見出し画像

「0組の机にポエム書いてるの私です。」第5話

「いらっしゃいませー! タコ焼きいかがですかー!」

 中庭につくった小さな屋台から、悠日は声を張り上げていた。

 桂冠高校の文化祭、通称・桂冠祭けいかんさいは、例年11月の初週に行われる。悠日のクラスはタコ焼き屋を出店していた。1学期からクラスの出し物を何にするか考え、抜かりなく準備をしてきた文化祭。一年に一度のイベントを最高の思い出にするべく、桂冠生たちは奮闘していた。

普段勉強している教室が、お化け屋敷や執事喫茶、映画館に様変わり。学内は、桂冠生だけでなく、生徒の家族や他校の友達、桂冠高校を志望する中学生、地域の人々といった、多くのお客様が来場し、盛り上がっていた。普段の高校生活とは違う、非日常の景色。悠日はわくわくしていた。

「タコ焼き1つくださーい」
「350円です!」
「じゃあ、400円。おつりありますかー?」
「あります! 央、50円」
「はーい」

 屋台の左端にある受付で、郁がお客さんの対応をしていた。会計は央が担当している。レジスターから50円玉を取り出した。レジスターのとなりには、大きな業務用タコ焼き器が2台。悠日はできたてホヤホヤの丸いタコ焼きを、ホットプレートの上から透明の蓋つきトレーに移した。ソースと青のりをかけ、輪ゴムで束ねる。

「お待たせしました! 熱いから気をつけてねー!」

 悠日は、セーラー服を着た女子中学生2人組に、竹串を2つ添えてタコ焼きを手渡した。二人は「あったかいねー」と話しながら人混みに消えていく。

「央、そろそろ休憩?」
「あと30分かな。叔母さんが来るって言ってるんだけど」
「一緒に暮らしてる叔母さんだよね? 私も挨拶していい?」
「もちろん! 私も叔母さんに郁のこと紹介したいと思ってた」

 悠日の耳に、央と郁の親しげなやり取りが聞こえてくる。あの一件から、央と郁の距離はグンと縮まった。休み時間に二人で何やら楽しげに話していたり、一緒に部活に出かけたり、放課後にファッションビルに立ち寄ったり、その姿は仲よしの女子高生そのものだった。

 央と郁が仲よくなったことをきっかけに、クラスの女子全体の雰囲気がよくなった気がする。先日も郁が幹事になって、男子禁制の女子会を開いていた。それに触発された男子も、負けじと男子会を開催するなどした。誰もがなんとなく感じていた「スクールカースト」――運動部の目立つ奴らが「上」で、文化系の大人しそうなう奴らが「下」というような――は、そうした努力の甲斐あってフラットにならされつつあった。

 先に央と秘密を共有したのは悠日なのに、郁のほうが格段に仲よくなるスピードが速くて、なぜだか嫉妬してしまう。同性だからなのか? それとも、同じように文章創作をしているからなのか。俺にはなかなか心を開いてくれなかったのに。まあ、今も心を開いてくれているかと言われたら、微妙なんだけど。

 とはいえ、郁が間に入ってくれたことで、央の悠日への警戒心が以前より弱まったのも事実だ。これまで悠日が「央ちゃん!」と話しかけると、彼女はあからさまにウザそうな顔を浮かべていた。それが、最近ではツンとした表情を見せてくれるようになったのだ。悠日の観察によると、ツンとした表情のほうが好感度が上がっている認識だ。

 でも、郁が「央!」と呼びかけるときは、ニコニコとご機嫌な表情を見せる。そんな顔、一度も悠日には向けたことがないのに。郁との扱いの差に不貞腐れずにはいられなかった。

 あーあ。俺だって、もっと央ちゃんと仲よくなりたいのになー……。

「……せん。……みません! すーみーまーせん!」
「は、はいぃっ!」

 央のことを考えていたせいか、まったく周囲の音が聞こえていなかった。ホットプレートの上のタコ焼きをくるくる回す手を止めて、慌てて頭を上げる。

 正面には、真っ赤なトレンチコートを羽織った女性が立っていた。黒髪のショートヘアが輪郭に沿ってストレートにカットされている。サングラスをかけていて表情は読み取れないが、口元のほくろと真っ赤なルージュがセクシーで色っぽい。悠日は40代後半と推定したが、潤いのある肌からはもっと若そうな印象も受けた。

