「0組の机にポエム書いてるの私です。」第2話
やってしまった。
央は懸命に足を動かしていた。うしろを振り返っている余裕などない。彼――浅海 悠日は、男子バレーボール部のエースだ。追いかけられたらすぐに捕まってしまうだろう。息が上がる。苦しい。今ほど足の遅さを呪ったことはない。
校舎を飛び出し、駅へと向かって緑道を駆け抜ける。部活動終わりの学生の大群が心底邪魔だ。息を切らしながら走っていく央に、誰も目をくれない。それほどまでに、自分は空気のような人間なのかと虚しい。
緑道を抜けると、四車線の大きな交差点が見えた。青い光が数度点滅し、信号が赤に変わる。仕方なく立ち止まった。ハアハアと、息を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返す。額から流れてくる汗をぬぐいながら、背後を確認した。
グリーンを基調としたタータンチェック柄のスタートを穿いた女の子たちが、キャッキャと笑いながら交差点に近づいてくる。その奥では、坊主頭の男の子たちの集団がじゃれ合いながら歩いていた。ホッと胸をなで下ろす。悠日が追いかけてくる気配はなさそうだ。一旦、逃げ切れたようでよかった。
――……よかった? いや、何もよくない。今までずっと内緒にしてきたのに、バレてしまった。というか、バラしてしまった。0組の机に詩を書いているのが自分だって。しかも、よりによって浅海 悠日に。
央は、悠日のことを「クラスの中心人物」として認識していた。教室で笑いの渦が起こると、大体いつもその中に悠日がいる。リーダー的な存在ではないけれど、ムードメーカーといったところだろうか。授業中にもやたら珍回答が多く、クラスのみんなを笑わせている。先生も呆れこそすれ、悠日を可愛がっているようだった。
クラスで目立たないようにしている央とはまるで接点がないけれど、悠日は男女分け隔てなく、誰とでも仲よく接している。みんなから名字ではなく「悠日」と下の名前で呼ばれているのも、好かれているからなんだろう。陽気で人なつっこい性格で、ちょっといじられキャラ。根暗で人見知りで堅物な央とは、実に正反対である。
悠日のことで特出すべきなのは、そのルックスだ。央が初めて彼の存在を知ったのは、昨年の文化祭でのミスターコンテストだった。央自身は外見で優劣をつけるイベントにあまり興味はないが、悠日は1年生にして『ミスター桂冠』に選ばれ、学年のみならず学校中のニュースになった。例年3年生が選ばれていたようで、1年生が『ミスター桂冠』に輝くのは異例だったらしい。校内新聞に載った悠日の写真を、なぜか今もよく覚えている。
色白だけれど、程よく筋肉のついた健康的な身体(新聞によると178㎝らしい)。くりっとした二重の瞳。筋の通った鼻。丸い輪郭はどこか子どもっぽくて、親しみやすい印象を与える。ミルクティー色に染めた髪は、思わず触りたくなるようなふわふわとしたくせっ毛だ。身体付きはきちんと男らしいのに、流行りのあざとかわいい系の顔立ちが、女心をくすぐらせるのだろう。
2年生に進級して同じクラスになったとき、央は悠日に対して「本物だ……」と芸能人を目の当たりにしたときのような感想を抱いてしまった。同時に、クラスメイトになったとて、地味な央とは関わることもないだろうと思っていた。
それなのに。さっき、0組で詩を消しているところを彼に見られてしまった。そして、バラしてしまったのだ。これを書いているのが、私だと。絶対に秘密にしておくべきことだったのに、なんであんなクラスの中心人物且つ学校の人気者にしゃべってしまったんだろう。一夜にしてクラス中に、いや、学校中に広まってしまったらどうしよう。明日からどんな顔をして学校に行けばいいのか、まるでわからない。
「ポエムを書いてるなんて気持ち悪い」って、また笑われるのかな。あのときみたいに。
鼓動が早鐘を打っている。心臓を押さえつけるようにぎゅっとブラウスを強く握った。二の腕がジンジンと痛む。信号が、青に変わった。
「央、今日は学校休んだら?」
翌朝、央が玄関でHARUTAのローファーを履いていると、叔母の直子が溜息交じりに声をかけてきた。つま先でトントンと靴をはめてから振り返る。ワインレッドのサテンのパジャマを着た直子が、壁によりかかりながら不安げに央を見つめていた。
「えぇ? どうして?」
「昨日の晩ご飯も残してたし、朝ご飯もそんなに進んでなかったじゃない」
直子が首を傾げるのに合わせて、輪郭に沿うようにカットされた黒髪が揺れる。口元のほくろが、大人の女性の色気を醸し出していた。
直子の言う通り、昨日の一件のせいで昨晩からあまり食欲がなかった。見透かされていたのかと内心焦る。中学3年生の夏から一緒に暮らし始めて、もうすぐ2年。40代後半で独り身の直子にとって、央は娘のような存在であり、央にとっても、直子は母親のような存在だった。彼女に隠し事をするのは、むずかしい。
「ちょっと夏バテしちゃったのかも、大丈夫だから」
「……そう?」
央はサラリと嘘を吐いた。心配してくれるのはありがたいが、直子は過保護気味だ。風邪を引いたときも、何度も具合を確認するメッセージがスマートフォンに届いていた。これでは直子自身の仕事が進まないだろう。直子は外資系の化粧品メーカーで広報部長を務めている。自分のせいで彼女の仕事に支障が出るのは避けたい。
「そんなことより、直ちゃんも急がないと遅刻するよ! いってきます!」
「……うん、いってらっしゃい」
明るい声を絞り出し、玄関のドアを開けた。直子に手を振ってドアを閉める。エレベーターのボタンを押した。1階に下りていたエレベーターが、8階まで時間をかけて上ってくる。フーッと、気持ちを落ち着けるようにゆっくり息を吐いた。
休んでしまえればどんなに楽か。でも、悠日の「出方」も気になった。昨日のアレを――つまり、0組の机に詩を書いているのが央だということを――彼は信じるのだろうか? 実際に詩を書いているところを目撃されたわけではないのだ。その場を立ち去るための嘘だと疑っている可能性もある。彼がそれを信じなかった場合、央は他人の書いた詩を消していた犯人になってしまう。
「詩を“書いていた”のは、央だった」
「詩を“消していた”のは、央だった」
彼は、どちらをクラスに広めているのだろう?
