恋人が欲しいなら身の程を知れ。
性格の悪いことを書くから、こそこそ読んでほしい。
「(恋愛対象の)好みのタイプ」として、明らかに身の丈に合わないスペックをあげる人がきらいだ。
この前、知人男性から「結婚したいから女性を紹介してほしい」と連絡があった。便宜上「どんな人がいいの?」と尋ねたら、
「周りに自慢できるような人がいい。ブスは無理だから、可愛くて綺麗でモデルや女優みたいな人。俺のこと好きになってくれそうな人いない? 俺に興味のない人にアプローチするのって時間のムダだからさ」
と、返事があって言葉を失った。
理想が高くても、構わない――……
その高い高い理想と釣り合うほどの素晴らしい人間であれば。
そもそも、自分だってそれなりの人間でなければ、モデルや女優のような人には選ばれないのではないだろうか? あまり人のことを悪く書きたくないけど、先に述べた男性は残念ながら選ばれないと思う。
彼自身が人を容姿・職業で判断しているから、まずはそれについて言及するけれど、世間一般的に見て、背も高い方じゃないし、顔もいたって平々凡々。高学歴ではないし、高収入の“モテる”職業でもない。っていうか、なーーーにが「ブスは無理」だよ。その言葉、二度と使うな。
さて、外見が一般的でも、中身で補える可能性があるだろう。注目の中身は……卑屈で粘着質!! ……ごめん、悪意がありすぎた。もちろん良いところもある。人間だもの。でも、それが最初に出てきたってことは“そういうこと”だと察してはいただけないだろうか。
だって、会えば上司や仕事の愚痴ばかり。仕事が好調な友人を見てはずるいとぼやき、きれいな奥さん・彼女のいる友人を見ては「なんであいつが?」と恨む。それなのに、状況を改善しようと努力するわけでもなく、「俺はもっとできるはず!!」って謎の自信だけは持っていて。
あと、いつまでも過去の女を追いかけているのも気持ち悪い。ふられているにも関わらず、SNSでかつての好きだった女の近況を探っているのも、反吐が出そう。構ってほしいのか? それとも、好きだった女よりも美しく、華やかな仕事をしている人をつかまえて、自分の心の傷をいやそうとしているのだろうか?
パートナーにスペックを求めるのも、本人同士がOKなら問題ないと思う。でも、明らかにスペックの低い人が、不釣り合いなパートナーを求めているのを見ると、「パートナーは自分の劣等感を埋めるためのアクセサリーじゃないのに」と思う。
できないことや苦手なことをパートナーに補ってもらうのとは話がちがう。たとえば、料理は得意な方が作る、掃除は得意な方がやる……そんな風に生活で必要なことを分担しているカップルは多い。苦手なことを得意なことでカバーする。とても素敵だし、パートナーシップの本来の姿なのではと思う。
でも、「誰々より素晴らしいパートナーを」とか「まわりに自慢できるパートナーを」は、相手をほんとうに「人」だと思っているのだろうか。自分が優越感に浸りたい、ただそれだけのための「道具」のような気がしてならない。
というか、「女性を紹介してほしい」と頼んできたくせに、よくあんな風に言えるよなあとほとほと呆れてしまう。周りに自慢できるような人がいい?ブスは無理?俺のこと好きになってくれそうな人?俺に興味のない人にアプローチするのって時間のムダ?? そんな風に言われて、私が大切な友達を紹介すると思うのかよ。
もし私が、雑誌のカバーモデルとかやっちゃったり、写真集を出したり、月9で主演なんかしちゃうような、美しくスタイルの良いモデル・女優だったとして(例えだから笑わないで)。「まわりに自慢できるから」のような理由で好きになられても、喜ばないだろう。
もし、仕事を辞めたら?
激太りしたら?
事故で顔に傷を作ってしまったら?
モデルで女優の「私」が、美人でスタイルの良い「私」が好きなんでしょ?
あなたはこれでも私を愛してくれると言えるのだろうか?
元モデル、元女優だからいいって??
