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「0組の机にポエム書いてるの私です。」第6話

 今年の冬は寒くなるんだっけ。悠日は真っ白な息を吐きながら、数ヶ月前にニュースで聞いた気象予報士の話を思い出していた。

 文化祭から一ヶ月経った12月上旬。最高気温が10℃に届かないような、底冷えする冬が到来した。暖房が効いているとはいえ、校内は冷えこむ。央のスカート丈は女子高生らしく膝上で、他の女子生徒よりは長いほうだけれど、悠日は彼女の生足を見る度に、「冷えるんじゃないのか」と口うるさい父親のような気持ちになっていた。

 寒さのせいだろうか、もうすぐ期末テストだというのに、一向にやる気が出なかった。勉強だけではない。部活にも身が入らず、監督には「レギュラーから落とすぞ」と脅された。郁の彼氏であるキャプテンにも呼び出され、「何か悩み事でもあるのか」と心配された。厳しい人だから怒られると思ったのに、逆に気を遣われると心苦しい。でも、悠日は何も言えなかった。

 勉強や部活よりも、央のことのほうが重要だった。文化祭以降も二人の関係に進展はない。ただのクラスメイト止まりである。「もっと近づきたい」とは思うけれど、央の好きな人――顔も姿も知らない「夏目先生」の存在が頭をよぎる。央に忘れられない人がいるとわかっていながら、「央ちゃん、央ちゃん」と言い寄るほど阿呆になりきれなかった。

 夏目先生の姿を脳内でイメージする。“熱血教師なのに爽やか”って、一体どんな人なんだろう。これまで悠日が出会ってきた男性教師のほとんどは中年のおじさんばかりで、お世辞にも爽やかとは言えなかった。

 2年3組の担任の鮫島は、背も高いし顔立ちも整っているので、一部の女子生徒からは人気がある。無精ひげを生やした浅黒い肌に、四角いフレームの黒縁眼鏡。白衣はいつも薄汚れている。その気だるくてくたびれた感じがたまらないらしい。女心は、ようわからん。

 いや、央は容姿だけで夏目先生に恋をしたのではないはずだ。いじめを解決するような正義感、悩みをふわっと包みこむ大人の包容力……。正義感はともかく、包容力なんて未熟な男子高校生が敵うはずもない。今のところ、悠日には包容力の「ほ」の字も持ち合わせていなかった。

 0組で受講する英語の授業中、悠日は斜め前の席に座る央のうしろ姿に目をやった。毛先までケアの行き届いた艶やかな黒髪。白くて薄い肌。央はきっと、悠日がこんなに自分のことを考えているなんて知る由もないだろう。

 机には、うっすらと央の詩が記されている。

『Not Disappear』
初めて心が苦しいと思ったのは
あなたのことだった
初めて心が痛いと思ったのも
あなたのことだった
こんな感情ばかり私に置いて
あなたはサラリサラリと消えていく
私に残ったこの感情
決して消えゆくことはないでしょう

 いつもなら詩の席に座れたことを喜ぶのに、ここに書かれた気持ちが夏目先生への恋心なのだとわかると、苦々しい気持ちになってしまう。敵わないだろ、こんなの。どこでも、なんでもいい。央の意中の相手よりも上回れるポイントが、一つでも自分にあればいいのに。




「央ちゃん! 見て見て!」

 ある日の昼休み、窓際の自席で央と郁が談笑しているところに、悠日がスマートフォンをつきつけながら割って入った。央はウザそうに、郁は不思議そうにスマートフォンの画面を覗きこむ。そこには、Instagramのアカウント画面が表示されていた。夕暮れどきの教室の風景がアイコンになっている。

ユーザー名:桂冠高校2年0組
プロフィール:桂冠高校2年0組の机に落書きされたポエムを掲載しています。恋のうた、友情のうた、夢のうた。10代の高校生が共感するポエムばかりです。桂冠生だけで味わうのはもったいないと思い、Instagramをスタートしました。
※掲載は有志で行っており、中の人は作者ではありません。
フォロワー:158名