エレベーターが8階に到着する。央は覚悟を決めて、エレベーターに乗りこんだ。
普段より重たい足取りではあったが、央はなんとか学校にたどり着いた。ホームルームが始まる前のがやがやとした教室に、そっと足を踏み入れる。注意深く周囲を観察しながら、自身の座席に向かって歩き出した。
仲よしグループ同士で集まって、昨日のテレビドラマや流行りのYouTubeの話をしているのが聞こえてくる。悠日の席は教室の真ん中。彼は、運動部の男の子の輪の中で数学の宿題を写し合っているようだった。
――……いつもと変わらない、風景。央の瞳にはそう映っていた。
「央、おはよー」
窓側2列目、前から2番目の座席に腰を下ろすと、うしろの席の谷口 茗が話しかけてきた。腰まで届く長い髪をラプンツェルのように編みこんでいる。本人は気にしているが、そばかすのある頬が外国人の女の子のようでかわいらしい。彼女とは、1年生のときに同じクラスになってからずっと親しくしていた。
「おはよう、茗」
「ねえ、今日の英語の小テストさー」
努めていつも通りの挨拶をしながら、茗の様子をうかがう。彼女は英語の教科書をパラパラとめくって、気だるげに会話を続けた。0組に詩を書いていることは、もちろん茗にも秘密だった。
茗からは、「0組」や「ポエム」といったワードは出てこなかった。至っていつもと同じ感じがする。もしかしたら、悠日はまだ行動に出ていないのかもしれない。
茗と男子バレーボール部の木村は、出身中学が同じだと聞いている。央は、
悠日が昨日あったことを男子バレーボール部のメンバーに話す
↓
木村が茗に伝える
↓
茗が央に話す
という流れを予想していた。
茗と一緒に教科書を覗きこみながら、少しホッとする。作者だろうが犯人だろうが、悠日がどう思っていてもいい。このまま大事にならないでさえいてくれたら。
また学校に通えなくなったら、今度こそ社会への扉を閉じてしまう。せっかく直子が用意してくれたチャンスを、ムダにするわけにはいかないのだ。
「中原、ちょっといい? 話があるんだけど」
央が悠日に話しかけられたのは、4時間目の英語の授業が終わってからだった。
昨夜はまったく勉強が手につかなかった。英語の小テストがあることは把握していたけれど、あの状況では予習しても頭に入るはずがない。予習せずとも8割くらいは取れるだろうという算段のもと、ぶっつけ本番で小テストに臨んだ。実際、8割は取れていると思う。普段からそれなりに勉強しておいてよかった。
緊張がほどけ、清々しい気持ちで立ち上がった瞬間だった。最も聞きたくない声で背後から呼び止められた。背筋が凍る。教科書やノート一式を胸に抱え、恐る恐る振り返った。悠日が、真っ直ぐ央を見下ろしている。4時間目まで何も動きがなかったから、すっかり安心しきっていた。不意を突かれた。
0組には、先生も他の生徒たちも残っていた。央に注目が集まる。「スクールカースト」の違う央と悠日が会話をするなんて滅多にないことだ。悠日から話しかけたということも、恐らく周囲を驚かせたのだろう。とりわけ女子からの視線が痛い。さすがミスターコンテストの覇者である。
薄茶色の悠日の瞳が、央をじっと見つめている。教室でヘラヘラしている顔ばかり目にしているせいか、キリッとした真剣な顔つきにはギャップがあった。緊張と恥じらいが、央の心に同居する。見た目が地味でコンプレックスのある央には、『ミスター桂冠』の瞳に映るのでさえ恥ずかしい。昨日はこの華やかなルックスを目の前にして、よくあんなに強気な態度がとれたものだ。自分を褒めてあげたい。
「……な、何?」
精一杯平静を装う。
「ここだとちょっとアレだから、外で」
と、悠日が言うと、二人の様子を監視していた他の生徒たちがどよめき始めた。接点のない二人が人前ではできない話をしようというのだから、ざわつかれるのも当然だ。話とは、昨日の放課後のことだろう。想像はつくが、周囲の視線が集まっているこの状況で、悠日とどこかに消え去るのは、あらぬ噂を立てられかねない。
「ご、ごめん、茗とお昼食べるから」
「大丈夫。谷口には『ちょっと中原借りるね』って言ってあるし。谷口も『わかった!』って」
「なんで?!」
信じられない。先手を打たれていた。
っていうか、茗?!