「2年3組ってここよね? 中原 央っている?」
「あ、はい。ここに――」
「あれ!? 直ちゃん!?」

 郁におつりを手渡していた央が、驚いた様子でパイプ椅子から立ち上がった。

「央! そこにいたの? 全然見えなかった」

 女性はサングラスを外した。切れ長の涼しげな瞳が露わになる。央の様子からすると、もしかして彼女が――……。

「央ちゃん、この人って……」
「一緒に住んでる叔母の直ちゃん」
「初めまして! 浅海 悠日です!」

 央に紹介されると、悠日はすぐさま挨拶をした。

「こんにちは、叔母の直子です。いつも央がお世話になってます」

 直子はカラッとした爽やかな笑みを浮かべて一礼した。この人が、央を東京に連れてきた叔母さん。悠日はまじまじと彼女を観察した。赤いトレンチコートで目が眩しい。央と似ている点といえば、艶やかな黒髪と小さい頭くらいだろうか。幾分背も高く見える。央より直子のほうが10センチ以上身長がありそうだ。

「直ちゃん、私、休憩までまだ20分くらいあるの。どこかで待っててくれる?」
「うん、わかった」
「じゃあ俺が一緒に待ってるよ! もう木村と交代だし!」
「え? なんで悠日くんが」
「木村! 交代!」

 訝しむ央を遮って、屋台に戻ってきたばかりの木村を呼び止めた。木村はもぐもぐとチョコバナナを頬張っている。となりの1年7組の屋台で買ってきたのだろう。悠日はエプロンを脱ぎ、木村にお構いなしに押しつけた。屋台裏のテーブルに取り置きしていたタコ焼きのトレーを、サッと右手に持つ。ほかほかと温かい。冷めていなくてよかった。

「行きましょう! 直子さん!」

 悠日は屋台を飛び出し、直子の手を取って強引に歩き出した。直子は面を食らいながらも苦笑し、

「じゃあ、またあとで! お仕事がんばってねー!」

 と、央に手を振った。央は明らかに困惑していたが、引っ切りなしにやってくるお客さんの対応に戻るしかなかった。

「少年、どこ行くの?」
「せっかくだし、まずうちのクラスのタコ焼き食べません?」
「お、いーじゃん」

 悠日と直子は、屋台からほど近い、桜の木の下にあるベンチに腰を掛けた。以前、央が悠日に0組の詩の秘密を打ち明けてくれた(悠日にとって)思い入れ深いベンチである。誰か座っているかと思ったが、運よく空いていて助かった。ここにいれば、央もすぐに悠日たちを見つけられるだろう。

「右がオーソドックスで、左がチーズ入りです」
「サンキュー」

 悠日は二人の間にタコ焼きのトレーを置いた。2年3組の屋台のウリは、オーソドックスなタコ焼きとチーズ入りのタコ焼きの2種類が1つのトレーに入っている点だ。一度に2つの味を楽しめるのは、なかなかお得感があると思う。

 直子はまずオーソドックスのほうを串で刺した。真っ赤なルージュを引いた口を大きく開いて、ぽんと放りこむ。まだ熱いのか、ほふほふとさせながら味わっていた。悠日はチーズ入りのほうを口に運んだ。パリッとした生地を噛むと、チーズとソースのまざったクリーミーな味わいが口の中でとろっと広がる。我ながらよくできていると笑みがこぼれた。

「うん! おいしい!」
「あざっす!」

 直子に褒められると、不思議と央に褒められたような気分になった。央と一緒に食べようと取り置きしていたものだったけれど、結果オーライだ。悠日は次にオーソドックスのタコ焼きを串で刺した。

「悠日くん、だっけ? あなた、バレーボール部? 背、高いし」
「? そうですけど」
「じゃあ、央がこの前見に行った試合、あなたが出てたのね!」
「はい!」

 央と一緒に出場するはずだった、球技大会のミックスダブルス。彼女が出場種目を郁と交換すると言い出したとき、当然ながら悠日は駄々をこねた。冗談めかして言った「央と思い出をつくりたい」という気持ちは、嘘ではなかったのだ。

 けれど、空振りをし続ける央を見世物にするのも忍びない。それに、他の人が彼女の不器用な部分を知る必要はないとも思った。品行方正な央にもできないことや苦手なことがあるんだとわかると、より親近感が湧いた。でも、他の人は知らなくていい。悠日だけが央のかわいいところを知っていれば十分なのだ。

