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先生とも生徒とも思っていない関係性

こんばんは。
あきです。

なぜか、本を読むスピードが劇的に早くなりました。

今日も1時間かからない間に1冊読破。

  • 今の自分に必要かどうか

  • 知っている内容かどうか

などの視点から、

  • 眺めて流す部分

  • しっかり読む部分

に分けるようになりました。

これは、
”いつまでに読みたい”
”他にもしたいことがある”
という時間的制限があったからなんだろうと思います。

スピード感をつけていくためには、
期限がある環境が最強だと思ったところであります。

そんな今日は、
学校で子どもにもらった言葉が
なんだか心地よく考えさせられたのでそれを。

先生のこと先生やと思ってない!

どんな流れだったかは忘れました。

放課後の教室で、
3人の子ども達と話していて、
そう言われました。

普段から、よくちょっかいをかけたり、
近くによって来てくれる子ども達で、
”友達みたいで壁がない”
というようなニュアンスだったのでしょうか。

ただ、私はその時はなんとも思ってなかったので、
どんな返しをしたのかすら覚えていません。

最高の褒め言葉じゃないですか?

場合によっては、
”ナメられている”との受け取り方もあるかもしれません。

でも、
私はじわじわと嬉しくなったんですよね。

立場や役割ではなく、
1人の人間としてみてくれている。

そう思ったんです。

わざわざ関係性には名前をつけなくてもよい

振り返ると私は以前から名前のない関係性が好きでした。

というよりも、
他人との関係性を言葉にすると、
型にはめられているようで、
軽い気がして嫌だったんですよね。

大学時代、
みんなには、あんたの親友の・・・と言われるような、
T君がいました。

確かに私とT君は、
友達以上に深いところで繋がっていたとの自負がお互いにありました。

恋愛などの感情は1ミリもない
(向こうの彼女さんからも公認いただいている)
唯一無二の存在でした。

T君の入籍日に電話をしたり、
結婚式のスピーチを依頼してもらったりする関係性でした。

でも、お互い”親友”という認識はなかったんですよね。

どこか、一言で片付けられるのが違う気がして。
そんな簡単な関係じゃない!と思って。

ちょっと余談が長くなりました。
とにかく、私は型にはまっていない関係の方が好きなんです。

1人の人として関わる

先生の中の1人としてみられるよりも、
私という人としてみてもらえる方が嬉しい。

”ひとくくりにされたもの”ではなく、
私という人で評価してほしい。

きっと、
これはみんなおんなじだと思います。

正直、今日の子ども達は
あまり生徒として考えていません。

かといって友達でもありません。

1人の人として向き合っていると思います。

だからこそ、
1人の人として考えてくれているんだと思います。

私と、
先生と生徒という関係になっている子どもはいます。

その関係を崩しにいくのとは違いますが、
1人の人として関われるようになると、
また違った関係が出てくるのかもしれないなと思います。

色々考えさせてくれる子ども達に今日も感謝です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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