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年明けに「葬送」第二部 平野啓一郎を読む②(やっと)ジ・エンド

ショパン復帰後2度目の演奏会:

演奏会を催すにしても精々三百人程度に限った小規模のものしか考えてはいなかった。今更大会場でオーケストラなどと共演してみたところで何になる?…聴衆は満足せず、殊に初めて自分の演奏に接する者は、その"音の小ささ"に否定的な感想を抱くだろう。

相変わらずサロン演奏しか目がありません。

 ショパンには確かに誤算があった。依頼を断るということを、彼はさほど大袈裟に考えてはいなかった。
「どうしてお断りになりましたの?」という質問を辟易するほど何度も浴びせ掛けられることとなったからであった。
 ショパンのファルマス伯爵邸での演奏会は、ヴィアドル夫人の好演も手伝って一度目に劣らぬ好評を博したが、事前に期待していたようにそれが今後の活動に何らかの活路を見出させてくれたかといえばそうではなく、結局のところその恙(つつが)無い締め括りを意味するものであったと言わざるを得なかった。

今後の希望のなさ。憂鬱。

ここでポーランドの立場についての記載続く…。

サンドと娘達について: 

もし彼女の収入が自分とは比較にならないほど少なかったならば、彼は彼女の目の前で稼いだ金を好きなだけ浪費するような生活を慎んだかもしれない。彼が悪びれずにそれをすることが出来たのは、彼女の方が遥かに多く稼ぎがあるという安心があったからである。実際に明らかになった彼女の収入は瞠目すべき額であった。しかし、彼が漠然と思い描いていたほどではなかった。

サンドは恋愛を恋愛たらしめるため、互いに経済的に自立を条件としていた。ただ、家庭は経済上の困難にあり、華美な生活を送るショパンを好くは思わず。といったところも破局の原因かと今になって思い至るのでした。

サンドは革命の民衆の側に身を置き活動するが、末路は無残な敗走となり、パリを逃れざるをえなくなる。それでもショパンはそんなサンドの情熱的な行動を羨むのでした。

スコットランド・エディンバラで、手紙の返事を書くショパン。

 家族宛ての手紙には、みんなが安心出来るように極力詳細に、長く、しかも明るい調子で好いことばかりを書いた。

先日のショパン展で自筆の手紙とその解説が展示されていましたが、そのようにして書かれたのでしょうかね?

今度はマンチェスターで、希望に反し、千二百人収容するコンサートに出演。

アンダンテ・スピアナート、スケルツォ、ノクターン、エチュード、子守歌。

 評判は案の定、さほど芳しいものではなかった。酷評する者こそなかったが、十分に理解され、感銘を与えることが出来たとは言い難く、大方は極めて美しいけれども、全般に繊細すぎ、しばしば風変わりな演奏だったという程度の印象しか抱かなかった。

タッチが弱いのは、繊細であることこそがショパンの独創であり、体調不良のせいではないとスターリング嬢の反論。しかし、確かに今の弱りようでは満足な演奏は出来ておらず、これまで築き上げてきた奏法と混同されて弁護されると誰も真の自分の演奏を理解してこなかったのではと失望するショパン。

 この頃からショパンの様子に異変がみられるようになる。~巻き込まれた馬車の事故の影響?(本人はまったく別の理由と思っている。)様子がおかしいらしい。弟子や知人達が健康を危惧する。

サンドの後釜としてスターリング嬢はという噂も出てくる。スターリング嬢はショパンを慕っているが、ショパンは彼女が自分とはまったく別の世界に生きる人間だと感じる。

体調悪化。孤独は深まり、音楽家として何ら敬意を払われることはなかった。

パリに帰りたい。音楽舞踏会を最後に、数ヵ月のイギリス滞在を終える。

ドラクロワ、シャンロゼに隠遁。論文の執筆。出来栄えに不満で、自分は芸術家ではなく画家であると思い知る。絵画であれば結果が着想を裏切らない。これが才能というもの?