 交換する代わりに、悠日は「試合の応援に来てほしい」と条件を提示した。央は一瞬ためらったものの、すぐに承諾した。無論、球技大会でミックスダブルスをするよりも、試合の応援に行くほうがマシだと考えたからだろう。

 央はきちんと約束を守ってくれた。観覧席にちょこんと座っている彼女の姿を見たとき、悠日はいたく感動した。その場しのぎの口約束でどうせ来てくれないだろうと思っていたのだ。意外にも、彼女には義理堅い一面があるらしい。なぜか試合を見に来ていた横山と楽しげに話しながら、央は真剣にボールを目で追っていた。

 悠日のプレーは絶好調だった。相手チームの高いブロックの壁を打ち抜き、気持ちのいいほどスパイクが決まった。苦手なブロックでもポイントを取ったし、2回もサービスエースを決めた。悠日の活躍に何度も会場が沸いた。いつも怒られてばかりだけれど、その日は監督にも先輩にも褒められた(試合中、観覧席に手を振ったことは、さすがに怒られたが)。

 それに、聞こえた気がしたのだ。「悠日くん、がんばって!」という央の声が。聞いてもはぐらかされそうだから、央には何も言っていないけれど。でも、あのエールに後押しされたから、いつもより力強い打球が打てたのだ。あの日の勝利は、央の応援のおかげだ。

「あの子、休みの日なんか私が誘ってもちっとも付き合ってくれないのよ。家で本読んだり何か書いたりしてばっかりでさあ。なのに、最近クラスの子の試合見に行くだとか女子会行くだとか言い出すから、びっくりしちゃった。ありがとね、央と仲よくしてくれて」

「とんでもないです! もっと仲よくしたいです!」
「あはは、そっか」

 悠日の本音を、直子は笑いながら受け流した。どさっとベンチの背に寄りかかり、ピンヒールを履いた細長い脚を組む。青い空のどこか遠くに視線を投げた。釣られて悠日も空を仰ぐ。龍のような形をした長い雲が、蒼天をのんびりと漂っていた。文化祭に相応しい秋晴れである。

「中学生のときのこと、どのあたりまで聞いてる?」

 直子の突然の問いかけに、悠日はどう答えるべきか迷った。あのとき央が教えてくれたことは、あれで全部だったのだろうか。そんなことない。だって一言も――……。

「……詩のことでいじめられて、学校に行けなくなったっていう話は、聞きました」
「そっか」

 悠日は慎重に言葉を選んだ。直子はチーズ入りのタコ焼きを串で刺す。口の中に運ぶと時間をかけて咀嚼した。ごくっと喉に通し、改めて口を開く。

「私ね、独り身だし、央のことを実の娘のようにかわいいって思ってるの。だから、あの子のためならなんだってしてあげたい」

 直子は迷いなく言い切った。

「心の傷はそう簡単に癒えるものじゃない。でも、人につけられた傷は、人でしか癒やせないのよ。

 だから、この高校に入って、友達ができたって聞いたときはすごくうれしかった。あなたみたいに、央のハートに入ろうとしてくれる子がいてくれて、助かってる。

ありがとう、央と友達になってくれて。むずかしいところのある子だけど、これからもよろしくね」

 直子は悠日に穏やかな微笑を向けた。悠日も「はい」とうなずく。直子の言葉の節々から、央への大きな愛情を感じた。

 心の傷が癒えるまで殻に閉じこもることも、一つの方法だ。でも、央にとって何が最善かを考えて、直子は彼女を東京に引っ張り出したのだ。人と人が出会い、関わっていくことは、喜びもあるけれど傷つくこともある。央が東京で人生をやり直せるかどうかは、直子にとって賭けだったのかもしれない。

 でも、「友達」という言葉が悠日の心に妙にひっかかった。

 もしかしたら、央は悠日のことを「友達」とすら思っていないんじゃないだろうか。郁は「友達」だけれど、悠日はまだ「クラスメイト」の垣根を越えられていないような気がしてならない。

「クラスメイト」は「友達」じゃないのかと言われれば「友達」なのだけれど、央にとっては、厳密にいうと「クラスメイト」は「知人」くらいで、「友達」とは少し違うような感じがする。本人がそう言っているわけではないのだけれど、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出す央の態度から、悠日はそう察するのだった。

