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「学習のアーティストになりたい」

こんばんは、AKIです。
学習者をレベルアップさせるサイト「LearnTern」の運営などをしています。

先日、こんなツイートをしました。

学習のアーティストになりたい」

以前から学習に関する発信をしていたので、「学習の」までは当然の流れです。しかし「アーティスト」の部分が意味不明でしょう。

今日はその辺りの物語です。

アーティストという生き方

アーティスト。
気を抜くと、その言葉を「天才」と読んでしまいそうになる。

他人を褒めるとき、冗談気分で「天才」と呼ぶことはある。しかし僕は他人を「天才」と呼ばないようにしている。

その言葉は、僕とその人の間に境界線を引いてしまうからだ。

僕では絶対にその人に届かないのだと認めてしまいかねない。それは自分の可能性に蓋をしてしまう言葉であり、彼・彼女の努力を否定する言葉だ。

だから僕は「天才」とは呼ばない。

けれど、アーティストが別の世界の生き物に見えていた。

先日、あるアーティストに興味を持ち、ハマった。その人が想いを語った動画を観て、憧れた。奮えた。自分も、と思った。

その日を境に、アーティストという生き方が僕の世界にも現れる。
「アーティストになりたい」と思った。

アーティストの定義

自分なりにアーティストという生き方を定義してみる。

・独自の世界観を持っている
・それを作品として表現する
・「問い」を投げかけている

アーティストは独自の観を持っている。その結果、同質性を好む人々によって弾圧されることもあるが、逆に熱狂的なファンを持つことにもなる。

アーティストの基本は作品だ。作品を持たないアーティストは存在しない。彼らは自分の想いを作品に乗せて世界に届ける。

アーティストは僕らに「問い」を投げかける。そのままでいいのか、と僕らに問いかけてくる。新しい世界の見かたを考えさせる。

「世界観」「作品」「問い」

アーティストになるためにはこの3つが必要だ。

「学習のアーティスト」

僕は「学習のアーティスト」を目指す。

僕が最も想いを持っている分野の一つが「学習」だ。厳密に言えば「物語と主人公」なのだが、そのための手段としての「学習」に対して独自の観を持っている。

「世界観」が学習に関するものだとして、では「作品」は何なのか。

例えば僕はLearnTernというサイトで、学習に関する知見などを発信している。これも一種の作品だ。

加えて「学習体験そのもの」をコンテンツ化していこうと思う。

また、学習スキルを体系化した新しいコンテンツも制作中だ。こちらに関してはnoteマガジンも書くので、よければ読んでほしい。

最後に「問い」だ。

学習とは「自分を変化させること」。

なりたいもの、やりたいこと。
今のあなたにとってのファンタジーを現実にするためのプロセスであり、スキルだ。すべての人間にデフォルト装備で与えられているが、その練度はマチマチである。

環境のせいにしただろうか。運のせいにしただろうか。誰かのせいにしただろうか。自分は主人公ではないと、諦めただろうか。

もしあなたが、心の隅にでも、まだその火を残しているのなら大丈夫だ。
学習が道をつくる。

僕は絵が下手だ。音楽センスがない。飽き性だ。人見知りで、人前に立つのが苦手で、誇れる実績もない。

失礼、言い間違えた。

今の僕は絵が下手だ。音楽センスがない。飽き性だ。人見知りで、人前に立つのが苦手で、誇れる実績もない。

だけど、僕は「Castle of LearnTern」という作品をつくる。
学習スキルを探求して体系化し、イラストでファンタジーな世界観を描き、ストーリーを語り、BGMを紡ぎ出そう。

あなたはどうする?

学習の灯は、ずっとあなたの横でともっている。


学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。