なんでOKしたの?!
浅海 悠日が私に用なんて、普通疑問に思うでしょ?!
脳内で忙しくツッコミを繰り広げる。茗にちょっと天然なところがあるのを忘れていた。
「何も問題ないよね?」
悠日はニコニコ微笑んだ。悪魔に微笑まれているかのような錯覚を覚える。同時に、他の生徒の鋭い視線が央の身体中に突き刺さっていた。
~~~~っ、えーーーーい!
逃げるが勝ち!
いたたまれなくなって、央は勢いよく教室から飛び出した。
昼休みを迎えた廊下は、退屈な授業から解放された生徒たちであふれ返っていた。購買に向かって走る生徒、ロッカーに教科書を押しこんでいる生徒、お弁当を持って別の教室へ出かける生徒……。それらの生徒たちとぶつかりそうになりながらも、懸命に廊下を走る。
「コラ! 待てよ! 中原!!」
昨日とは違う、たしかに悠日が追いかけてくる気配を感じた。冷や汗が背中をつたう。3組を過ぎ、5組を過ぎる。息が上がってきた。8組まで行ったら行き止まりだ。手前の階段で下に降りよう。右に曲がって階段を駆け降りる。昨日久々に走ったせいか、筋肉痛になってしまった足が重い。もつれて転げ落ちそうだ。気をつけないと――……。
「ストップ!」
階段の踊り場で、誰かが央の細い左手首を掴んで振り向かせた。当然、悠日だった。追いつかれた。彼は息一つ乱していない。ずるい。『ミスター桂冠』でバレーボール部のエースだなんて。どこにも逃げ場がないじゃない。
振り払おうと、央は掴まれた腕をぶんぶん振った。しかし彼は離してくれない。「つっかまえた♪」と悪戯っぽい笑みを浮かべている。ハアハアと肩で呼吸を繰り返しながら、唇を噛む。とうとう、央は観念した。
央と悠日は、2学年の教室のある3階から1階に降り、中庭へ向かった。数十年前の卒業生が記念に植えたらしい桜の木が、新緑の葉をつけて堂々と生い茂っている。二人は照りつける夏の日差しを避けて木陰に入った。2メートルほどの距離を保って、相対する。
「昨日のことだけど」
悠日が口火を切った。
「0組のポエム、中原が書いてるってホント?」
いつものやかましい雰囲気じゃない。落ち着いた低いトーンから、悠日が真面目に話そうとしている様子が感じ取れた。
央の鼓動はドキドキと鳴った。ああ、どう答えるのが正解なのだろう。嘘だと言えば、「ポエムを消していた犯人」として問い詰められる。かといって、本当だと言えば、気持ち悪がられた挙げ句みんなに言いふらされて、またイヤな思いをするんじゃないだろうか。どっちにしたって、ようやく手に入れた平穏な学校生活をぶち壊されることは明らかだった。
――……それなら、いわれのない罪で裁かれるより、白状してしまったほうがいい。
「……ホント」
央は熟考した末に、ゆっくりと口を開いた。
「……マジ?」
反応が怖くて悠日を直視できない。視線を地面に落とした。この際、突き飛ばしてしまったことも謝ろう。そのまま深く頭を下げる。
「だから、あの、昨日は突き飛ばしたりしてごめんなさい。お願いだから、このことは誰にも――……」
「うおおおおマジマジマジ?! すっげー!!」
いつものテンションの高い彼の声が、央の謝罪を遮った。驚いて頭を上げると、目の前に高揚した悠日の顔がある。気づかぬうちに2メートルの距離を詰められていた。
「中原、あんなの書けんの?! 天才じゃん!」
彼は興奮した面持ちで央の両手を掴み、ブンブンと激し目の握手をしてきた。思いも寄らぬ反応に言葉を失う。予想とあまりにも違いすぎた。
これは、一体……? 私、褒められてる……?