 時折、「クラスメイト」の枠も「友達」の枠も、全部飛び越えていきたいと思うことがある。それが恋愛感情なのかと問われるとまだわからない。恋愛だって、今までそれなりにしてきたつもりだ。好きになった子もいるし、お付き合いをしたこともある。デートをしたことも、手をつないだことも、キスをしたこともあるのに。そのどの子に対しての感情とも、央への感情は重ならなかった。

 最初は、単純に「0組の机にポエムを書いている女の子」に興味があっただけだった。どうしたら人の心に届く詩が書けるんだろう。その詩は、央の小さな身体からどうやって生まれ出るのか。央のことが気になる。央のことをもっと知りたい。もっと一緒にいたいし、もっとたくさんしゃべってみたい。もちろん、自分のことも知ってほしい。こっちを向いてほしいし、悠日が央に興味を持つのと同じように、央に興味を持ってもらえたら、どんなにうれしいだろう。

 でも、今まで好きになった子や彼女に、そんな感情を抱いたことは一度もなかった。だから、恋じゃない? やっぱりただの興味? ずっと、それをはっきりさせたかった。これを「恋」と呼ぶなら、「恋」と呼ぶだけの決定打がほしかった。

「央には、ここで青春を送ってほしいと思ってるのよ。少女漫画に出てくるような、キラキラとした青春をね。勉強も学校行事もうんと楽しんでほしいし、もちろん、恋愛だってしてほしい!

 先生じゃなくたって、他にもいい人はいくらでも――」

「あの」
「ん?」

「央ちゃんが好きだった先生って、どんな人なんですか?」

 悠日は、直子が口走った「先生」というワードを聞き逃さなかった。球技大会のあと、央と郁が話していたことは、少し先を歩いていた悠日の耳にも届いていた。郁に好きな人がいるのか問いかけられた央は、「中学校のときの先生」だと「過去形」で答えていた。

「なぁにぃ? 気になるぅ?」

 直子はいじわるげにニヤニヤと笑った。聞いてはいけない質問だったらどうしようと思ったけれど、その様子を見るとタブーではないらしい。内心ホッとした。いじめに遭った中学校で好きになった先生。子どもから大人への恋。気にならないほうが無理だ。

「すごく、いい先生だったよ」

 直子は感慨深そうに言った。

「央の中学2年生のときの担任で、国語の先生だったんだけど、若くて爽やかな人でさあ。この時代には珍しい“熱血教師”って感じでね。

 央がいじめられていたときも、先生が親身になってくれたの。教師としては当然かもしれないけど、いじめっ子たちをバシッと叱って、子どもたちだけじゃなく、その親からもちゃんと央に謝罪があった。

 あ、もちろん央も怒られたけどね? 教室で暴れ回ったから」

 悲壮感のある話題だけれど、先生のことを思い浮かべながら語る直子の口ぶりは、どこか明るかった。

「央の謹慎中も、先生、毎日家まで来てくれてたみたい。学校に来なくても勉強が遅れないように、他の先生にも協力してもらってプリントとか作っちゃったりしてさあ。あの子、頭がいいからそんなものいらなかったでしょうけど。

 ――……でもね、夏目なつめ先生だったのよ。央の詩を最初に褒めてくれたのは」

「夏目先生」。悠日は央の恋した先生の名前を心の中で繰り返した。生徒や来場者で行き交う中庭はガヤガヤと騒がしい。屋台を出しているクラスが大声で呼びこみをしている。体育館のほうからは、軽音学部のライブの音漏れが聞こえてきていた。直子の話を聞き逃すまいと、試合でサーブを打つときと同じように集中して耳を傾ける。

「男の子たちが奪い取った央のノートを没収して読んだみたいでね。先生、央のことを『才能のある子』って言ってたわ。私には詩の善し悪しなんてわからないけど、国語の先生が言うなら一理あるかもしれないわよね。いじめっ子たちを叱ったときも、央の詩のいいところを黒板で解説したらしいの。そんな先生、いる?