「ななな、何やってんの勝手に!」
「すごーい! もう150人もフォローしてくれてるじゃん!」

 央と郁の反応は正反対だった。へへんと悠日は得意げに鼻を鳴らす。

「夏目先生を上回る存在」を目指して、悠日が考えに考え抜いたことは、インターネットの力を駆使して、央の詩を世の中に広めることだった。

 悠日は、中庭で詩の秘密を聞いたときから、「央はもっと多くの人に詩を読んでもらいたいんじゃないのか」と考えていた。本人は「ちょっとした出来心」だと言っていたし、夏目先生への思いを吐露しているに過ぎないのかもしれないけれど、「感想をもらえるのはうれしい」とも話してくれた。

 それに、桂冠生の中で話題になっているのだから、他の高校生にも響くはず。桂冠高校の外の人たちに央の詩を届けるためには、SNSはちょうどいいツールだった。

 しかし、単に言葉がいいだけではSNSは跳ねない。特にInstagramは見映えが物を言う。悠日はターゲットを同世代の女子高生に定めた。うちの高校でも、0組のポエムの火付け役になったのは、おそらく女子生徒たちだ。女子高生の心に刺さる投稿をつくれば間違いないと確信していた。

 悠日はまず写真部の生徒に声をかけた。オレンジ色に染まった誰もいない教室、窓から見える部活動の風景、下駄箱で靴を履き替える仕草など、校内の至るところで写真を撮ってもらった。次に、悠日自らそれらの写真をエモーショナルに加工する。アプリで明るさなどを調整し、インスタントカメラで撮影したようなノスタルジックなフィルターをかけた。最後に、央の詩をそれぞれの画像に書きこんで完成だ。央の字に似た手書き調のフォントを使用しているのも、小さなこだわりである。

 こうして仕上げた一枚の画像を、悠日はコツコツとInstagramにアップした。ハッシュタグや投稿時間を研究し、リーチを伸ばす。木村や横山を始め、友達にもフォローを促しながら、今日まで少しずつフォロワーを増やしてきた。

「央ちゃんの詩をもっと広めたいと思ってつくってみたんだ!」
「別に広めなくていいから!」
「あ、学校にはちゃんと許可取ってるよ! 生徒の個人情報が映らなかったらOKだって」
「待って、先に許可取るの私じゃない?!」
「反対されそうだから、始めてから言おうと思って」
「反対するに決まってるでしょ!」

 悠日と央のテンポのいいやりとりを聞きながら、郁がおかしそうに笑う。郁は悠日からスマートフォンを受け取って、しげしげとInstagramを眺めた。

「でも、央、どの投稿も素敵だよ」
「え?」
「ほら見て、手をつないで帰ってるカップルのうしろ姿に、恋の詩。画像がつくと、なんだか詩もリアルになるね」

 郁が投稿の一つをタップし、液晶画面を央に向けた。

「コメントもついてるじゃん。『共感』『わかる』『フォローさせていただきました』。……すごいね」

 郁がコメントを読み上げる。央は郁からスマートフォンを渡されると、震えた指で一つずつ投稿を確認した。困惑していた央の表情が、少しずつ和らいでいく。

 郁はちらっと悠日に目配せをして、意味ありげに笑った。どうやら悠日の手助けをしてくれたらしい。郁の手を借りるのは癪だが、央を説得するには彼女を使ったほうが早い。今は甘んじて受け入れることにする。

「よくできてるじゃん。さすがうちの高校のインフルエンサー」

 郁は続けて悠日を褒めた。

「インフルエンサー?」

 央が尋ねる。郁はうなずいた。

「悠日、自分のアカウントでも5000人くらいフォロワーいるんだよ」
「そうなの?!」

 央が驚きの声を上げると、さらに郁が補足してくれる。

「『ミスター桂冠』のおかげじゃない? まあ、もともと投稿もおしゃれだったけど……。お父さんグラフィックデザイナーだし、センスは親譲りなのかな」
「そうだったんだ……。悠日くんのことあんまり興味なかったから知らなかった……」
「おい」

 央の関心の薄さに傷ついて、ついツッコミを入れてしまう。でも、央が認めてくれつつあることも感じとった。あともう一押し。このまま畳みかけよう。

「今はほとんど桂冠生がフォローしてくれてるんだけど、これからは俺のアカウントでも宣伝して、もっとフォロワーさん増やしていくつもり! 央ちゃんの詩を世界に知ってほしいから!」