「……す、すごい? 私が……?」
「すげーよ!」
央の問いに、悠日は間髪をいれず満面の笑みで即答した。くしゃっと笑うと八重歯が見える。彼のこんな無邪気な笑顔が、学校中の女の子たちを夢中にさせるのだろうか。
「だってみんな0組のポエムの話してるしさあ! 中原は俺たちの学校の流行つくってんだよ。すげーよ! まじ尊敬する!
俺さ、国語とか苦手だから的外れな感想かもしれないけど、共感するし、いいこと言ってんな~って毎回思うよ!
あ、座って座って、もっとポエムの話聞かせてよ!」
悠日は早口で褒め立てながら、桜の木の下にある木製のベンチに央を座らせた。央は動揺と混乱とで彼のされるがままになってしまう。
「それで? いつからポエム書いてるの?」
悠日はコンクリートの地べたにストンとあぐらをかいて座った。
「えっと……小学生の頃だったかな……」
「そーなんだ! 将来は詩人になるの?」
「無理だよ、詩人なんて……」
「そんなことないよ! 学校中が中原のポエムのファンなんだし!」
「そ、そうかな……」
矢継ぎ早に質問する悠日に圧倒される。邪心のない、透明感にあふれたキラキラと輝く彼の瞳。心からの賞賛なのかもしれない。なんだか気を許してしまいそうだ。
「それで? なんでポエム、消してたの?」
――と思った矢先に、核心を突かれた。彼の勢いに押されてなんとなく答えてしまっていたけれど、これには口をつぐむ。上目遣いで央を見つめる悠日は、口角を上げてあざとかわいい表情を浮かべつつもも、瞳だけは全然笑っていなかった。
逃げられない、と思った。昨日強く腕を押さえられたときよりも、今のほうがなぜだかずっと逃げられなかった。獲物を捕らえたような瞳。完全に彼にロックオンされていた。
正直に言うと、悠日のことを低く評価していた。『ミスター桂冠』でバレーボール部のエース。たしかに、スクールカーストでは彼のほうが「上」かもしれない。でも、いつも仲間たちと馬鹿騒ぎしていてうるさいし、授業中の珍回答も阿呆らしく感じていた。知性の面では自分のほうが「上」だと高を括っていたのだ。英語の授業だって、どうして上位クラスに留まっているのかわからない。
けれど、あらかじめ逃げ場を封じておいたり、チヤホヤしといて急に核心に迫る質問をしてきたり、実は意外と策士なんだろうか? 侮れない。計算だったとしたら本当に怖い。
小さく溜息を吐く。もう隠しきれないと悟った。
「……いじめられると思ったから」
「え?」
「あなたたちに、いじめられると思ったから」
央の真っ直ぐな視線が、今度は彼の薄茶色の瞳を離さなかった。
央が詩を書き始めたのは、小学校低学年の頃だった。何がきっかけだったのかは思い出せないが、強いて言えば、祖母の家で読んだ詩集に影響を受けたのかもしれない。
央は医者をしている両親に代わって、祖父母に面倒を見てもらうことが多かった。学校が終わると近所の祖父母の家に帰り、父か母のどちらかが迎えに来るのを夜遅くまで待つ。そんな生活が、小学校1年生から4年生まで続いた。
祖父母の家で過ごす時間は、穏やかでのんびりとしたものだった。友達と遊ぶ予定がなければ、大体は家に引きこもる。学校の宿題やピアノの練習(直子のピアノである)、自宅から持ってきたゲーム、お絵かき、祖父の手伝い(祖父は老後の趣味として庭で野菜を育てていた)などをして、静かに時が経つのを待っていた。
暇つぶしの一環として、たくさんの本を読んだ。学校の図書室で借りた本はもちろん、祖母や直子の部屋にあった本にもすべて目を通した。その中で最も印象に残っているのは、祖母の本棚に並んでいた茨木のり子や金子みすゞ、中原中也の詩集だ。日焼けした本は茶色く黄ばんでしまっていて、気をつけてめくらないとページが抜け落ちてしまいそうだった。見開きのページにぽつぽつと置かれた言葉たちを、じっくり時間をかけて味わうように拾う。幼い央には、詩に描かれた内容を読み取れないことのほうが多かった。それでも、祖母のベッドに寝っ転がり、温かい西日に包まれながら詩を読む時間は、振り返ってみるとこの上なく贅沢で幸福なひとときだった。
心に降ってきた言葉を綴るようになったのは、たぶんその頃からだ。少女漫画雑誌の付録のノートに見様見真似で詩を書いた。最初は単語と単語を組み合わせただけの、とても詩とは呼びがたいものだったが、小学校高学年になるとだんだんと詩の体を成すようになっていた。中学生になってからは意識的に「詩」として言葉を紡いだ。
詩を人に見せようと思ったことはなかった。「誰かに読んでほしい」という気持ちよりも、芽生えた感情や目にした景色を詩で表現することに魅力を感じていた。何千何万とある単語の中から、「これだ」という言葉を選び、組み合わせて詩をつくっていく。伝えたいことが詩としてカチッとハマる瞬間が何よりも快感だった。創作すること自体が喜びの一つだった。
詩を綴ったノートを紛失したのは、中学2年生のある冬の日のことだった。
家にも学校の机の中にもない。「どこに落としたのだろう」と不安を募らせていた。図書委員会を終えて、放課後の教室に戻る。すると、クラスの男の子たちが、央のノートを片手に詩を大声で読み上げながら、「気持ち悪い」と笑っていた。
