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常に前だけ見てればいいわけじゃない

はじめに

今回は転職を機に、現職に至るまでの社会人経験を振り返って仕事をする上で土台となる大切な考え、カルチャーについて未来の自分が忘れないように自分に問いかけるように書き散らしていこうと思います。改めましてakiです。

私は心理学に関する知識はまったくありませんし、それに関する書籍を読んだ訳でもないので、ここで話すことは私の経験を踏まえた、自分自身に向けた壮大な独り言に過ぎませんので、その点ご理解下さい。


人はとても弱い生き物

外部的な要因に関わらず、自分自身がもたらす内部的な要因でも人は簡単に心が不健康になるという意味で弱い生き物とここでは書いています。感じ方の大小はあるもののそう感じる人は多いのではないかと思います。
外部的な要因は様々ですが、ここでは他者からのフィードバック自身の行動を抑制してしまうような環境要因に絞って話していきたいと思いますが、その前に人が弱いと感じる内部的な要因として、価値観を例に考えてみたいと思います。

内部的な要因について

人が価値観を大事にする理由として楽しさを感じたいと思うことと、傷つきたくないと思うことの両方があると私は思っています。とくに傷つきたくないと思う心理は強く働いていると個人的に感じています。だからこそ価値観の似た人と自然と仲良くなるし、そうでない人とは積極的に仲良くなろうとは思っていないというのが現実としてあるのではないでしょうか。
けれど、仕事になると価値観が同じ人ばかりでは無いと思っていて、それを前提に考えると、何も考えずに仕事をしていると人を簡単に不健康にさせてしまうし、自分自身も不健康になってしまう生き物だとも思います。

他者から(へ)のフィードバック

突然ですが、フィードバックしてますか?
先ほど述べた「傷つきたくないと思う心理は強く働いている」という前提で話を進めていきますが、その上で価値観が同じとは限らない人に対して自分が思っていることを伝えるということは、多少なり負荷も掛かりますし不安に思うことも多々あると思います。このとき、相手が話を聞く姿勢を怠っていたり、無反応な場合、ストレスを感じたことがある方もいると思います。
その場合、次に同じ人に同じことをしようと思うとコミュニケーションコストが跳ね上がる感覚が私にはあります。
それが続けば続くほど、コストはどんどん高額になり、最終的には払えるものが無くなり、最後には対話が無くなる。という状態になるかと思います。このストレスの感じ方や払えるコストがどれだけあるかは個人差によりますし、その時の心身の健康状態によって大きく変わると思います。
私は、相手に無駄な負荷を掛けることにメリットをあまり感じないので、相手の話を聞く姿勢と自分の能力の範囲でフィードバックをすることを心がけています。
もう少し補足しておくと、コストを上げないという意識よりかは、どこまで下げれるか、を意識しているかもしれません。理想はみんなの愚痴をいつも聞いている状態が自分の中での理想状態です。

自身の行動を抑制してしまうような環境要因

多くの企業では上司と部下の関係が一般的にあると思います。この構造自体が悪いとは私は思っていませんが、心理的安全性に影響を及ぼすような要因として、現実的に下記のようのなものがあるかと思います。

  • 仕事で関わりの強い上司が評価者

  • ネガティブな上下関係

    • 先輩風が暴風域

    • 知識・技術的スキルによるマウント

などなど、他にもあると思いますが、自分自身ではどうすることも出来ないこれらの外部要因によって自分の行動を抑制してしまうことは多々あるかと思います。
パワーバランスとして強い方の立場になった時に目の間の議論では見えていないところで、自分が相手に対して与えている抑止力的な力が働いていることを常に認識した上で対話する必要があると感じます。
いろんな人と話しをさせもらう中で、力のある立場の人の言動や態度がどれだけ、コミュニケーションコストをいたずらに上げて、人の心を簡単に不健康にさせてしまうということを痛いほど実感したので、この教訓を忘れないためにも書いておきたいと思います。

山を登るとき、大事な仲間が怪我をしたり、遭難しないために

ここまでの話で、じゃあ、みんなの発言に反対意見する訳でもなく、誰も傷つかないように細心の注意を払いながら、誰にもストレスが掛からないように振る舞うってこと?と思う人も中にはいるかもしれませんが、そんなことを言いたい訳ではありません。
個人的な考えとして、働くということは常に社会で戦っていくということでもあり、高い壁も登るし、困難な課題にどんどん立ち向かっていくので、負荷も当然かかるものと思っています。そういう意味で山登りはいろいろな場所でよく例に出されていると思っていて自分もその例えがしっくりきていますので、山登りを例に書いていこうと思います。

山登りなので、足が痛くなったり、擦り傷を負ったり、登った後は全身筋肉痛みたいなことはあると思っています。しかも、途中で目指すポイントが変わったり、ルートが変わったりすることも珍しいことではないと思います。そんな時に一緒に登る仲間の声も聞かないまま先に進もうとすると、どうなるか簡単に想像できると思います。
例えば、ひたすら「大丈夫、大丈夫」と言いながら険しい顔した仲間がいたら、休んだり、立ち止まって不安な要素をきちんと共有しながらどうすれば先に進めるか本気で考えると思いますが、そんなこともお構いなしに先に進んでいると仲間が動けないような怪我をしたり最悪の場合、遭難することもあるのでは無いでしょうか。
なので、険しければ険しい山ほど仲間との対話、健全な衝突が出来なければ最後まで登ることは出来ないと私は考えています。そのために「他者から(へ)のフィードバック」を意識しながら、「自身の行動を抑制してしまうような環境要因」は取り払うことで、価値観の違いを超えて想像しなかったような新しいアイディアを生んだり、生み出すものの価値を上げて最高のチームと最高の景色を見ることができると私は考えています。

まとめ

常に前だけ見てればいいわけじゃない

もし、自分の立場が強くなるようなことが今後あったとして、「俺の時代はこうだった」とか、「人のことまで考えてる暇はない」「会社の方針だから」みたいなことを言い訳に仲間との対話を疎かにしている自分になっていたならば、あらためてこの記事を冷静になって良く読んでほしい。
本当にそうならないためにも、こうやって誰もが見れるところに書いておきますし、もし私のやっていることがズレていれば「この記事に書いてることは嘘ですか?」と解いたざして下さい。

最後に

耳が痛くなるようなことを言って下さる人ほど、大切にしなければいけないと思っていますが、いつも近くにそういう人がいるとも限らないので、今回は自分に対して喝を入れてみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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