「世界って大げさな……」

 央は呆れながら悠日にスマートフォンを返した。

「これ、続けてもいい?!」

 悠日はキラキラとした顔を央に向けた。央は眉根を寄せて、「うっ」と小さく声を漏らす。それに負けじと、悠日は上目遣いをしながら、瞳をぱちぱちとしばたたかせた。経験上、こうやって物事を頼めば大抵のことは受け入れてもらえると、身体が理解している。天から授かったあざとかわいい顔を、ここで使わない手はない。

「も~、ダメって言ったってどうせやるんでしょ? 書いてるのが私だって、絶対にバレないようにしてね」
「はーい!」
「あと、もうすぐ期末テストだから、そればっかりやってないでちゃんと勉強もして」
「……はい」

 無事に央の承認を得られた悠日は、勉強も部活もそっちのけで、『桂冠高校2年0組』の投稿に勤しんだ。部活終わりに0組に立ち寄って央の詩を探し、スマートフォンのメモ帳に書き写す。その詩にどんな画像を合わせればいいか考えて、写真部に発注。悠日自身が撮影に立ち会ったり、生徒にモデルを依頼したりすることもあった。言うまでもなく、写真部の生徒やモデルになってくれた子も『桂冠高校2年0組』のファンになってくれた。

『桂冠高校2年0組』は、校内でたちまち話題になっていった。




『桂冠高校2年0組』のアカウントに動きがあったのは、期末テスト最終日のことだった。

 期末テストは、残すところ3時間目の生物のみとなった。生徒たちはトイレに行くなり最後の追いこみをするなり、10分の休憩時間を各々自由に過ごしている。

 悠日は椅子の背もたれに寄りかかりながら、何気なくスマートフォンの電源をつけた。Instagramのフォロー通知が画面に表示される。フォローがあったのは、自分のアカウントではなく、『桂冠高校2年0組』のアカウントのほうだった。心を躍らせながら、相手のプロフィール画面に飛ぶ。どんな人が関心をもってくれているのかチェックすることも、アカウント運営には欠かせなかった。

「え」

 プロフィールを読んで、思わず小さな声が出た。IDは『summer_eyes』。紫紺の背景のアイコンには、白い筆文字で『夏目屋なつめや』と記されている。

ユーザー名:夏目 啓助けいすけ
プロフィール:酒造『夏目屋』の三代目。純米造りにこだわっています。蔵見学や試飲もできますので、お越しの際はDMください。元教師の経験を活かして、小さな寺子屋もやっています。
『夏目屋』
住所:石川県金沢市△-△-○ 金沢駅より車で20分
電話:076-○○○-△△△

 悠日の心臓は、すさまじい速さで波打っていた。今までの人生で、こんなにも動悸が激しくなったことはない。もしかして、この人は、あの「夏目先生」本人なんだろうか? 名前、酒造、金沢、元教師……。文化祭で直子が教えてくれた情報と、一致しすぎている。でも、まさか、いやいや、そんなことある?

 すぐさま、画面右上にある紙飛行機のマークを押した。DMを送信するページに切り替わる。キーボードを滑る悠日の人差し指は、かすかに震えていた。

「央ちゃんの友達です。央ちゃんの中学校の先生ですか?」

 早く答えが知りたい一心で、ひどくシンプルな文面になってしまう。送信。祈るような気持ちで、スマートフォンをぎゅっと強く握りしめた。画面を凝視する。数秒後、ポコッと吹き出しが現れた。

「はい」

 先方も、シンプルな二文字だけの返事だった。嘘だろ。信じられない。こんな形で央の思い人と連絡が取れるなんて! SNSで夢を叶える時世だが、こんなことも叶うのか? これが世に言う「SNSドリーム」というやつなのだろうか?!

「央ちゃんと一緒に、会いに行ってもいいですか?」

 テンパりながら返信したところで、惜しくもチャイムが鳴った。テストの入った大きな茶封筒を小脇に抱えた鮫島が、教室に入ってくる。ああ、もう! なんてタイミングが悪いんだ!