それだけでも十分ショックな出来事なのに、さらに追い打ちをかけたのは、教室の黒板や央の机に詩の一部分を書かれ、「気持ち悪い」だの「中二病」だの「ブス」だの「死ね」だの、ありとあらゆる悪口を添えられていたことだった。明確に、央は「いじめ」のターゲットになったのだと自覚した。央へのいじめはクラス中に電波し、男の子だけでなく、友達だったはずの女の子たちも、次第に央を無視し、陰口を叩くようになっていった。
悲しさよりも怒りのほうが大きかった。自分の生み出したものを馬鹿にされたことが、心底許せないし憎らしい。そのとき、央は詩にプライドを持っていたのだと初めて気がついた。今までひとりぼっちの閉ざされた世界で、趣味として書いてきたから知る由がなかった。外の空気に触れて、ようやくわかったのだ。詩を書くことが好き。自分の書いた詩が好き。だから、馬鹿にされて悔しいし、腹が立つ。多大なる痛みと憤りと引き替えに、ようやくとても大切なことに気がついた。
バレンタインに浮き足立つ教室で暴れたときのことを、央は今でもよく覚えている。自分の机だけでなく、他の人の机も、椅子も、教卓も、目に入るものすべてを蹴っ飛ばして、ぶん投げて、詩を中傷してきた人を堅い拳で殴った。誰かを殴るのは初めてだった。指が折れそうになるほど痛くて、もうペンが握れなくなるかもしれないと思った。でも、それよりも、詩を、央自身を蔑まれたことへの怒りのほうが強くて、たしかだった。
多くの生徒が怒り狂う央に恐怖を感じ、悲鳴を上げ、教室や廊下を逃げ惑った。誰かが先生を呼んだ。体格のいい大人たちが央を止めようと手を伸ばす。でも、央は止まらなかった。主犯格の男子生徒に馬乗りになり、短い髪を引っ張って、頬を殴りながら叫ぶ。
「あなたたちにバカにされるようなことは、何一つ書いてない! 私の詩を踏みにじるな!!」
央は謹慎処分となり、謹慎が明けても登校することはなかった。
央の社会復帰に尽力してくれたのが直子だった。その頃、直子は3年に渡るニューヨーク赴任から帰ってきたばかりで、新しい部屋が決まるまで祖父母の家――つまり、彼女自身の実家に戻ってきていた。
央の騒ぎを祖父母から聞いた直子は、居ても立ってもいられなくなったという。「少し離れて暮らしている間に姪がひどい目に遭っていたなんて!」と憤慨し、直接学校へ抗議に行くほどだった。
「いじめられていたのは央なのに、どうして謹慎にならなければいけないんですか?」
「いじめていた生徒はお咎めなしなのでしょうか?」
学校側は「いかなる理由があっても暴力を振るうことは認められない」と回答した。直子は頭では理解しつつも、心では落胆した。
「誰も知り合いのいないところで再スタートを切る」。これが、親よりも親身になって央のことを考えてくれた直子の決断だった。地元・神奈川の中学生の多くは県内の高校へ進学する。それなら、東京で最初からやり直すのはどうだろうか――……。直子の提案に、両親も祖父母も賛成した。直子は職場に通いやすい豊洲でマンションを購入し、引きこもりと化していた央を無理矢理部屋から引きずり出した。
央の学力に適していること。いじめに対しての取り組みを行っていること。できれば直子の自宅から通いやすいこと。直子は3つの希望を叶える高校を隈なく探した。そうして見つけたのが都立桂冠高校だった。
最初の学校見学は直子一人で訪れた。「生徒の自主性を尊重する」という教育理念を持つ、自由な校風の学校。偏差値は62。
「都内の中学校から優秀な生徒が進学してきていることもあり、スクールカーストはあれど目立ったいじめなどはない。いじめが発覚した場合には可及的速やかに対応する」
当時の校長はそう話していた。学校生活に関するアンケートも定期的に実施しているようで、「生徒もSOSを出しやすい環境にあるのではないか」と、生活指導の主任が補足した。
2回目の学校見学は央も一緒に行った。央は「高校なんてどこでもいい」と投げやりに考えていたけれど、熱心な直子に申し訳なくなって、彼女が気に入った高校を受験しようと決めていた。血縁があるとはいえ、央は直子の子どもではない。それなのに、同じ家に住まわせてくれて、休みの日は遊びに連れ出してくれることもある。「人生をあきらめないでほしい」という直子のメッセージを、央も痛いほどに感じていた。直子のためにも、あの日止めてしまった時間をもう一度この手で動かしたかった。
央は通信教育だけで勉強し、無事に桂冠高校に合格した。
入学式の日を昨日のことのように記憶している。紺色のブレザーに袖を通し、グリーンを基調としたチェック柄のリボンを胸元に結ぶ。プリーツのスカートは膝より少し短くて高校生らしい。久しぶりに「制服」というものを着た。再び制服を着用する日がくるとは思っていなかった。感動して、直子と二人で少し泣いた。
高校の正面玄関で直子と別れ、一人教室に向かう。同じ制服を着た人々とすれ違うたびに、心臓がバクバクして身体が張り裂けそうだった。学校特有のノスタルジックな匂いが懐かしく、過去の出来事が鮮明に蘇ってくる。教室のドアの前で足が動かなくなってしまった。ぎゅっと瞼を閉じる。
「ねえ、7組の子? 私も! よろしくね!」