銅版画家のヴィヨ:

彼は権力というこれまで終ぞ縁のなかった代物を手に入れて、どうして人がそれに憧れるのかということを今更のように身に染みて理解した。昨日までは自分を一介の銅版画家として歯牙にも掛けぬ態度で見下していた画家達が、掌を返したように挨拶に来る。
それでも自分が、今やこの国の絵画制度の為に望むことの大半を実現し得る立場にあるという事実だけは強く実感された。

ヴィヨのルーヴル国立美術館初代絵画部門部長就任は、周囲に様々な嫉妬や悪意を呼んだ。

サンドと娘の借金と財産、不動産の売却の話。

ここあたりでp.380/709!どのように収束していくのでしょうか。

ショパン:

「僕達は決してお金の為に創作をする訳じゃないけれど、僕達の必要の有無はお金でしか計れないだろう?…僕が僕自身のことを無用者と考えずに済む為には、安直だけれど収入があるということが随分と慰めになっているんだよ。」

同意するドラクロワ。

サンドの創作について:

「…彼女の小説の書き方がそうだったから。一日に何十枚と猛烈な勢いで書くんだけれど、じっくり見直して推敲するっていうことがないし、書いたら書きっ放しなんだよ。僕にはとても考えられないことだけれど。…」
「趣味による洗練っていうのがないんだね。」とドラクロワは昨年来ずっと気になっている天才と趣味との話を思い出しながら言った。

再び芸術の野生と洗練のお話。何度も出てくるとわかりやすいかもです。

パリへの帰還。
そして病気でもうヨレヨレのショパン。

喀血しても結核であることは認めない。三歳年下の妹エミリアは、十四歳の春、結核であっけなく死んでいった。

ドラクロワ、"進歩"という問題:

 そもそも美術に話を限るならば、あらゆる大問題はほぼすべて既に十六世紀の於て解決し尽くされている。…その上、何をつけ加えようというのであろうか?自らの創造の革新性への自負は大抵は無知の産物である。単に勉強不足に過ぎない。

というか、あらゆる世界で歴史は繰り返されているのではないだろうか。

ショパン、ドラクロワ~倦怠について:

倦怠は何よりも残酷な苦痛だとショパンは言った。…没頭するということはとにかくも時間を満たしてくれた、それ以外はみんな哀しみの種だったと言った。…憂鬱とは、つまりは他に注意が向けられない分、一層強く死を感ぜねばならない状態のことかもしれない。
 そうして考えてみると、創作とは常に死というものと無限に近接する行為であるのかもしれない。或いは時に死そのものですらあるのであろう。人間を日常の秩序から完全に切り離すことが出来る何かがかるとするならば、それは恐らくただ死のみである。

占星術でも12室はあの世とか芸術とか纏められます。魂、秘密、芸術、隠遁…。

ドラクロワとフォルジェ男爵夫人の不和:

「結局あなたって何にも分かってらっしゃらないんですわ。」「それなら、何を分かっているとおっしゃいますの?」

普通に家庭とかであれば分かるも分からないも生活が回っていけばまぁいいのかもですが、芸術家と愛人では、それ以外の何かの理解が必要?そして、理解と本当のことは、表に出さないほうが良かったり。

彼女の心情を理解していない訳ではないことを証し、しかも、その内容は語られぬままに留めておかねばならなかった。…
「僕なりに理解しているつもりです。」
「もう結構ですわ。…」「もう何もおっしゃらないで。」
彼女はやはり彼の言葉が核心へ迫ろうとすることに耐えられなかった。…彼がそれを口にすれば、二人の関係が永遠に失われてしまうことは明らかであった。

一筋縄ではいかない心理と現実なのでした。

パリのコレラとショパンの貧窮:

