

「あの人、浅海先輩の恋人なのかな?」
「まさかぁ、初めて見たけど」
「そうだよね。あんな地味な人、恋人なわけないか」

 彼女たちは央をチラチラと見ながら、声をひそめて話し始めた。聞こえてるんですけど。言い返しそうになるのをぐっと堪える。観覧席で揉め事を起こすわけにはいかない。この前は郁が助けてくれたからよかったけれど、今日は誰も助けてはくれないのだ。

 ピーッ。甲高いホイッスルが鳴る。観覧席の注目が一気にコートへ集まった。ネットを挟んで両チームが相対する。いよいよ試合が始まるらしい。審判らしき教員が何やら選手に向かって話していた。

 不意に、桂冠高校側のチームベンチにいる少女と目が合った。ピッと姿勢を正しながら「休め」のポーズを取っている。彼女の口が「な・か・ば」と動いた。お団子頭が今日もはつらつとした印象を与えている。郁だ。央の体温が一度上がる。そっと手を振ると、彼女は微笑んでくれた。

 試合が始まる。1セット目は、コート右側、央の正面が桂冠高校チームだった。サーブを打つ坊主頭の青年は、クラスメイトの木村だ。悠日は前衛のレフトにいる。

「うわ、始まってんじゃん」

 央の頭上から声が降ってきた。

「横山くん?」
「おっす」

 仰ぐと、クラスメイトの横山が肩で呼吸をしていた。ワイシャツの襟を掴んで、汗ばむ肌に微々たる風を送っている。どうやら慌てて駆けこんで来たらしい。部活終わりなのだろうか。

 彼は平然と央の左どなりに腰を下ろした。悠日以外のクラスの男の子とあまり話をしたことがないので、少々焦る。同じクラスになってから、横山とは一度も会話をした覚えがなかった。

「郁が来いっていうから」

 央の戸惑いを察知したのか、聞いてもないのに横山が答えた。キュッキュと床を走るシューズの音や、バシンと力強くボールを打つ音、黄色い応援の声が絶え間なく耳に届く。

「郁が?」

「中原が他の女子にいちゃもんつけられるかもしれないから、心配なんだってよ。『部活終わったらすぐ来い』って、人使い荒すぎじゃね?」

 郁は、央のとなりに横山を座らせることで、悠日のファンからの盾にする作戦を考えていたらしい。ああ、彼女の優しさに何度救われているのだろう。央の涙腺がゆるんだ。その頼みを引き受けてくれた、横山の寛大な心にも感謝する。

 チームベンチに座る郁が、横山の到着に気づいてこちらに手を振った。央と横山で手を振り返す。央は横目で彼の顔を覗き見た。

 透明感のあるつるんとした肌。サッカー部なのに全然日に焼けていない。しっかりと対策を施しているのだろう。耳に付けたシルバーのフープピアスが揺れる。センターで分けたサラサラとした前髪が、まるでK-POPグループのアイドルのようだった。

 彼はスクールバッグからスポーツ飲料を取り出した。ペットボトルのキャップを開ける。ゴクゴクと鳴る喉仏が男らしい。

「横山くん……」
「んー?」
「郁のこと好きなの?」
「ゴホッ」
「あ、ごめん」

 横山がゲホゲホと咳きこんだ。悪いことを言ってしまった気もしたけれど、その反応では当たりなんだろう。どちらかと言えば、横山にはクールな印象がある。クラスでも馬鹿騒ぎするのは悠日と木村で、彼は冷静なツッコミ役だ。でも、郁を見つめる穏やかで慈しみにあふれた彼の表情は、こちらがドキドキしてしまうくらい、普段のすましている姿とギャップがあった。

「それ思ってても言うことじゃなくね?!」
「ご、ごめん……」

 その通りだと反省する。横山とは今日初めてしゃべったのだ。言うべきではなかった。でも、自分には郁が悠日のことを好きだと勘違いして大問題を起こしてしまった過去がある。二度とそのようなことが起こらないように、きちんと確認しておきたいと思ってしまった。

「……郁とは、1年のとき同じクラスで。ずっといいなーって思ってたんだけど」

 すらりとした長い脚に肘をつきながら、横山が話し出す。コートを眺めつつ彼の話に耳を傾ける。試合は3対3で拮抗していた。

「知らない間に彼氏できてて、この恋にどうケリつけていいかわからなくなってる」

 彼のストレートな言葉が央の胸に突き刺さった。決着をつけられない恋の歯がゆさを、身体が張り裂けるほどに知っている。「わかるよ」と胸から飛び出してしまいそうな共感を、無理矢理押さえつけた。そんなことを横山に話しても困らせてしまうだけだ。

「……って、何言ってんだろうな。内緒な」

 彼は困ったように笑った。央は「ううん」と首を横に振る。悠日の話によると、郁の彼氏はバレー部のキャプテンらしい。背番号1番の彼だ。観覧席からではよく顔がわからないが、逆三角形の身体付きに凜々しさを感じる。好きな人の恋人が出ている試合なんて、本当は見たくないだろうに。郁の頼みならと引き受けてしまう横山に、胸がぎゅっと切なくなってしまった。

「中原は? 悠日とどういう関係なの? 最近仲いいじゃん」

 突然話の矛先を向けられ、心臓が跳ね上がった。横山は、クラスで悠日と同じグループにいる。当然、悠日が央にちょっかいを出しているところも目にしているはずだ。二人の関係性を知らない彼の様子を見ると、悠日はきちんと「0組のポエムの秘密」を守ってくれているらしい。