立ち尽くしていた央に、誰かが明るい声で話しかけてくれた。ゆっくり瞼を開ける。そばかすのある頬と編み込んだ三つ編みが、外国の絵本に登場する少女のようにかわいらしい。央の緊張が一気にほどけた。
茗という友達が最初にできたおかげで、クラスにも無理なく馴染むことができた。久しぶりの学校生活で苦労することもあったけれど(引きこもっていたせいか著しく体力が低下していた)、休みがちになることはなかった。毎日学校に通う。それが直子とのささやかな目標だった。2学期、3学期と穏やかに季節が巡る。大丈夫。何もトラブルなく学校生活が送れている。「学校に通う」という何の変哲もないことが、央の自信につながっていった。
このまま卒業まで、静かに学校生活を送ろう。きっと今の私ならそれができるはず――……。
それなのに、0組の机上に詩を書いてしまった。
0組の机に詩を書いたのは、ちょっとした出来心だった。
0組の机は誰の物でもないせいか、いつも落書きが施されている。漫画のキャラクターや地方のゆるキャラといったイラストが多く、ヘタなものもあれば、プロ並みにうまいものもあった。様々な筆致で描かれているのを見ると、複数人がこの机に落書きをしているらしい。授業の暇つぶしであることは一目瞭然だった。
落書きを眺めていると、央も不思議と何か書きたくなってしまった。真面目に授業を聞かないといけないのはわかっているが、それだけではつまらない。シャープペンシルを指でくるくる回しながら、何を書こうか考える。自然と、詩を書き出していた。特段絵心のない央には(美術の成績は可もなく不可もなく「3」だった)、そこにイラストを描くという発想はなかった。央が書くものは、「詩」以外有り得なかった。
線を重ねて描くイラストと違って、文字は細く視認性が低い。凝視しなければ、詩が書いてあるなんてわからないだろう。それに、濃くはっきりと描かれたイラストは消しゴムで消さない限り机に残ってしまうけれど、文字の場合は、その机で誰かが数回授業を受ければ、教科書やノートでかすれて薄くなり、やがて消える。やっていることは変わらないけれど、文字のほうがイラストより罪悪感が少ないようにも感じた。誰が書いているのかわからないのも、咎められる心配がなくて都合がよかった。
机に詩を書き始めて数週間後。ある日の英語の授業で、たまたま自分の詩が書かれた机に着席した。0組は部活動や多目的授業で度々机がシャッフルされる。あまり同じ机に当たることがないから、どんな詩を書いたのかすっかり忘れていた。机に目を落とす。
「共感しました♡」
「エモい!」
「最高」
――息を呑んだ。詩に、誰かの筆跡で簡単なコメントが添えられている。目を疑った。ゴシゴシと何度も目をこすった。それでも、その感想はしっかりとそこに残っている。信じられない。夢じゃないのか? 古典的だが思いっきり頬をつねる。痛い。涙が出てきた。次々と涙があふれ出てきて、止まらなかった。
突然泣き出した央にびっくりして、先生が駆け寄ってきた。クラスメイトが心配そうに央を見つめる。具合が悪いのかと勘違いした先生が、心配して保健室に行くように促したけれど、央はその席から動かなかった。動きたくなかった。ずっとずっと、その感想を眺めていたかった。「気持ち悪い」「中二病」と罵られた詩に感想がつくなんて。ありえないくらいの喜びと感動とが押し寄せてきて、身体中の血液が大きく波打つようだった。
この出来事をきっかけに、央はより精力的に詩を書くようになった。先生が板書をしている間や誰かが回答をしているとき、予めノートの余白に記していた詩を机にコソコソと書き写す。すでに詩を書きこんだ席に座ったときは、寄せられた感想に返事を書いた。
「うれしいです。ありがとうございます」
詩を書いて、感想をもらう。そんな些細なやりとりが、英語の授業のちょっとした楽しみになっていた。書いたものを蔑まれた経験があったからこそ、こんな世界を見られることが何よりも幸せだった。奇跡だと思った。
「0組の机にポエムが書いてあるの、知ってる?」
ある日の昼休みのことだった。教卓の前の机で茗とお弁当を食べていた央は、背後から聞こえてきた話にぐるっと勢いよく振り返った。二列後ろの席でクラスの男の子が3人集まっている。昼食を摂りながら、0組の詩について話をしているようだった。今思えば、その中に悠日の姿もあった。
茗と会話をしている手前、彼らの話に注意を向けることはできなかった。でも、彼らが教室で央の詩の話をしている構図は、過去のトラウマを呼び起こすには十分だった。地面が崩れて、地獄へ落っこちていくような絶望を感じる。今朝、早起きして手作りしたお弁当の味さえわからない。具合が悪くなって、その日は早退した。直子が「タクシーで学校まで迎えに行く」と言い出したが丁重に断った。彼女の仕事の邪魔だけはしたくなかった。
フラフラとした足でどうにか家にたどり着き、制服のままベッドに倒れこむ。身体はガタガタと震えていた。膝を抱えて小さくなる。忌々しい記憶が次々と央の心に雪崩こんできた。
どうしよう、またあんなことが起こったら。直ちゃんが背中を押してくれたおかげで、ようやくここまでやり直せたのに。詩だって、せっかく楽しみに読んでくれる人ができたのに!