オブレスコフ大公妃の秘密の支援で郊外のシャイヨーの別荘に移るショパン。心配した母親からの無理をした千フランの援助。

フランショームとの昔話。

喀血と死の影。

音楽家としての本格的な活動の為ウィーンに向かう。ワルシャワへの姉宛の手紙。ショパンの姉、イェンジェイェヴィチョヴァ夫人は留守中のうえ、その後手紙の存在を知ると、ショパンの困窮と必死さの訴えをみとめる。そして情勢と夫による足止め。姉が向かうか、母が向かうか、親戚家族間のドタバタ。

二万五千フランの援助問題。スターリング嬢の姉アースキン夫人が使いに持たせた援助はショパンに届いておらず、そのありかを探し当てるドタバタに、霊媒師まで出てくる。今でいうリモートビューイング?とにかく金銭に潔癖なショパンはいくら困窮していようと一年は過ごせる金額を受け取らない。アースキン夫人はこれだけの騒ぎのうえ、支援を持ち帰ったならば、姉妹が人騒がせな笑いものになるといい、金額が問題ならばとせめて一万五千フランを受けとるよう提案、根負けしたショパン受け取る。

このお金でショパンの生活は少なからず救われたが、霊媒師はじめこの騒動が疑わしい。辻褄だけは合っている。いろいろな疑い。お金を受け取らせるための姉妹の芝居?

サンドの娘ソランジュと生まれた赤ん坊の来訪。

ドラクロワとフォルジェ男爵夫人の謝罪の手紙。

ーあなたは僕を誠実に愛してくれる世界中のたった一人の人かもしれないー

ドラクロワとヴィヨ夫人との交流。創作に纏わる苦労、人と会う億劫さ。ヴィヨ夫人になら平気で打ち明けられる。

フランショーム:

「フレデリック・ショパンは、…しかもまるで"凡人のように苦悩する"天才です。そして、しばしば凡人とは、まるで"天才のように苦悩することを知らない"人達でしょう。…」
「それに、彼の音楽は、ポーランドという国家の独立性を文化的に証明するいわば最高の例である訳でしょう?」
「実は彼は、一月ほど前に作曲を試みているのです。もうピアノを弾くことは出来ませんから、ベッドの中で書いたようですから。」「…ただそれがマズルカだったということには、改めて色々と考えさせられました。…彼がよく、『フランス人にマズルカは分からないだろう。』と言っているのは聞いたことがあります。」「そして、我々がショパンを理解するということは、何時も何処かマズルカをワルツにしてしまうような不手際があるのではないでしょうか?」

なるほど。深いです。

イェンジェイェヴィチョヴァ夫妻とその娘の到着:

ショパンの歓喜。思い出される限りの昔話。

見舞いの客足は絶えず。

ティトゥス・ヴォイチェホフスキとの友情。音楽に対する造詣の深さと達者なピアノの腕前。その理解がショパンの救いとなる。死の間際にそのティトゥスが目と鼻の先のベルギーに来ることに神の慈悲を感じる。しかしそんな遠出は周りから見ると無謀とも言える計画だった。ティトゥスのフランス入国の可能性は消滅。

ドラクロワ、数少ない彼の理解者ミルベル夫人の急逝を知り、絵画収集家のウィルソンの危篤に遭遇。サン・シュピルス教会の壁画の問題。以前からのゴブリン織工場の所長職の話。気質の不安による断念。

ショパンの姉、イェンジェイェヴィチョヴァ夫人。サンド夫人。フランショーム。娘のソランジュ。

ドラクロワ、絵画論と友人ジェリコーの死。

 彼は改めてモンテスキューの議論を思い返した。いかにも人間とは不具合に出来ている。そうして若い頃には大いに濫費した鋭敏な感受性がまさに衰微してゆこうとするその時になって、精神は初めて誤りから遠ざかり、理解力を増し、何事かを確実に計画し、遂行する知性を得ることになる。どうしてそれらの能力を二つ一緒に兼ね備えることが出来ないのであろう?