「……さあ? 私みたいな堅物が珍しいんじゃない?」

 眼鏡のブリッジを押し上げながらごまかした。郁への恋心を素直に打ち明けてくれたのに、こちらは秘密にしていて申し訳ない。

「今日は? どうして休みなのにわざわざ試合なんか見に来たんだよ」

 続けて横山が尋ねる。

「……球技大会のミックスダブルス、郁と替わるって言ったら怒っちゃって。『練習試合の応援に来てくれたら許す』って言うから」
「うわぁ、ガキじゃん」
「でしょ?」

 横山まで試合観戦に巻きこんでいるのだから、こればかりは回答しなければならない。彼が悠日の子どもっぽい性格を理解してくれていて助かった。

 改めて試合に目を向ける。ちょうど、悠日がサーブを打つところだった。ボールを2回床にバウンドさせると、会場がしんと静かになる。スッと頭上にボールを投げた。同時に足を踏み出し、両手を振り上げて高くジャンプする。バチッと手のひらでボールを打った。すさまじいスピードでボールがネットを越えていく。ボールはサイドライン上に強く叩きつけられた。――決まった!

「きゃーっ!」

 ツインテール3人組が、はじけるような黄色い歓声を上げた。

「すごい、サービスエース?!」
「悠日、サーブ得意だからなー」

 央と横山も、観覧席の拍手に合わせて手を叩いた。自然と目が悠日を追ってしまう。悠日はコートの中央に集まって、仲間たちとグータッチを交わしていた。ミルクティー色の髪をわしゃわしゃと犬のように撫でられ、もう一度サービスゾーンに小走りで戻っていく。突然、悠日が観覧席に顔を向けた。視線がぶつかったような気がして、ドキっとする。彼は八重歯を見せて笑いながら、ひらひらとこちらに手を振った。

「ぎゃーっ!」

 またしても、左側で悲鳴に近い絶叫が上がった。

「お前らに手ぇ振ったんじゃねぇから」

 ボソッと横山がぼやく。彼女たちに聞こえているんじゃないかとヒヤヒヤしたが、興奮していたためか聞こえていないようだった。悠日が誰に手を振ったのかはわからない。横山は相手がわかったのだろうか。

 悠日は2回目のサーブもジャンプサーブを放った。しかし、次はネットにかかって落っこちてしまう。観覧席からは「あ~」という残念そうな溜息が漏れ出ていた。

 そのあとも、央は横山とゆるく会話をしながら、試合の動向を見守った。ポジションやローテーション、アタックの種類などを、横山がわかりやすく説明してくれる。おかげで、バレーボール初心者の央もかなり競技への理解が深まった。一人で観戦していたら何もわからなかっただろう。郁は央が楽しめるように、その点も考慮して彼を呼んでくれたのかもしれない。

 観戦中、央はふと気がついたことがあった。女の子たちの応援に波がある。悠日のプレーには一段と高い歓声が上がる。郁の彼氏であるキャプテンやセッターの3年生、リベロの1年生の活躍にも、それなりに会場が沸いているようだった。しかし……。

「ねえ……木村くん、全然人気ないけど大丈夫?」
「ぶっ」

 木村のプレーに女の子からの黄色い声は上がらない。ミドルブロッカーとして何度も相手のスパイクを防いでいるというのに……! 横山は吹き出して笑った。

「あっはっは、たしかに!」
「かわいそうすぎる! がんばって木村くん!」

 本人には届いていないだろうが、思わず木村にエールを送ってしまう。横山はもっと笑った。

「中原、話してみるとおもしろいじゃん。もっとみんなと関わればいいのに」

 横山はお腹を抱えながら言った。思いがけない言葉に、央は瞳をぱちぱちとさせる。

「……そう、かな」
「きたきた! 悠日のサーブ! 悠日ー! ぶちこんでやれー!」

 央の小さな声は、横山の声援にかき消された。

 できるだけ、人とは関わらないようにしようと思っていた。平穏無事に学校生活を終えたい。それが央の望みだったし、それ以上を望んだこともなかった。余計なことをして、また誰かにいじめられたりしたくない。だから、人とのつながりは最小限でいい。また学校に行けなくなったら、今度こそ社会への扉を閉ざしてしまう。直子が用意してくれたこの環境を、決して無駄にしたくはなかった。

 だけど、どうだろう。悠日と関わるようになって、急に世界が開けた。悠日と接点がなければ、郁とも、横山とも、こうして話すことはなかっただろう。

 ――楽しい。

 央は思った。人と関わり合っていくこと。互いを知っていくこと。笑い合っていくこと。それがこんなにも心躍ることだったなんて、知らなかった。

 ずっと、何事もなく卒業の日を迎えられたら、それでいいと思っていた。思っていたのだけれど。でも、もし、この学校であのとき失った青春をやり直せるとしたら? 友達と笑い合いながら学校生活を送れるのだとしたら? ――……このチャンスを逃がしたくはない。

 悠日が頭上高くにボールを投げた。ああ、そうだ。悠日だ。彼がいなければ、こんなに世界が広がることはなかった。央の頑なな心をこじ開けて、最初に手を差し伸べてくれたのは、他の誰でもない、悠日だった。息を吸い込む。

「悠日くん、がんばって!」


(つづく)

↓第5話


TwitterやInstagram等のSNSを下記litlinkにまとめました◎ 公式LINEにご登録いただくと、noteの更新通知、執筆裏話が届きます! noteのご感想や近況報告、お待ちしています♡ https://lit.link/kurokawaaki1103