痩せればいい?
整形すればいい??
ふざけんなよ。
モデルで女優の私は、食事に気を遣って、仕事の合間にジムへ通い、体型維持に勤しむだろう。ドラマや映画のセリフだって一生懸命覚えるし、原作があれば何十巻あっても必ず目を通す。インスタグラムやブログもできるだけ更新するし、応援してくれるファンへの感謝も忘れない。ちょっと不規則な生活になっても、監督に怒られても仲間と頑張り続けるだろう。自分で選んで始めた仕事だし、誇りをもっているから。
そんな人が、仕事や上司の愚痴ばかり言い、他人を僻んでばかりいるくせに、状況を変えるための小さな努力さえしない男を選ぶはずがない。モデルで女優の私は、自分と同じように目標と誇りを持って仕事に励み、励まし合えるような人をパートナーに選ぶだろう。いいか、お前と私は釣り合わない。
「俺に興味のない人にアプローチするのは時間のムダ」と、あの男は言ったけれど、「愛」は育んでいくものだとも思う。
昨今はマッチングアプリなどでパートナー候補と出会うらしいけど、1〜2回会っただけで心の底から誰かを「好き」になるなんてたぶん無理。この人と付き合ってみようと決めて、お互いを知り、少しずつ「好き」を増やしていくものなんじゃないのだろうか。
私の生涯の伴侶となった夫とは、10代の時に大学のサークルで知り合った。実は、付き合い始めた頃は全然好きじゃなかった。ある程度の人となりを知っていたにも関わらず、だ。
会話を重ねて、デートをして、お互いの好きなものや嫌いなもの、苦手や得意、相手のことを知りながら、少しずつ、少しずつ好きになって。それから7年半後、結婚した。
この形が必ずしも正解ではない。でも、相手を知り、理解すること、「愛」を育むことを時間の無駄だと思う人との間に、何かが生まれるとは思えない。
ある作家が、「理想のパートナーは、理想の自分に釣り合う人」だと話しているのを聞いて、なるほどと思ったことがある。
怠け者が「ハイスペックな人をパートナーにしたい」と話す度にイライラしていたけれど、「理想の自分」を聞いたうえで、「理想のパートナー像」を聞けば、「できるよ!」と言いたくなるかもしれない。もちろん、一生怠け者のままじゃ、無理だと思うけど。その「理想の自分」になる前提でね。
あの知人男性は、どんな自分になりたいんだろう。今のままじゃ到底、モデルで女優のようなパートナーはつかまえられない。ただただ理想の高い、口だけのやつだ。仕事に上司にパートナーに恵まれない自分を可哀想だといつまでも慰めている。「愛されたい」と待ってばかりで、誰も愛さない。自分のことしか好きじゃないんだよ、ほんとうは。
最後に、ちょっと怖いことを言う。彼は、むかし、私のことが好きだったらしい。モデルのようにスタイルが良く、女優のように美しいわけでもない。仕事に誇りを持ってはいるけれど、ライターはどちらかと言えば裏方色の強い仕事だ。華やかかと言われると、少し違う。一体私のどこが、彼のお眼鏡にかなったんだろう?
彼は、私よりも素晴らしい人間を人生の伴侶にして、私にふられたことを清算したいのかもしれない。もし素敵なパートナーを見つけたら、「素晴らしいアクセサリーを手に入れた!」って、私に見せびらかして、優越感に浸るのだろうか? 確かに、パートナーは素晴らしい人かもしれない。でも、自分はたいした人間でもなんでもないのにね。
――まあ、これは憶測でしかなのだけど。でも、たったひとつだけ、確実に言えることがある。
「ああ、よかった。こんな人をパートナーに選ばなくて」
缶コーヒーをお供に働いているので、1杯ごちそうしてもらえたらとってもうれしいです!最近のお気に入りは「ジョージア THE ラテ ダブルミルクラテ」(160円)。今日も明日も明後日も、コーヒーを飲みながら仕事がんばります!応援のほど、どうぞよろしくお願いします。