よく言われることですね。でもそれだからいいのかも。完璧はツマラナイ、かもしれない。

あの時には恩寵とさえ感ぜられた自然との穏やかな関係が、今は芸術家としての致命的な損失の結果であるように思われる。あの時には確かに自分を慰めた一連の思索が、今は余りにおめでたいような気がする。そして、明日はまた分からないのだ。…人間とは、そうして所詮死ぬまで一知半解のままなのであろうか?

作者が若いときにそんなことが書けるのはやはり天才だから?

《キオス島の虐殺》を描いた自分にせよ、まさか絵画を通じて政治的告発を行おうなどとは夢にも考えていなかった。そうした主題を取り上げるのは、単にそれに想像力が刺激されるからという考えに過ぎない。それはグロとてジェリコーとて同様の筈である。

芸術と作品と政治は基本別物である、。

 彼は、長らく密かに自分の裡に認めてきた他人に対する或る本質的な無関心のことを考えた。それはいわばエゴイズムの深淵であった。自分は嘗てただの一日でも他人の為に自分の人生の時間を費やしたことがあったであろうか?母が死に行く運命にあったことは既にその何週間も前から察せられていた。ジェリコーと遠からず二度と言葉を交わせなくなることは誰よりもよく分かっていた筈だった。

芸術家っぽいエゴイズムです。

-九月の間、彼はただの一度としてショパンを見舞わなかった。

壁画作成と見舞いの兼ね合い。

ショパンの最期。神父と懺悔。

 それ以上はもう一言も喋ることが出来なかった。
 この日からショパンの苦しみは数日間続いた。
 その後遺体はクリュヴィエ博士の研究室へと運ばれ、遺言通り解剖を施されることとなったが、いかに故人の願いであるとはいえ、この時ばかりは見送る誰もがその痛ましい想像に耐えられず、…
 クリュヴィエ博士の所見では、病巣はやはり肺にあったが、心臓の方もかなり状態が悪く、いずれにせよ長い命ではなかったであろうということであった。

そして第一部 冒頭のあの葬儀の場面に回帰する。オーケストラによる《葬送行進曲》の演奏。男性歌手のみによる《レクイエム》の演奏。

葬儀が終わる。家具の競売。遺品整理。金庫に隠し持っていた手紙や書類。なぜ仕舞っておいたのか。サンド夫人からの手紙。弟はやはり彼女に会いたかったのではあるまいか?姉のイェンジェイェヴィチョヴァ夫人。

ショパンの最後に住んだ部屋と遺品を記念館にしようという友人たちの提案。夫人の夫の反対。最初に問題とされるのはやはり金。借金?収益はあてになるのか?

やむなく競売へ。

「ショパンは、…それでもやはり、最後までサンド夫人を愛していたのではないでしょうか?」
「断じてそんなことはありません。当然じゃないですか!」
「そうでしょうか?ーいえ、私は寧ろそうあって欲しいと思っているのです。」
「…私にはやはりそうは思えません。手紙が金庫に這入っていたのは、単に寝たきりになってそれを整理しそこなっていたからではないでしょうか?…」

ショパン死後のドラクロワ:

サンド夫人と会う。サンドは今熱中しているドミノについて語る。娘夫婦にも会う。

ドラクロワ、アカデミー会員に落選。落胆。次回の選出にまだ諦めていない。

サン=シュピルシュ教会内のシャペルの壁画の光景とともにこの物語は終わる。

長い小説でしたが読後、喪失感と何かの終わりを実感させられます。

(終)お疲れさまでした。

追記感想

第二部の特に後半は一度集中力の限界により?すっ飛ばし読みしました。後で「多少」ゆっくり読みなおしました。

それにしても、ショパンの思想や取り巻く環境、状況、政治、革命の世が少しわかった気がします。手元に置いて何度も読み溶かす小説でしょうかね。(重いけど。)

ドラクロワは最後まで「画壇の改革者」だったのだろうか?画壇の嫌われもの?p.581

最後に、ハードカバー第一部の金の装丁はこの物語で議論された芸術論でいう天才(野生と情熱)、第二部の銀の装丁は趣味・躾(冷静と反省)を表しているかも、と思いました。

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