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【『傲慢と善良』 読書メモ?】 就活時に持っていた"生きていくための悪意"を修士論文執筆における自己反省の過程で失ったので,『傲慢と善良』の真実を反面教師として取り戻し,要領と善良の二重思考を極める

この記事で何が言いたいか.それは表題の通りです.

表題を説明します.

就活時に持っていた"生きていくための悪意"を修士論文執筆における自己反省の過程で失ったので

就活時には"生きていくための悪意"を持っていました.すなわち,平然と「第一志望です」「他の企業は受けてないですね」「受かったら御社に行きます」と言いました.当然,嘘がたくさん含まれる内容です.

しかし,修士論文の執筆をしているときは,"生きていくための悪意"を失っていました.論文の執筆では,真実(しんじつ)を伝えることが最優先となります.ですから,論文執筆は自己内省の繰り返しです.文章に嘘は含まれないか,嘘ではなくとも自分に都合のいい解釈をしていないか,嘘ではなくとも読み手に誤って受け取られることはないか.学術の世界は性善説で運営されていますから,書き手が都合の悪い結果を隠した場合,読み手にそれを知る術はありません.つまり書き手は,完全なる善良な人間であることが求められます.

だから,修士論文の執筆を経て,"生きていくための悪意"を失いました.要領の良さを捨てました.飛躍のない論理を積み上げる,自己批判的な書き手になりました.正直で,真面目で,愚直で,控えめで,HSPで,自己批判的なのに他者から自己への批判を最も恐れる人間になりました.すなわち,完全なる善良な人間になりました.

しかし,善良なだけの人間が生きていけるほど甘い世界ではありませんでした.遠慮しすぎて,プレゼンで研究成果を強くアピールできない.気を遣いすぎて,店員に話しかけられない.他者の判断を仰ぐばかりで,自分で決められない.酷い扱いを受けても怒れずに,ついつい気を遣って相手に合わせてしまう.ずる賢い近道があるのに,愚直な道を歩いてしまう.すなわち,要領の悪い人間になりました.
昔の自分はこんな人間じゃなかったのにな,と気を病みました.

モヤモヤを抱えたとき.モヤモヤがうまく言語化できないとき.他者のモヤモヤの言語化を鏡として,自分のモヤモヤの理解が深まることがあります.他者のモヤモヤの言語化が最も解像度高くなされているメディアは,小説です.
修士論文を書き上げて心に余裕ができ,半年前に友人が勧めていた辻村深月『傲慢と善良』を思い出したので,手に取りました.

『傲慢と善良』の真実を反面教師として取り戻し,要領と善良の二重思考を極める

買った当日の夜に,徹夜で読了しました.
登場人物の真実(まみ)は私の反面教師になりました.真実は,善良過ぎるがゆえに,端的に言えば損をしてきました.善良という病理の権化とも言えるでしょう.
真実を見て「ここまで極端な善良にはなりたくないな」と思いました.物語を進めながら,もっと要領よく・ずる賢くいこうぜと,もどかしく思っていました.そして物語の終盤,真実は善良から距離を置き,別のステージへと進みます.このカタルシスを味わった結果,私も"生きていくための悪意"を取り戻しました.

大事なのは,二重思考だと思うのです.
二重思考とは,ジョージ・オーウェル『1984年』で語られる概念です.矛盾する2つの信念を同時に信じるという思考術です.「2足す2は4」だと完全に信じているものの,党が「2足す2は5」と言えば,それも完全に信じるのです.矛盾する2つの信念を,どちらも完全に正しいと思い込むことができる能力です.

要領と善良は矛盾します.この2つの信念を,同時に信じるのです.そして,使い分けます.要領が効く場面は,要領を信仰する自分になります.善良が効く場面は,善良第一です.
要領よく,ハッタリかまして営業し仕事を取ってきて,中身は善良に作り上げる.
そういうものにわたしはなりたい.

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