 夏目先生のおかげでいじめが解決して、央、また学校に通えるようになったのよ」

 直子は「早く食べないと冷めるわよ」と言いながら、もう一度チーズ入りのタコ焼きを串で刺した。悠日も彼女から促されるままに、タコ焼きへ手を伸ばす。

 以前、央からいじめの話を聞いたとき、「詩のせいでイヤな目に遭ったのに、どうして今も書いているんだろう」と、実は不思議に思っていた。もちろん「詩を書くことが好きだから」なのだろうけれど、「夏目先生好きな人が褒めてくれたから」という理由もあるのかもしれない。

 ――……あれ、でも。

「央ちゃん、学校に通えるようになったんですね。てっきり卒業まで不登校だったんだと思ってました」

 央から聞いた話と辻褄が合わない。彼女は教室で暴れてから一度も学校には行っていないと話していたはずだ。夏目先生のおかげで学校に通えるようになったのはいいことなのに、どうして隠したんだろう? すべてを語る必要はないと思ったのだろうか。あの頃の悠日と央はほとんど接点がなかったし、初対面も同然だった。

「……そうね。不登校っていうよりは謹慎だったから。中3に上がってからは学校に行っていたと思う」

 直子は横目で悠日の顔色をうかがった。彼女の様子が変わったことを、悠日は敏感に察知する。これまでハキハキと話していたのに、急に言葉に詰まったのが気になった。なんだろう、何か大事なことを隠されているような気がする。

「あの、話せる範囲でいいので教えてください。俺、央ちゃんのこと――……」
「焦るな、少年」

 思わず前のめりになった悠日を、直子は右の手のひらを突き出して制した。彼女の瞳は、光が反射する水面のようにキラキラと輝いていて、優しかった。

「央、あなたに話してなかったのね、夏目先生とのこと」
「……はい」
「あの子が話さなかったことを私からしゃべるの、気が引けるなあ」

 直子は苦笑した。その気持ちもわかるから、なんて言っていいのかわからなかった。央だって、べらべらと自分のことを他人に話されるのはいい気がしないだろう。

 それでも、「知りたい」と思ってしまう。興味本位じゃないと言ったら嘘になる。でも、央が隠し続ける限り、きっとこの関係は進展しない。これが恋なのか、恋じゃないのか。早くその答えを出したくて、どうしても気持ちが急いてしまった。

 悠日は真剣な面持ちでじっと直子を見つめた。根負けしたのか、彼女は小さく息を吐いた。ゆっくり、話し出す。

「夏目先生、学校辞めちゃったの。央との間に男女の関係があるんじゃないかって疑われて。それから、央は卒業まで学校に行くことはなかった」

 中庭の喧噪が遠ざかっていく。直子の言葉だけが、悠日の耳の中で静かにリフレインした。

 央と夏目先生の間に、男女の関係があったのではないか――……。

 想像だにしない二人の関係に、意識が現実からトリップしそうになる。あの日、央が夏目先生のことを話さなかったのも、十二分に理解できる。そんなこと話せるはずがないし、一介のクラスメイトに言う必要もない。

「えっと……その、二人は付き合ってた……ってこと……ですか?」

“男女の関係”の真相が知りたくて、ためらいながらも直接的な問いかけになってしまう。

「ううん、それは二人とも否定してる」

 直子は赤い唇にタコ焼きあてながらキッパリと言い切った。ホッと安堵する。しかし、直子は続けた。

「でも、周りの大人たちは誰も信じてくれなかったみたい」

 ビュウっと、一際冷たい秋風が吹いた。落ち葉や小石が地面から舞い上がる。直子の切り揃えられた黒髪が大きく揺れた。

「どうして関係を疑われることになったのかはわからないけど、央が夏目先生を好きだったのは事実だし。あの子、『私が先生を辞めさせたんだ』って、今でも自分のことを責めてるんじゃないのかな」

 悠日の心臓は一気に冷えこんだ。自分のせいで好きな人を追い詰めてしまうなんて、一体どれほどの悲しみなんだろう。それは、中学生の女の子が一人で背負えるものだったのだろうか。今もなお自分のせいだと苦しみ続けているのだとしたら、居ても立っても居られなくなる。いや、今だけじゃない。これから一生、央はこのあやまちに囚われ続けながら生きていかなければならないのだろうか。そんなの、つらすぎる。

 初めて目にした0組のポエムが、心に蘇った。

『あの日、恋を失って』
「好き」だと告げてしまったからなのでしょう?
二度と会えなくなったのは
もし「好き」だと言わなかったら
あなたはまだそこにいて
今も一緒にいられたのかもしれないのに

 ――……あれは、夏目先生のことだったんだ。

「今、夏目先生は……?」
「詳しくは知らないけど、田舎に帰ったみたい。金沢って言ってたかな? もう結婚もしてるって」
「け、結婚?!」

 驚く悠日をよそに、直子は淡々と続けた。

「一度、中学校に進学関係の書類を取りに行ったことがあって、そのとき事務のおばちゃんが教えてくれたの。

 夏目先生、当時からお付き合いをしていた人がいたみたいで。金沢と神奈川の遠距離恋愛だったらしいんだけど、央の件をきっかけに田舎に戻る決心がついて、そのまま結婚したんだって。元々、ご実家の酒造を継ぐために、いつかは教師も辞めるつもりだったみたい」

