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「性別を超える権利」と「性別を名乗る義務」

ひと昔前に比べれば、寛容な時代になってきました。
男らしさや女らしさの常識に反発しても、それはそれで一つの意見としてまかり通るご時世。
男になりたい女、女になりたい男は、決して多数派ではないけれども、一定以上の割合で存在するのが当たり前だと見なされるのが今の時代です。

世界的に見ても、生物的な性別(セクシャリティ)と社会的な性別(ジェンダー)が異なるという見解は確実に広まりつつあります。
日本の特例法は要件が厳しいことから適用される人はまだまだ少数派ですが、少なくとも法律上も一定の場合に「性別を超える権利」が認められているといえるでしょう。



性別をめぐる「権利」に一部とはいえ柔軟な適用が認められる反面、法律上も社会的にも、まったく変わらないルールがあります。
私たちは日本人である以上は、男か女か一方を名乗らなければなりません。
シンプルに表現するならば、「性別を名乗る義務」だといえるかもしれません。
これは今の段階では世界的にもおおむね大差のない状況だといえます。

性別をめぐる「権利」と「義務」。
例外として権利には一部の修正が認められる余地があるが、義務については一貫して修正の余地は与えられない。
性別があくまで男と女の2種類で構成される以上、それはあまりにも当たり前だと思うかもしれません。
私も、今すぐに多様な性別のあり方が法律上の制度として実現されるのが現実的とは考えません。



でも、少なくとも議論の余地はあるのではないでしょうか。
人間の出生プロセスと性別の割り当てのメカニズムが科学的にも明らかにされるようになって、ジェンダーがグラデーションであるという見方は常識になりつつあります。
脳科学においても、人間の脳はいわゆる男脳、女脳という2つの類型があるというよりも、個体差による多様性の方が圧倒的に大きいとされます。

マイノリティについて議論するとき、中心になるのは現在の性別に適合しない人を社会的、制度的にどう扱うかというテーマです。
身体の性別と心の性別が一致しないケースにおいては、一定の条件や状況にあることを前提に、心の性別へと移行することを認めようという流れは、まだまだ課題は多いとはいえ、社会的にもかつてよりは認知されつつあります。
もちろん、こうしたマイノリティをめぐるテーマは、とても重要だと思います。



一方で、性別をめぐる議論や実態をつぶさに見ていると、マイノリティの中にさらなるマイノリティが存在することに目を背けるわけにはいきません。
それは、性別にある種の深刻な違和感や葛藤を抱えるけれども、必ずしももう一方の性別への移行を望むわけではないという属性です。
もちろん、こうした人がその後の生活やケアを重ねることで、最終的には性別の移行をしたいと考えるケースもあるでしょう。
ただ、圧倒的に多いのはジェンダーの揺らぎの中で暗中模索の日々を送り続けているような声なき声の存在のように思います。

いわゆるxジェンダーやノンバイナリ―などという言葉や概念は存在しますが、これらは学問的もしくは修辞的に用いられる語法ではあっても、社会的な制度や習慣として意識されているわけではないため、現実的には外形上は「存在しない」ことになっているといっても過言ではありません。
そのため、いかに数的に多かったとしても、概念的にはもう一方の性別への移行を望む典型的なマイノリティの中のさらなるマイノリティと位置づけられざるを得ないのです。



社会は男と女で構成されており、それは一生に渡って不変であるべきだが、どうしても馴染めないケースがあったときだけは、(仕方がないから)例外を認めてあげよう。
誇張を恐れずにいえば、これが今の世の中の認識だと思います。
いいかえるならば、「性別二元論」は絶対に維持しなければならないというポリシーによって支配されているといえます。

私は、「性別を名乗る義務」自体をなくした方がよいとまでは思いません。
ただし、マイノリティの中のマイノリティ、声なき声の一定数の属性(もちろん揺らぎによって母数は常に変容する)の存在について、理解したり建設的に議論したり前向きな対応を検討することは必要ではないかと考えます。



「性別を名乗る義務」はそれとして、戸籍法その他の法律上、そして社会通念において、男あるいは女であることは、単にその国民がYであるかxであるかを示すに過ぎない、いわば便宜上の記号による整序の機能を意味するに過ぎないと認識されることが望ましいように感じます。
もっと理想をいうならば、男であること、女であることが、その人の人生の全般に渡って全人格的に影響を及ぼすのは不当という良識が、国においてもさまざまな社会的な組織においても、すべての前提におかれるべきだといえるでしょう。

これは、あらゆる法律を一文字も変えなくても実現できることです。
多様化、ダイバーシティという言葉が毎日のように広範に用いられる時代ですが、そもそも性別すらが個性の一つに過ぎないとみんなが認め合うことが、真の意味の多様化の第一歩だと思います。
マイノリティについての現実的な変革が必要なのはもちろんですが、女であること、男であることによって現実的に不利益をこうむったり、深刻な生きづらさを感じることがなくなることを理想として、性差を超えた豊かさを目指していきたいものです。


学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。