「ほらスマホしまえー。最後のテスト気ぃ抜くなよー」

 無情にも、鮫島は教室の右端からテストを配り始めた。相変わらず気だるげな彼の様子が、今はなぜだかイラっとくる。悠日はチッと舌打ちをし、スマートフォンの電源を切ってスクールバッグに押しこんだ。自分の元へ回ってきたテストの束を、つい乱雑にうしろの生徒へ渡してしまう。

「始め!」

 鮫島の合図とともに、クラス中が一斉に問題を解き始めた。悠日もシャープペンシルを握るが、状況が状況なだけに詰問がまったく頭に入ってこない。問題を解かなくてはならないけれど、それよりも早くこの時間が過ぎ去ってほしかった。夏目先生の返事が気になってしょうがない。だって、もしかしたら、央と夏目先生を引き会わせることができるかもしれない。過去の苦しみから央を救い出せるかもしれないのに! 気持ちだけが焦り、テストに集中できない。もう赤点でもいいとさえ思った。


「やめ! 終了! 鉛筆置けー」

 悠日の人生で、最も長い60分が終わった。いちばんうしろの席に座っている生徒が、順々に解答用紙を回収する。解答用紙が手元から離れないと、スマートフォンを開けない。この数秒ですら、前から2番目の席に座っている悠日にはじれったかった。回収にきた木村に、解答用紙を乱暴に押しつける。木村は「できなかったのかぁ?」とニヤニヤ笑ってきた。違う。そうじゃない。いや、できなかったにはできなかったけど。

 悠日は木村を無視して、スクールバッグにしまったスマートフォンを急いで取り出した。電源を入れる。起動までの時間すらヤキモキした。こんなに自分がせっかちだったとは。知られざる一面に驚いた。

 指紋認証でロックを解除し、Instagramのアイコンをタップする。紙飛行機のマークには、右上に①と数字が添えられていた。返事が来てる! 興奮しながらDMを開いた。

「わかりました」

 ガタッと、悠日は勢いよく椅子から立ち上がった。テストから解放されたクラスメイトたちが、早速ふざけ合っている。今日の授業は4時間目まで。次の時間はホームルームだ。でも、あと一時間も待っていられない。今すぐ央を夏目先生のもとへ連れていきたい。悠日は窓際の央の席に詰め寄った。

「央ちゃん!」

 彼女は先ほどのテストの問題用紙を、『くまのプーさん』のクリアファイルに挟んでいるところだった。名前を呼ばれて、キョトンとした顔を悠日に向ける。

「行こう、央ちゃん、夏目先生に会いに!」

 央の右手首をガシッと掴んだ。「夏目先生」というワードが耳に届いた瞬間、彼女は縁なし眼鏡の奥の瞳を大きく見開いた。

「どうして、悠日くんが夏目先生のこと知ってるの……?」

 央が眉間に皺を寄せる。かすかに声も震えていた。そうだ、央自身は一度も悠日に夏目先生の話をしたことがない。知られたくなかったことなのだとしたら、不快に思って当然だろう。しかし、今はそんなことを気にしている余裕などない。

「いいから、夏目先生がInstagramをフォローしてくれたんだよ! 会いに行こう、俺も一緒に行くから!」

「会えるはずないでしょうっ! 私が先生に何したかわかってるの?!」

 物静かなキャラクターを演じている央からは、想像もつかない怒号だった。クラス中がしんと静まり返る。教室に残っていた多くの生徒が、二人に注目していた。

「私はもう先生に会う資格なんてない! 先生だって私になんか会いたくないに決まってるじゃん!」

 怒りと苦しみが滲む、悲痛な声。普段の冷静な央なら、クラス中の視線が集まっているこの状況で喚き立てたりはしないだろう。その冷静さを欠くほどに、夏目先生の存在は彼女のハートを強く刺激するのだ。央の手首を掴む悠日の手に、余計に力が入る。

「たとえそうだったとしても! いつまで0組の机に夏目先生への気持ちを書き続けるんだよ! このままじゃ央ちゃんは前に進めない! そんなの、俺がイヤなんだよ!」

「!」

 央よりも大きな声で、悠日は彼女を制した。央は悔しそうに赤い唇を噛みしめている。これ以上の反論はないと判断した悠日は、「行くよ!」と彼女の手首を引っ張って歩き始めた。央は机のフックに引っかけていたスクールバッグと、椅子にかけていたダッフルコートを慌てて手に取った。

 二人は、緊張感に包まれた教室をあとにした。


(つづく)

↓第7話


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