 事務のおばちゃんの話がどこまで本当なのかはわからないが、夏目先生の恋人の存在が事実なら、なぜ央との関係が疑われたのだろう。央からの好意はあったにせよ、男女の関係はないと二人とも否定しているのに。わからないことだらけで実態が掴めない。所詮本人不在の噂話に過ぎないのだと思い知らされる。

「央、夏目先生が学校辞めてから一度も会ってないんじゃないかな。悲しいよね。好きな人と強制的に縁を切られちゃうなんて」
「……」

 悠日は視線を地面に落とした。赤や黄色の枯れ葉が不規則に落っこちている。0組の机に綴られた央の詩が、次々と悠日の脳裏に浮かんできた。

 あの恋の詩の数々は、夏目先生に向けられたものだったんだ。好きになったときの温かい気持ち、離ればなれになったときの悲しい気持ち、それでも、好きな人の幸せを祈る気持ち。

 誰にもその恋心を打ち明けられなかったに違いない。普通なら、友達や家族に話をして気持ちを共有できるけれど、相手が相手だ。それに、こんな形で離ればなれになってしまったら、尚のこと人には話せない。

 だから、夏目先生への気持ちを詩にして吐き出していたのだろうか。あの0組の机の上だけに。

「ごめんね。暗い話になっちゃって」
「いや、聞いたの俺なんで!」

 直子は気まずそうだったが、相変わらずタコ焼きを食べる手が進んでいた。

「でも、あなたは知っておいたほうがいいと思う」

 含みのある彼女の言葉に、悠日は首を傾げる。直子は悪戯っぽく微笑んだ。

「いつまでも昔の男こと引きずってても仕方ないし、央には早く忘れて新しい恋をしてほしい。その相手が、あなたみたいな子だったらいいなあって」

「え!」

 突然のご指名に度肝を抜かれて、勢いよくベンチから立ち上がってしまう。しょんぼりして冷えきった身体が、たちまち熱を帯びていく。

「いたいた! 直ちゃん!」

 返事をしようと息を吸いこんだ瞬間、人混みをかきわけて央と郁がベンチに駆け寄ってきた。臙脂えんじ色のクラスTシャツの中央には、黒いタコのシルエットが描かれている。ようやく交代の時間になったらしい。20分とは思えないほど濃密な話をしてしまった。

「ごめんね、待たせちゃって」
「ううん。彼とおもしろい話ができたから大丈夫」
「えぇ?! 余計なこと言ってないでしょうね?!」
「どうだかー♪」
「もう!」

 央と直子の軽快な会話を聞きながら、悠日は口を閉じた。直子に、もうあの返事はできそうになかった。


 そのあと、悠日は央と郁と直子の4人で文化祭をまわった。央には「なんで悠日くんまで一緒に」と顔をしかめられたが、直子が「まあまあ、いいじゃない」と説得してくれた。お化け屋敷に入ってぎゃーぎゃー騒いだり、執事喫茶に入って甘いデザートを堪能したり、射的や輪投げ、モグラ叩きなどのミニゲームで(悠日と郁が)圧倒的勝利を収めたり、クラスの屋台に戻る時間まで、一同は存分に文化祭を楽しんだ。

 しかし、悠日の頭は「夏目先生」のことでいっぱいだった。央が好きになった人。情熱的な詩を書いてしまうような相手。一体どんな人なんだろう。央は、まだ夏目先生のことが好きなのだろうか。だからあんな詩を書き続けるのか。いつまでその恋を続けるつもりなんだろう。叶わない恋を続けるのは、虚しくないのか。いつになったら新しい恋をする気持ちになるんだろう。そう、本人に尋ねられたらいいのに。

 いつもワンテンポ遅れてモグラを叩き損ねてしまう央を、かわいいなと見つめながらも、胸の奥がジクジクと痛んでいた。


(つづく)

↓第6話


TwitterやInstagram等のSNSを下記litlinkにまとめました◎ 公式LINEにご登録いただくと、noteの更新通知、執筆裏話が届きます! noteのご感想や近況報告、お待ちしています♡ https://lit.link/kurokawaaki1103