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「男は狩猟、女は採集」は正しくない!

男性と女性では、そもそも役割が違う。
私たちは、このように言い聞かされ、育てられてきました。
古くから伝わる、「むかしむかし、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に・・・」というフレーズは、その典型だと思います。

でも、このような性別役割は、必ずしも人間が生まれもって備わっているものではなく、その時代、その時代の教育や文化のありようによって、後天的に身につけられてきたという見方が、今では主流を占めつつあります。

「男は狩猟、女は採集」は、言い換えるなら、「男は仕事、女は家庭」という枠組みになります。
私たちは、生まれてから今まで、聞き飽きるほどこのようなフレーズにさらされてきたのではないでしょうか。

最近の研究では、男性のみならず女性が、勇ましく狩猟活動に参加することは珍しくなく、女性ならではのきめ細かさや感性を活かして、男性をしのぐほどの役割や存在感を示していたことが知られます。しかも、その中には、子どもを抱えた母親の姿も普通に見られたといいます。

逆に、働き盛りの世代の男性も広範に採集活動に携わり、その集団で欠かせない存在になっていたと考えられています。採集は、地面に落ちている果実や種子を拾うだけの軽易な作業と想起する向きもありますが、実際には炎天下で広範囲を移動する体力や日暮れまでに帰還する走力が求められ、移動中に外敵から身を守る構えも必要なことから、想像以上に重労働だったのです。

狩猟は体格や体力が求められる力仕事だから男性が担い、採集は細かな気配りや耐久性が求められるから子育て中も含めた女性が担うのは当たり前。このような“常識”は、それらのリアルな実態をあまり理解していない時代の人たちが、後世になって作り上げたイメージである可能性がとても高いといえるのです。



「男は仕事、女は家庭」というフレーズは、都市部ではもはや死語になりつつあるという人もいますが、地方も含めた日本全体でみれば今なお健在な価値観として、多くの人たちの脳裏に焼き付いているといます。

先日、女性の大学院(修士)修了と男性の高卒の賃金水準はほぼ同じだというデータを目にしましたが、これがいまだジェンダーギャップが埋まらない日本の現実だといえます。

「男は狩猟、女は採集」→「男は仕事、女は家庭」という枠組みは、戦後の日本経済が豊かになるにつれて解消されてきたかといえば現実はまったく逆であり、昭和の末年に完成した税制・社会保障制度による性別役割分担の政策的誘導によって、むしろしっかりと社会の随所に根を下ろしてきました。

この建てつけは令和の時代になっても基本はまったく変わらず、それどころか根本的な見直しの議論はまだまだ本格化しているとはいえません。

そもそも男性と女性は本来異なる特質を持つ存在ですし、社会・経済活動の中である程度の役割分担が必要なことは否めませんが、それが国策として税金や社会保険料を投入する中で実質的に強制されていることには、激しい時代遅れの感を持たずにはいられません。

実際には、「女も狩猟、男も採集」。その中で、自ずからの特性の違いがあり、かつさまざまな多様性のもとに社会が成り立ってきた。

このような理解と認識のもとに、みんなが尊重し合い立場や意見の違いを超えて支え合う中で、そろそろ次の時代に向かって確実な第一歩を歩んでいきたいものですね。

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これからの家族のかたち

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。