辞書引きは難しい①

辞書引きは難しい。
小学生と勉強していてつくづくそう思う。
特に高学年になって、中学受験の入試に出るような文章に取り組み始めると、途端に難しくなる。新書や、文化人・知識人による新聞のコラムくらいの文章。子どもを読者に想定して書かれてはいない。

この前4年生と、日高敏隆『世界を、こんなふうに見てごらん』を勉強した。

https://bookmeter.com/books/6098789

4年生というのは、「子ども向け」=低学年の世界を卒業して、「大人向け」の世界の入り口に立つ学年、と自分は位置付けている。
同書は、晩年の著者が子どもに宛てて書いているようで、特に巻頭の詩は童心にかえる老翁の風情がなんとも魅力的なのだが、本文は、やはり大人の大人による大人前提の文体で、語彙は易しめでも、読み取るのは難しい。
それもあってか、数年前、あちこちの学校で入試に取り上げられてもいた。
アゲハチョウは、何故、花畑ではなく雑木林の梢辺りを飛ぶのか?著者の子どもの頃の思い出話であるが、科学的思考の萌芽の描写でもある場面。
そこに、こんな一文が出てくる。

「仮説を立てて、実際に調べてみる。」

大人にすれば全くどうということもない一文なのだが、4年生には、この「仮説を立てる」が難しい。よくわからないと、皆、異口同音。
そこで辞書を引かせてみる。
「あることを明らかにするため、仮に決めた考え」
と出ていた。
じゃあ、当てはめて考えたら、もとの文の意味はどうなるかな?と質問したら、なんと、大人から見たら驚くべきことに、そのまま本文の「仮説」という言葉に、辞書の文言を代入して音読したのである。

「あることを明らかにするため、仮に決めた考えを立てて、実際に調べてみる。」

これでは、なおさら話が見えない……

しかし、これは子どもを教えていてかなり頻繁に遭遇する事態である。全国のご両親や先生方、ちゃんと子どもさんの国語の勉強見ようとして辞書引かせたらそういう反撃(?)に合って、叱り飛ばしたり途方に暮れたりしておられませんか?絶対、ウチの生徒だけではない、子どもにとっては、辞書を引いた時の自然な反応なんだと思う。
「辞書を、自力で使いこなせるかどうか。」
これは、その子の国語力、読解力の重要なバロメーターだと思う。未知の意味を、既知のことを手掛かりに探っていくには、実に多面的で総合的な力が必要だ。
というより、そもそも最初は、どの言葉を辞書で調べるべきなのか、その判断すらつかない場合が少なくない。
実際、この授業の時も、
①わからない言葉の意味を自分で予想する②辞書を引く③先生から「これもわからないんじゃない?」と追加の辞書引き指定④感想や、辞書引いてもまだよくわからない点のアウトプット
と丁寧に予習の指導をした上で、上述の展開だった。逆にいえば、いきなり核心部分に飛び込めた、ともいえる。

ここから、文法的な知識だの、作文だの、不肖私の30余年に及ぶ経験とスキルを総動員した取り組みになるわけである。
こんな進め方は、遠回りのようにも見えるだろう。「こういう意味でしょ!」「覚えなさい!」とやってしまえば、早いことは早い。なんという時間の無駄か、と思われる方もあるかもしれない。
しかし、それでは、自分で文章を読んで考察していく力が養われないのです。自力で取り組めるようになってこそ。
繰り返し思い出されるイソップ童話がある。父の遺言で、埋まっているはずの財宝を求めて、ブドウ畑をくる日もくる日も深く掘り返し続けた三人兄弟。財宝はとうとう出なかったけれど、その秋のブドウは驚くべき豊作になった…。そのひそみに習って、しっかり、深くしつこく掘り返すのだ。

実際、どんな指導を展開したのかは、また次回。





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