……そう思ったところで、魔が差した。詩に対して好意的な感想をもらえていたのは、誰が書いているかわからなかったからなのではないだろうか。筆跡から央だと特定される可能性もある。もし詩の作者が「中原 央」だと知れ渡ったら? 感想を書いてくれた人たちは、受け入れてくれるのだろうか。あのときのように「気持ち悪い」と軽蔑されやしないか。そしてまた、書いたものを馬鹿にされ、心を踏みにじられるのではないのか――……?
一度そう思ったら、そうとしか考えられなくなってしまった。すべてが悪い方向に進んでいく予感がする。そもそも「机に詩を書く」なんて行為が軽率だったのだ。詩を人に見られたせいでどんな目に遭ったか忘れたのか? 穏やかな高校生活のおかげで、すっかり平和ボケしてしまっていた。最初から何も書かなければよかったのだ。そうだ。書いたことが間違いだった。
すべての机から詩を消そう。このままにしておいたら、ひどく傷つくことが起こってしまう予感がする。事が起こってしまっては遅いのだ。今度こそ、社会への扉を断絶してしまうかもしれない。東京にまでやってきて、直子の世話にまでなって、ようやく平穏な生活を手に入れることができたのに。この日常を守ること、それだけが最優先だった。
翌朝、詩を消すために少し早めに家を出た。直子には体調を心配されたけれど、委員会の活動だと嘘を吐いた(委員会など入っていないのだが)。しかし、0組には入れなかった。教室に鍵がかけられていたのである。誤算だった。ホームルーム教室でない0組は、使用していない時間帯は鍵がかけられしまうらしい。職員室まで鍵を取りに行くことも考えたが、理由を尋ねられたらうまくごまかせる自信がなかった。
気を取り直して放課後、改めて0組に向かう。0組では、ダンス部が激しい音楽を鳴らしながら踊り狂っていた。とてもじゃないけど入れる雰囲気ではない。「明日にしよう」と帰宅し、翌日の放課後も0組を訪ねた。しかし、野球部の2年生がミーティングに使っていた。その次の日もダメだった。演劇部が机を舞台のように並べて、『ロミオとジュリエット』を好演していた。それから何度も放課後に0組を訪れたが、ことごとく誰かが使用していた。放課後0組に忍びこんで詩を消すことがいかにむずかしいか、痛感した。
朝もダメ。放課後もダメ。じゃあ昼休みといきたいところだが、昼休みはどこかのクラスの生徒が0組でお弁当を食べている。それに、日中だと誰かに見られる可能性もある。机の落書きを消しているところなんて、できれば人に見られたくない。気兼ねなく詩を消すことができる時間は、0組で受講する英語の授業中だけとなった。
今か今かと英語の授業を待った。しかし、毎回運よく詩の書いてある席に座れるとは限らない。0組の机すべてに書きこんではいないはずだが、どれくらいの机に記したかなんて覚えていない。一体、すべての詩を消すのにどれほどの時間がかかるのだろう。それより先に、作者が央だとバレるんじゃないのか――……。痺れを切らした央は、昨日図書室で待機していた。部活が終わる頃合いに0組を訪れたのである。
ギラギラとした夕陽が差しこむ0組には、不穏な空気が漂っているように感じられた。雑に並んだ机が不自然で気持ち悪い。さっきまで使用していたのはダンス部だったはずだ。
一席一席、詩の有無を確認してまわる。詩の書いてある机を見つけては、感想諸共消しゴムで抹消した。消しゴムを動かす手から、なぜか力が抜けていく。ポタッと机に涙が落ちた。悔しかった。どこの誰が書いたのかわからないような詩に対して、「最高!」とわざわざ感想を送ってくれる優しい”読者”の思いを、己の弱さのせいで消さなければならないなんて。情けない。強い心を持てない自分自身に腹が立つ。まだ何も起こっていないのに、これから起こりうるかもしれない出来事に怯えて行動しなければならないのか。でも、そうしなければ、今まで積み上げてきたものが壊れてしまうかもしれない――……。悲しさと苛立ちを、ぎゅっと消しゴムにこめた。
「おい! 何やってんだよ! 勝手に消すな!!」
悠日に見つかったのは、そのときだった。
「……そっか」
央はこれまでの経緯を悠日に打ち明けた。「ポエムを消していた理由」だけを伝えればよかったのだが、どこから話したら伝わるのかわからなくて、余計なことまでしゃべり過ぎてしまった。悠日は悲しそうな顔をしたり怒った顔をしたり、ころころ表情を変えながら、長い話に真剣に耳を傾けてくれていた。
しかし、悠日に話してしまったことを後悔する気持ちもあった。たしかに彼は央の詩を「すごい」と褒めてくれた。でも、信頼に値するかどうかはまだわからない。
「俺は」
悠日が口を開き、央は膝に落としていた視線を上げた。
「詩を書いている中原のことを、気持ち悪いとは思わない」
濁りのない薄茶色の瞳が、真っ直ぐ央の身体を貫いた。涼しく清らかな初夏の風が、央の髪をサラサラと揺らしていく。
「もしこの学校に中原を気持ち悪いと思う奴がいたとしても、俺が、っていうか、俺を含めた詩のファンが、中原を全力で守るよ。約束する」
まさか悠日からそんな言葉が出てくるとは思わず、口を閉じるのを忘れてしまった。すごく間抜けな表情をしているだろう。悠日は央に構うことなく続けた。
「だから、せっかく書いたものを消したりすんなよ。俺もそうだけど、みんな楽しみにしてるから。書くの、やめたりすんな。
中原はさ、誰かに詩を読んでほしい気持ちはあるんだよね? だから0組の机に詩を書いたんじゃないの?」
邪心のない問いかけにうまく答えることができない。言葉に迷って目が泳ぐ。違う。誰かに読んでほしいとか、そういう気持ちで書き始めたんじゃない。ただの出来心なんだってば。でも、どうしてうまく否定できないんだろう——……。忌々しい記憶やぐちゃぐちゃした感情で凝り固まっていた心が、なぜか少しずつほぐれていく。
「いたー! 悠日ー! ミーティング始まってるよー! 部室、集合ーーっ!」
中庭からほど近い、部室棟の2階から甲高い女の子の声が聞こえた。悠日と央は声のしたほうへ視線を送る。クラスメイトの郁が、部室棟の柵から身を乗り出してブンブンと大きく手を振っていた。彼女は、悠日の所属する男子バレーボール部のマネージャーを務めている。悠日は「やべっ!」と慌てて立ち上がった。
「わりぃ! 今行くー!」
あっさりと央に背を向けて、足早にこの場を去ろうとする。央はそのうしろ姿に一抹の不安を覚えた。彼を追いかけるように「ちょっと待って!」とベンチから立ち上がる。
「わかってるって、秘密にしてほしいんだろ? 大丈夫。中原が書いてるって、絶対に言わないから。だから、書くのやめんなよ。消すのも禁止!」
悠日は振り返りながら言った。人差し指をビシッと央のほうに向けながら、八重歯を見せて悪戯っぽく笑う。彼の爽やかな勢いに押されて、央は何も言えなくなってしまった。反論がないと判断したのか、悠日は背を向けて走り出す。彼の広い背中はどんどん小さくなって、あっという間に部室棟の中に消えていった。
ふらっ。気が抜けた。央はドスンとベンチに座りこんだ。
――……そうか。私は、ずっと誰かに読んでほしかったんだ。詩を蔑まされてから臆病になってしまっていたけれど、あれから一度だって書くのをやめたことはない。むしろ、どんどんどんどん、言葉が湧いてあふれてきた。誰にも読まれずに安全圏で書く詩は、傷つかなくていい。でも、本当にそれでいいの? 自分の心を昇華するためだけに書くのでいいのか。私の言葉は、誰にも届かなくていいんだろうか?
――……ううん、違う。そんなことない。
そんなことない!
そんなことない!!
悠日の言葉が身体中でリフレインする。どうしてあんなに飾り気のないシンプルな言葉で、心が解きほぐされてしまうのだろう。やるべきことは詩の抹消ではなかったと、なぜ彼から教えられなければならなかったのか。これまで一度も話したことのない、ただのクラスメイトなのに。彼の言ったことを信じていいのかとも思う。両手放しで悠日を信じるほど、お人好しにはなれない。
ああ、でも。もういっか。たとえ嘘だったとしても。これから先、誰かに直接詩を褒めてもらえることはないかもしれないから。誰かに読んでもらえるって、感想を言ってもらえるって——……。
「うれしいなあ」
(つづく)
↓第3話
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